84 352-11 火薬のテスト(2620)
晩秋。陽光は柔らかさを増し、風は湿り、程冷たい風が吹く季節。
大陸のこの辺りでは、秋から冬は寒くはなるが気温の低下に伴って相対湿度が上がるために、肌を刺すような寒さにはならない。緑が退き、ジメジメと陰鬱な雰囲気にはなる。
トーナメント大会から帰ってきて二週間。このところ、日に二、三件の面会があり、大抵は寄進の報告と挨拶なのだが稀に祝福の依頼があって、ナスターシアを辟易させた。
これまで、体調だけはどうということもなかったのだが、今朝からは体に違和感を感じていた。
(なんかこう……。胸が張るのと、下腹部に違和感があるのよねぇ……。なんだか、お久しぶりな感じの……)
長いこと会ってなかった嫌な人に、ばったりと出くわした……的な。
「クラリス……ちょっと相談したいことがあるんだけど」
ざっと、説明した。
「ナスターシア様でも、女性の病気になるんですか? あれは、穢れです。日頃の行いの所為ですよ。トーナメント大会に行ったのがまずかったのではないでしょうか?」
クラリスは、真顔で心配してくれている。
「……」
(ああ、なるほど。まったく知識がないんだ……。そりゃそうか! でも、どこから説明したものか? 説明したとして、純潔を守る修道女には割とどうでもいい話だしなぁ)
ざっと、説明した。
「そんな! でも、見つかったら軽蔑の眼差しで見られるんですよ?」
「それは、誤解。赤ちゃんを産むための準備だから……。でも、ひどい話よね、穢れだなんて失礼しちゃう。嬉しくはないけど……」
「でも、準備しておきますね」
自分たちが、いつもしているように準備を整えてくれるということだった。
「ありがとう。よろしくお願いします」
「でも、ということは、お子様の誕生が楽しみですね」
さっきまでの心配そうな表情は、秋風が連れ去ったようで、早くも春が来たような笑みを浮かべて喜ぶ。
確かに、赤飯を炊いてお祝いするくらいの事ではあるんだが……。
(今は、楽しみと言うより恐怖の方が勝つけどね……。早すぎる妊娠は危険だったはずだし……。先ずはまあ、相手あってのことだけど)
さて、女の子の日は置いといて、今日は火薬のテストがある。お昼の食事の後、修道院の外で実験するのだ。
午後になると、風が強くなった。修道院の外は、相変わらず天幕が並んでいたが、数は減ってきているようだ。代わりにシェボルの街が急ピッチで拡大している。どのくらい大きくなるか解らないために、外壁を作らずに、代わりに水路と道路を先に作っているようだった。誰の入れ知恵か知らないが、なかなかいい考えだ。
実験場の近くには誰も立ち入らないように、注意して行う。立ち会いとして、守備隊長になったアランを筆頭に、ジョエル、ピエール、工房長、イーファとトマ、それに加えて二十名ほど新たに参加した騎士達が見守る。人よりも、馬が暴れないように特に注意するように言い渡してあった。
会場は、木々が伐採され整地された土地で、まだ作付けなどはされていない農地だった。その真ん中で焚き火がされている。そこに火薬を放り込もうというのだ。
「遠すぎないか?」
アランは、近くで見られないのが不満だった。
「念のため、ね」
大弓が得意な騎士が、先端にこぶし大の火薬を着けた矢を、焚き火目がけて打ち込むのだ。
「準備はいい?」
「いつでもどうぞ」
「じゃあ……、放って!」
ナスターシアは、予想がついていたので耳を塞ぐ。
射手はゆっくりと弓を引き、手を離す。
ひゅんっと、弧を描いて矢が飛んでいき、焚き火に命中した。
ドコーン!!
乾いた爆轟が響き渡る! 焚き火は、吹き飛ばされ、火は消えてしまったが、大した威力はなさそうだった。ただ、音だけはもの凄かった。
「こけおどしだな」
と、アラン。
「だね」
ナスターシアは解っていたので、まあこんなもんだというのが感想であった。
対照的に、見るのが初めての騎士達は、一様に驚いた様子だった。口をあんぐりと開けたまま、狐につままれたようになっていた。
「とりあえず、使えそうなものが出来たってのはわかったから、あとはどう使うか考えよう。騎兵の目の前で爆発したら、馬はひっくり返るでしょう?」
「そうですね、ナスターシア様」
アランが賛意を示す。
確かに、こんなのが目の前で爆発したら腰を抜かしそうだ。
「ヘロン様から申し遣わされております件ですが、年明けになりそうです。少々精度が出ずに難航しておりまして……」
工房長は、フェリアの頃からの顔なじみである。
「何のことか解らないけど、いいですよ。いつも、一生懸命してくれているのは解ってますから」
「申し訳ありません」
「ああ、それと、火薬の製造はこないだ建てた専用の小屋以外でしないようにしてね。あと、小屋には二人以上入らない事。材料を必要以上持ち込まないこと! お願いしますね。あと……」
「心得ておりますよ! 必ず水で濡らして作業すること、でしょう?」
「そうそう。乾燥する夏は特に危ないですから」
「気をつけましょう。あっしらも命は惜しいですからね」
帰る道すがら、子供のように興奮したピエールが絡んでくる。
「なあ、聖女さんよ! アレ、スカートの下に入れて、パーンってしたら、盛大にまくれ上がるんだろうな?」
「自分のお尻に入れて試してみたら?」
「おいっ! 何てこと言うんだ!? 聖女がそんな下品なこと言っていいのかよ?」
「貴方といると、ペースが崩れるんですよ! もっと、紳士な振る舞いを身につければ、女性にモテると思いますよ?」
「褒めてんのか?」
「……褒めてません」
見た目だけなら、まあそうかも知れないとは思うが……。
修道院に戻ると、荷物が届いていた。手紙も添えられている。
「なんだろう? あ、シャルル王子からか……」
王子からは、なんだか子犬がはしゃぐような手紙が届いた。受け入れてもらえて嬉しい……と。尊大な書き方がされているが、要約すればそんな内容だ。
半分以上打算なんだけど……。
荷物の方は、冬用の服だった。これは素直にありがたい。
最近は、めっきり寒くなってきたから、もう少し暖かい服装をしたかったが、めぼしい服がなかったのだ。今回は、いつもの紺青色をした絹の服の他に、羊毛でできた厚手のストールとか、ミトンもある。寝衣もモフモフの羊毛と綿のものが入っていた。気が利く旦那だな……。
(旦那か……)
着てみたところの写真を送る……みたいな面倒なことをしなくてもいいのは有り難い。素直にお礼を送ろう。
いつまでも、らしくない彼の方は今、何をしているんだろう?