二十一話 少年は初めての料理する
部屋の片隅に広い机を勝手に作った湖の良き魔女の使い魔が、「初めは簡単な物に致しましょう」と言ってどこからともなく取り出した物は、芋、玉ねぎ、肉、卵、ドロドロだ。甘い香りがするそのドロドロを指で興味本位で掬って舐めてみれば、実際はそこまで甘くはない。首を傾げる少年に、使い魔が「そちらは牛乳から造られるバターというものです」と説明した。
牛乳は聞いた事も見たこともあるが、あれは真っ白で甘いものだ。目の前にある黄色いこれが元はあの飲み物だったなんて俄には信じられない。大きく目を見開く少年に構わず、使い魔の女は淡々と言葉を続けた。
「今からお教え致しますピッティパンナは、伝統的な家庭料理になります」
そう言って突如始まった料理講座は、ジャガイモという芋を茹でるところから始まった。水は女魔獣が溜めている飲水を使い、火はあの女の部屋にある大釜から拝借した。
ちなみに前に捕まった罠は、良き魔女の使い魔が「ここを通れば発動致しません」と教えられた通りの順路を辿れば確かに発動せず、少年は必死にその経路を記憶したのは余談である。
そんな女使い魔から手順を教わり、丁度昼時には初めての手料理が完成した。彼女が持参した銀の皿にバターと炒めた、一口大に切ったジャガイモとソーセージが美味しそうな匂いと共に出来上がり、その上に卵を焼いただけの目玉焼きを乗せた。使い魔曰く、庶民はこのツヤツヤとした卵の黄身を崩しながら食べるのだという。
ホカホカと暖かそうな湯気がたつその料理をフォークを使い刺して黄身をつけた後、口に含んだ。予想以上の熱さに声にならない叫びと共に涙目になりつつも、ハフハフと口から熱を逃がした少年は勢いよくそれを喉に押し込めた。灼熱が喉を焼きながら通り過ぎ、これが出来たて故の熱さなのかと一人身震いする。
「…冷ました方がよろしいかと」と今になって呟いた湖の良き魔女の使い魔へ目に涙を湛えながら睨みつつ、少年は言われた通りに息を吹きかけ適温に冷ましてから再度口に入れた。そうすれば、広がるバターの香りと柔らかなジャガイモの風味、黄身のトロリとしたソースが何ともたまらない。
「美味い…!」
思わずポツリと呟いた少年は、その後は黙々とひたすらにフォークを動かした。あっという間に平らげた初めての料理に満足気に腹を撫でれば、使い魔が「流石王子、初めてとは思えない出来栄えです」と持ち上げる。それに機嫌良く「お前の教えが良かったからだ」と返した少年の耳に、平穏そのものだった今までと違い聞きなれない怒号が聞こえた。
「なんだ?」
目を瞬かせた少年は、思わず住処の出入口から下へと顔を覗かせる。そこには、見慣れぬ白いローブ姿の人々が幾人かキョロキョロと当たりを見回していた。一瞬、助けか!?と顔を輝かせた少年だが、しかし以前良き魔女が言った『命を狙われている』という言葉が頭を過ぎった。果たして、彼奴らは敵か、味方か。どうすれば良いのか分からず、ただ黙って下方を覗き込む少年へ、「行けません、王子」と使い魔が後ろから声を掛けたその時、足がツルリと滑った。
動かした筈はないその足下から、床の感触が消えたなと冷静な何処かで少年が思った時には既に宙を舞っていた。幾度か聞いた耳元でビュンビュンと鳴る風が通り過ぎる音がし、何時もならば森の父が受け止めてくれる筈のそれはしかし今は無く。
勢いよく地面に叩きつけられた少年は、そのままブツリと意識を失ったのだった。




