その5
それだけいうと彩乃は琴美の頭をそっとなでました。そのとたん、彩乃のすがたは、闇にとけるように消えてしまったのです。
「あの子、いったい何者なのかしら?」
遠くでゴゴゴと、なにかが崩れる音が聞こえてきました。
「せりか、まずいよ、あの子の巨人が」
ロップが指さす方向を見ると、さっきまで影の巨人と戦っていた土の巨人が、崩れて土に戻っていたのです。さらに、それまで真っ黒だった巨人が、だんだんと色づいてきたのです。それと同時に、ロップの風船も、激しく点滅し始めました。
「まずいよせりか、あの子が先に琴美ちゃんに触ったから、だんだんと世界が消えかかっている。もう脱出しないと!」
けれどもせりかは、色づく巨人を見つめたまま、動くことができません。巨人は頭にタイガースの帽子をかぶった、半ズボン姿の男の子に変わっていました。手にはいつの間にかバットが持たれていて、それをふりまわして暴れまわっています。バットが地面をたたきつけると、地面がまるで溶けるように波打ち、完全な闇に変わっていきます。
「せりか、せりかったら! まずいって、夢の世界が消えたら、ぼくたち完全に取り残されちゃうんだよ!」
あわてて風船をぽふぽふさせるロップでしたが、せりかは暴れまわる巨人にくぎ付けになっていました。
「……やっぱり、あれは……矢部君だわ」
ぬいぐるみを抱えていた琴美が、わんわんと泣き出しました。せりかは思わず琴美を抱きしめます。目がくらむほどにまぶしい光が、夢の世界をおおいました。次の瞬間、せりかは夢の世界から抜け出し、自分のベッドに横たわっていました。
「……ごちそうさま」
「あら、もう食べないの? 今日は琴美の好きなハンバーグなのに」
晩ごはん、琴美がハンバーグを半分残して席を立ったので、お母さんがまゆをひそめてたずねました。
「……うん、お腹空いてないの」
「そうなの。もしかして具合悪いの?」
「ううん、大丈夫だけど……」
お母さんは困ったようにせりかを見ました。せりかも心配そうに琴美に顔を向けます。
「わたし、さきに部屋に戻るね」
とぼとぼと部屋に戻っていく琴美を見て、せりかはお母さんを見あげました。
「また学校でなにかあったのかもしれないわね。せりか、悪いけど」
「大丈夫。わたしがちゃんとフォローしておくから、気にしないで」
二ッと笑いかえすせりかに、お母さんはすまなそうにうなずきました。
「……琴美、ごめん入るけど、大丈夫?」
ドアをそっとノックして、それからせりかが小さく声をかけます。スーッとドアが開いて、中から琴美が顔を出しました。目がかすかに赤くなっています。
「……お姉ちゃん」
それ以上はなにもいわずに、琴美はぎゅっとせりかの腕にしがみつきました。手には落書きされてぐちゃぐちゃになった教科書を持っています。
「琴美、それ……」
琴美はしばらくぷるぷるとふるえていましたが、とうとう耐え切れなくなったのでしょう。ひっく、ひっくとしゃくりあげて、せりかの胸に顔をうずめたのです。
「お姉ちゃん!」
ずっとこらえていたのでしょう。ためこんでいた悲しみのダムのせきが切られます。わんわん泣く琴美の背中をなでて、せりかはしばらくされるがままになっていました。
「なんで、どうしてわたしだけ? ねぇ、お姉ちゃん、どうして……」
「大丈夫よ、大丈夫。お姉ちゃん、そばにいてあげるからね」
ぎゅっと琴美を抱きしめているうちに、いつの間にかせりかも泣いていました。二人で身を寄せ合い、そして琴美が泣きつかれたころに、ようやくせりかはぐしょぐしょになった琴美の顔を、そして自分の涙をハンカチでぬぐいました。
「……矢部君がね、わたしが、わたしが夢に出てくるって。それで、怒ってわたしを……」
「夢で? ……それじゃあ、やっぱり」
琴美が顔をあげました。せりかはあわてて首をふります。
「ううん、なんでもないわ。……でも、矢部君も悪夢を見ているのね」
せりかの言葉に、琴美の顔がくもりました。
「あ、ごめんね。そうよね、いくら悪夢を見ていても、それで琴美に当たり散らすなんてひどいわよね。今度お姉ちゃんが文句いってあげるわ」
「ううん、違うの、そうじゃなくて……その、矢部君も、すごく怖がってたから」
「怖がってた?」
意外な言葉に、せりかが聞き返しました。琴美はゆっくりと顔をあげて、それから、いいたいことを探すように目をまたたかせていましたが、やがてつっかえつっかえ話しはじめました。
「うん、怖がってた、と思うの。あのね、昨日教室で矢部君に会ったとき、矢部君が『うわっ!』てびっくりしたような顔してたのよ。それで、他のクラスの男の子たちからからかわれてたから、だから怒ったんだと思う」
「それで落書きされたの? そんなの勝手だし、ひどいわ! 琴美だって悪夢で苦しんでたのに!」
いきどおるせりかに、琴美が何度も首をふって続けました。
「違うのよお姉ちゃん、そうじゃないの。あのね、わたし矢部君もすごく大変なんだと思うの。わたしも怖い夢見たときは、どうしようもなくいやだったから。だから、矢部君がおびえているのを見て、かわいそうだって思ったの。……そりゃあ、意地悪されるのはいやだけど、でも、怖い夢見たあとなら、そうなる気持ちもわかるの」
「でも、矢部君がいじめるせいで、琴美は悪夢を見てたんでしょう? あんな恐ろしい巨人になって、琴美をいじめていたなんて!」
「巨人?」
ぽかんとしている琴美に、せりかはあわててごまかすように続けました。
「なんでもないわ。でも、それは問題ね……。とにかく今日は早く寝なさい。お姉ちゃんがなんとかするから」
「なんとかって、でも、どうやって?」
「大丈夫よ。お姉ちゃんに任せておいてね」
パチッとウインクするせりかを、琴美はやはりきょとんとした顔で見ているのでした。
本日の更新はここまでとなります。その6はまた明日の17時台に投稿予定です。
明日もどうぞお楽しみに♪




