82 352-11 西方より届くもの 硝石(2996)
馬車での夜、二日目。
辺りには木々が生えるようになってきた。王国周辺に近づいている証拠だ。まだ、森と呼べるようなものはないが、木々が密集した場所も見える。
「帰ったらなにしたい? 私、お風呂に入りたい~」
「俺は、腹一杯肉を喰いたい!」
「私は……、いや、なんでもない」
なんだか元気のないジョエルを心配そうにフランが覗き込む。
「どうしたの? お腹空いたか? ナスターシア様がなにか狩りに行ってくれたらな……(チラッ)」
「私っ? 何もいないじゃない!? 獲物いる?」
「あー、どうだろうなぁ?」
そう言いつつ、フランは辺りを見渡す。
しばらくキョロキョロしていたが、ふと一点を凝視する。
「ナスターシア様! あそこ! 鹿だ!」
密集した木の陰に、光る目が二つ。かなり、遠い。奥にも何頭かいるが、少し一頭だけ離れてしまっているようだ。
「ねぇ、ちょっと待って欲しいんだけど、鹿を獲ってきたら誰か捌けるの? 私無理だよ?」
「何を言っている?! 狩りは貴族の嗜みだ。当然捌ける。だが、弓がない……。という訳だ」
ナスターシアとジョエルは、顔を見合わせた……。
「で?」
甲冑の膝部分についているダンパーを固めに調整し、ため息をつく。
「なんで私が……。神様、殺生を行うことをお赦し下さい」
「人間は、人間以外を殺す権利があるんです。気にするなんて変です」
とは、フラン。
仕方なく、ナスターシアは神力で加速し、全速力で鹿を追いかけ回し、最後は生成したハルバートで仕留めることに成功した。そして、その首を失った鹿を、引きずりながら馬車に向かう。
その様は、なかなかシュールな絵だった……。
「でかした! あとは任せてくれ。フランは、火を起こすんだ」
ジョエルは、馬車にあった木の棒を使って、手際よく鹿を吊して血を抜き、ナイフで鹿を捌いて肉屋で売っているような肉塊にしていく。胡椒はないが、塩ならあるので塩をまぶして焼いていく。
焼かない分は、塩を多めにつけてぶら下げる。
野犬やオオカミが来ないといいが……。
じんわりと肉が焼け、いい匂いが辺りに漂う。
「ジョエル様、流石ですね! 見直しました」
「天使の獲ってきた獲物だからな、はは。一人で抱え込むより、もっと頼って欲しかったが、こんなことしか出来ない。頼れるほど強くないということだな……」
「そんなことないですよ! ジョエル様は技巧派ですから……」
「だといいけど。いつも助けられてるからね。もう、誇りも打ち砕かれるほどに……」
「お互い様です」
「一つ確認しておきたいんだが、シャルル王子との結婚に、私を護ることとか条件をつけるわけじゃないよね?」
「……もちろんっ!!」
とは、言ったものの、図星を突かれて狼狽えてしまった。
「そう……。ならいい」
ジョエルには、ナスターシアの表情が見えなかったのか、そのまま流す。その表情は、心なしか寂しげだった。
修道院へは、予定通り十日で到着出来そうだ。
鹿肉はもっと臭いかと思ったナスターシアだったが、意外とそれほどでもなく、美味しく食べられた。だが、流石に狩りと後処理が大変すぎるので、その後は修道院到着まで諦めることにしたのだった。
修道院に近づくにつれ、道行く人々が増えてくる。ほとんどの人は、修道院を目指しているようだ。貧しそうな若い男女が多い。一体、どこからこんなに人が集まってくるのか?
ジョエルが馭者をして、ナスターシアを馬車に隠して修道院へと向かう。
修道院の近くまで来ると、そこには驚愕の風景があった。
人々が、修道院の中に入りきらず、周囲に天幕を張って生活していたのだ。周囲の土地は、あらかた耕され、耕地となっており、周囲の森もどんどん切り開かれ、あちこちに伐採された材木が積まれていた。これから、家などが建築されるのかも知れない。若干衛生状態が悪化しているようなので、早めに対応しないといけないだろう。
一角では、軍事訓練が行われていた。密集陣形の訓練と防御柵の構築であった。主に帝国の騎兵突撃を想定した防衛訓練である。その訓練の中核を担っているのが、各領地から参集した騎士達だった。
集まった人々の間では、トーナメント大会で守護天使が現れ、味方した軍が大勝利を収めた話で持ちきりである。
「なんでも、守護天使というよりは戦乙女だったらしい。しかも、軍を直接指揮して勝利を収めたらしいぞ。もう、戦争のために生まれてきたような聖女様じゃないか! 王国がどこまで躍進をするのか、見物だな」
「ただいま」
「お帰りなさいませ」
ナスターシア達は、無事に修道院内にたどり着くことが出来た。クラリスの話によると、トーナメント大会での活躍の報が届くと、もう居留守どころの騒ぎではなくなり、来客が無くなった代わりに修道騎士の応募と、ほど近いシェボルへの移住希望者が押し寄せ、大変なことになってしまったとのこと。
まあ、それが修道院のそとに溢れた人々ということのようだ。
「とりあえず、お風呂ーっ!!」
だが、旅で疲れた体をなんとかするのが先である! いつ帰るか知らせてないので準備できていない。すぐに入れないのは残念。
クラリスは、修道女に命じてお湯を沸かさせる。
お風呂の準備が整うまでの間、少々体が汚れてはいるが事務作業をしよう。しなくてはならないことが、山積しているのだ。
「ナスターシア様。ヘロン様よりお手紙を預かって御座います」
旅を終えたナスターシアに息をつく暇も与えずに、クレールは恭しく手紙を手渡した。
「なんだろう?」
中身を読んでみる。
文面には、火薬の調合についてたどたどしい日本語で書かれていた。既に、硝石を大量に買い付けてあるので修道院で保管して欲しいこと、黒色火薬の調合法、燃焼速度の調節法などについて書かれていた。
燃焼速度の調節が重要な事は、元兵士のナスターシアにはすぐに解った。恐らく、砲を作ろうとしているのだろう。大小はともかく……。燃焼速度が速すぎれば、砲身がもたないし、遅ければ威力が減る。
(実験するのは神力バリアが使えるお前が適役! だと!? 殺す気か!? まったく人使いが荒いんだから……。てか、バリアって何だ! まあいい、とりあえず返事と王子の件を知らせておくべきだろう)
手紙には続きがあった。
リュシスが、一風変わった治癒の神力を得たらしい。
(そういえば、海に行ったときもマルセル兄様のフィアに抵抗してたよね。でも、変わったってどういうことだろう? まあ、いいや)
「クラリス、手紙を書きます」
「かしこまりました」
さっと、手紙を書く準備を整えてくれる。なかなか、有能な秘書っぷりになってきた。
先ずは、お爺様へ返信。
シャルル王子との関係を深め、縁者の安寧を図ること。火薬の件は適当にやってみること。
シャルル王子へは、嬌声が聞こえそうな甘い文章で、一緒になる代わりに関係者の安全を約束して欲しいことを伝える。どのみち、裏で糸を引いているのは彼かその取り巻きだろうから、これで落ち着くだろう。
「湯浴みの準備がととのいました」
「ありがとうございます」
「はぁーっ……」
小さな湯舟に浸かりながら、深いため息をつく。
(これでよかったのかなぁ……。深く考えても仕方ないんだけど)
いつものように、旅の後は念入りに湯浴みをし、汚れを落とす。そして、久しぶりのルーティンである。薔薇化粧水を髪と体にたっぷりつけ、ドライヤーで乾燥し、髪を整える。
念入りに祈祷を行った後、疲れ切ったナスターシアは、ベッドで泥のように眠った。