十九話 少年は噛み締める
奇行を見せた女魔獣を不思議そうに見送れば、いつの間にか人型をとっていた彼に連れ去られて今日の鍛錬が始まった。
頼んでいた木剣と小刀が届いたとの事で、今日から本格的に鍛錬をするという。……今日から本格的という言葉に若干引っかかったが、またワンランク上の鍛錬を行うとのことでとても楽しみだ。
……そう、あの時は楽しみだったのだ。それが今となっては実用的な訓練にランクアップしたそれは本格的な森の父との模擬戦はまだ可愛い方で、魔獣との死の追いかけっこや魔獣の討伐、そして魔獣の解体までに及んだ。やっぱり自分がまだ六歳の庇護ある少年だと云うことが、あのスパルタ師匠は抜けているのではないかという鬼畜ぶり。
先日兎のような魔獣を殺し、初めて解体をした時はさすがに吐いた。その日一日は肉系の料理は食べられず、鍛錬以外は過保護なカラスはオロオロとしていた。因みに解体した兎肉は女魔獣に保存させたとか。その後の行方は知らない。
そんな少し変化した日常だが、鍛錬して食事して眠るという流れは基本的に変わらない。今となっては解体も少しは慣れてきて昨日は平気で兎型の魔獣を捌いた。…あれ、兎しか解体してないな。まぁ六歳だし。料理なんて水高なもの出来る人物なんて誰もいないので、解体した物は全て女魔獣が保管している。その後の行方は勿論知らない。
そして今日もまた鬼畜師匠である森の父からの鍛錬を終えた少年は、戦利品である兎魔獣を片手に帰還した。毎度の事ながら森の父に抱えられ女魔獣の住処へと戻れば、最近はよく顔を合わせるこの住処の主が難しい顔をして何かの作業をしていた。気になって近づいていけば、直ぐに顔を上げる女魔獣。そのまま無言で差し出す手に、いつもの如く戦利品を渡せば一瞬で無くなるそれ。
「何をしているのだ?」
机に広げている見慣れぬ物に視線を向けつつそう疑問を零せば、以前では考えられない「仕事だ。もう暫くで終わるから大人しくしていろ」という返答が。前は一切返答無く黙殺されて居たのだが、あの奇行を見せた日から徐々に女魔獣から声をかけられることが増え、今では日常会話ぐらいであれば答えてくれる。奴の中で何があったのか分からないが、これは多大なる進歩だ。
そして本当に暫くしたら終わったらしく、机に広げていた赤黒い変な石をさっと仕舞った。「しっかり食べろよ」と言い残し先程まで作業していた机の上に誰が準備したのか分からない肉料理を並べ、女は早々に自室へと戻って行った。結局何をしていたのか解らずじまいだったが、既に意識は料理へと移動していた少年は特に不満に思わずそれにかぶりついた。
最近肉料理が多く、しかも良い肉を使っているのかアッサリと柔らかくて美味しい。また一流料理人が作っているのか煮込みやステーキ等様々な料理が日々の疲れを癒し、幸せを齎してくれる。一日で一番至福の時間だ。
流石湖の良き魔女が用意したという一品。王家とも親しくしているあの魔女は商人にも太いパイプがあるに違いない。数少ないと言っていたが、後どれくらい残っているのだろうか。既に良き魔女からの差し入れが始まり早ふた月、いつ底をついてもおかしくはない。そもそもふた月持つ方がありえないのだが…まぁ、魔女だし。
その日も少年は幸せを噛み締めて、腹がいっぱいになった後ベットに潜り込んだ。隣の部屋から何処か慌ただしい音が聞こえた気がしたが、また女魔獣が何か始めたのかとさして気にもせず少年は夢の世界へと旅立った。
翌朝、少年が目を覚ますとそこに居たのは女魔獣やカラスではなく見た事がない女だった。シンプルな黒い侍女の装いはどこか見覚えがあり、少年が部屋に入る前から頭を下げている彼女は女魔獣より圧倒的に手入れされていると思われる美しい白髪しか見えない。
城に居た侍女を思い起こさせるその姿に、少年の背中が知らずと伸びる。視線を鋭いそれにし「何奴だ?」と不審な女に問いかける。それによって面を上げた彼女の、人では有り得ない爬虫類を思わせる縦長の瞳孔に驚き思わず一歩後ずさる。お面でも付けているかのようにまるで喜怒哀楽を感じないその不気味な顔。ニヤリと口角が上がった時は思わず悲鳴を噛み殺した。
「第一王子殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅうございます。私、湖の魔女の使い魔を務めている者でございます。以後お見知りおきを」
そう言って見事なカーテシーをした彼女の言葉に、少年の脳裏に湖の良き魔女の姿が思い浮かぶ。確かに一度謁見で会った時に、背後にあの女が居たような気も…いや、居たか?良き魔女の方に意識が向かっていて覚えていない。しかし、確かにあんな服装の人物はいた気がするから、実際居たのだろう。
「我が主から、殿下へ調理を師事せよとの命により参りました。どうぞよろしくお願い致します」
屈めた腰はそのままにそう告げた使い魔の言葉に、少年はそういえばそんな話をだいぶ前にしていたなと思い出した。完全に忘れていた。
少年の脳裏に浮かんでいた湖の良き魔女がこんな面白そうな事忘れるはずがありませんわぁと笑った気がしたのだった。




