九話 魔女は捉える
驚きに食事の手を止める人の子に、魔女は良い考えだと口角を上げた。それを見て顔を引き攣らせる目の前の幼子に、それまで下がっていた彼女の機嫌が持ち直す。
幼子を寝床へと放り込んだその後、湖の魔女が重要な話をしたのは僅か一刻程度。その後は小言や愚痴、世間話等全く興味も無い内容ばかりをゆうに一晩もの間話し続けた。折角の満月の夜だと言うのに、まるで流れゆく川の如く途切れぬ事の無い雑談を大人しく聞いていた理由は、ひとえに彼女が持参した手土産である果実酒だ。
この辺りでは見ない洋梨という果物を使った爽やか甘みのあるこの酒はとても美味しく、人の王の秘蔵品を貰ってきたという。これだけで人の王にとってこの幼子がどれだけ大切な存在か分かるというものだ。そう読み取れたとしても、それで人の子の対応が変わるという訳では無い。
じっくりと味わって飲んだとしても一瓶。一夜かけて堪能した、最後の一口を惜しみながらも口に含んだ魔女は向上した気分のままにそっと空になったグラスを置いた。
「自ら食すものは、自ら用意する…当たり前の事だと思わぬか?人の子よ」
何かを言いたそうにしかし言葉が出てこない幼子の姿に、魔女は昨日湖の魔女が言った命を狙われているという事を気にいているのではと悟った。
魔女としては人の子が死のうが死ぬまいが余り気にしない…筈、だったのだが…
「大丈夫ですわぁ、ここは魔女の森。何かあれば彼女が分からない筈が無くてよ」
おっとりと湖の魔女がそう言った言葉に偽りはない。遥か昔からこの森に居を構える魔女にとってここは箱庭同然。だからこそ、あの時獣の成れの果てに追われる幼子を見つけることが出来たのだ。
「…よく知っているな」
苦虫を噛み潰したような苦悩を浮かべた人の子に、湖の魔女はにっこりと笑う。
「古くからの友人なの」
「…誰が友人だ」
今度はこちらが不愉快も顕に否定を述べる。こんな奴と友人だなんて願い下げである。自然と顔が歪んだままに魔女は言葉を続けた。
「お前はただの仕事仲間だ。それ以上でもそれ以外でもない」
「彼女、照れてるのよ」
そう言って少年に身を寄せ湖の魔女がウインクしているのが視界に入った魔女は、嫌悪感が隠し切れないままに睨みつける。その射殺しそうな視線を感じたのだろうこちらに顔を向けた彼女は、優雅に笑った。
隣で真っ青な顔で震えている幼子とは大違いのその余裕ある態度に、文句の一つでも言ってやろうと開いた口はしかし言葉を発する前に閉じられた。
森の異様な気配を感じ取ったからだ。
目の前で好き勝手言っている女子供から住処の出入り口へと視線を移し、森の様子を伺う。一見、いつもと変わらない何処までも続く緑がそこに拡がっている。
一陣の風が、森を吹き抜ける。
木々の合間を抜け、走る獣の毛を遊び、流れゆく川を駆け抜け、枝で羽を休める鳥を撫で、分け入る人の衣服を叩く。
ーーーこれだ。
太古の森、奥深くまで踏み入る白いローブで身を包む怪しい集団を捉えた魔女は、そのまま風となり跳躍したのだった。




