十三話 魔女は高笑いする
翌日、早速と言わんばかりに魔女は自室で丸くなって寝ていた幼子の襟首を掴み上げ、住処から文字通り放り投げた。勿論、昨日渡した剣も一緒である。
落下中に目を覚ましたのであろう、人の子の腹からの叫び声に魔女は高笑いで返した。過保護なカラスから『もう少し手加減というものを知れ!』と叱責されたが、きちんと幼子が地面に激突する前に風を送ってある。衝撃を和らげたそれによって、怪我一つ無く降り立ったであろう。…まぁ、もしかしたら剣は目の前にでも落ちたかもしれないが。
「怪我をしないように”手加減”はしてやっている」
『お前のそれは手加減と言わんのだっ!』
そう言い残し、カラスは慌てて幼子の後を追うように住処を飛び去った。過保護な使い魔を顔を顰めつつも見送った魔女は、調合室へと足早に向かう。
やっと小煩い者共が居なくなり、仕事に専念できる。疲れるが使い魔との回路を開けておこう。何かあってもカラスが対応できるようにして置けば煩わしく無いだろう。次の朔の夜は魔女集会だ。あと月が一周するまで時間はあるとは言え、それ迄に作っておかねば他が煩い。全く、面倒である。
大きくため息を付いた魔女は手早く戸棚から材料を出し、大釜へとぶち込んだ。
そのままどれぐらい経っただろうか、異臭漂うそれを詰めた最後のひと瓶に蓋をした時。ぶわりと膨らんだカラスの気配に、魔女は顔を上げた。一気に使い魔へと送られた魔力に少し脱力感を感じながらも、瓶を籠の中へと風に運ばせた彼女は億劫に立ち上がった。
一斉に飛び立つ鳥の羽ばたきを聞きつつ、魔女は調合室からゆっくりと出ると、丁度黒い影がグングンと近づいてくるのが蔦越しに見えた。やれやれと思いつつも長椅子へと腰掛ければ、風を巻き起こしながら使い魔が荒々しくも住処へと入ってきた。
暫くぶりに見る使い魔の人型の姿は、昔見た時よりも成長しており今では魔女よりも頭一つ分程背が高くなっていた。黒一色の服は彼女のものと似たような形をしており、翼を畳むとそれが外套のようにも見える。
危なげなく片手で幼子を抱えていて、彼の警戒色のような鮮やかな服装が引き立てられ正直目が痛い。人の子を視界に入れないように魔女は使い魔の端正な顔を眺めていれば、それが悪鬼のような形相をしている事に気がついた。
「魔獣が活性化していると知って、愛し子を放逐したのか」
隠せぬ怒りを顕にしたまま使い魔が口を開いた。それに対し、魔女は「今更何を言っている」と呆れを滲ませつつ言い返した。
「満月の夜は魔力が満ちる。忘れたとは言わせんぞ」
「…だからこそ、幼子を放り出すなど…」
「だからお前との回路を開けて置いたのだろうが」
「しかし…」
言い募ろうとする使い魔の口を閉ざすように、魔女は大きくため息をついた。後もう一押し、か。
「…お前は何時までその幼子の面倒を見るというのだ」
じろりと睨んだ魔女に、使い魔は言葉に詰まる。その姿に彼女は鼻で笑った。産まれたばかりの雛のように、真綿に包み込む事は容易いが、では何時までそうしているのだ?
「雛も何時かは巣立たねばならんのだろう。それを育てるのも親の務めでは無いのか、カラスよ」
どうやら上手い具合に使い魔の意識を幼子へと向けることに成功したようだ。決意を滲ませた瞳で人の子を見つめる使い魔に、魔女は内心ニヤリと笑う。
計画通りに完全に自身の使い魔へと人の子を押し付けられそうな状況に、魔女は機嫌は上昇し更に口を開ける。
「所でお前がそこまで怒るとは、一体どんな大物がいたのだ?熊か?狼か?」
あの大猪以降、目立った獣の成れの果ては居ないと思っていたが見逃しがあったのかと魔女が尋ねると、一瞬顔を上げた使い魔が視線をそのまま横へとズラした。なんなのだと訝しげに眉を顰めれば、ボソリと使い魔が小さく呟いた。その声が聞き取れず「何だ、はっきりと言え」と睨みつければ、奴は幼子を抱く腕に力を込めた後ゆっくりとこちらへ視線を合わせてきた。
「一角兎…だ…」
初めなにを言われているのか分からなかった魔女だが、じわじわとその言葉を理解すると珍しく本気で、心配げに幼子を見つめたのだった。
一角兎 : 兎の額に一角が生えている魔獣。
素早く凶暴だが小型な為弱く、五歳児で小刀であれば容易に狩れる。身は少ないが淡白で美味しい。




