78 352-10 最高速チャレンジ(2748)
『聖ナスターシア修道院では、騎士修道会の立ち上げのため、修道騎士と寄進を募集しています』
ローディア王祝福の儀のあと、そんな公示がなされた影響で、修道院にはひっきりなしに人が訪れていた。
寄進の受付はイーファに任せ、修道騎士会の受付はアランに任せておいた。二人とも適当に人を使って、うまくやってくれているようだ。
クレールは、ナスターシアへの面会希望をことごとく拒否して、あしらってくれている。
(うむ、持つべきものは有能な部下だな! 部下ではないか……)
「ナスターシア様、折り入ってお耳に入れたいことがございます」
「なんでしょう? シスター・クラリス」
クラリスが持ってきたのは、ジョエル様とフランがトーナメント大会に出場するために出かけたという話だった。
「やはり、ナスターシア様とシャルル王子の恋路に、護衛という立場を利用して横恋慕しているという噂は本当だったのでしょうか?」
「どうして?」
「王子様との恋なんて、世の女性全てが憧れるような素敵な話じゃありませんか! ましてや、ナスターシア様は聖女に成られる前は商人の子で、平民なのですよ! これが応援せずにいられましょうか!」
「なんか、私の所為でジョエル様がお邪魔虫に思われてるみたいですけど、逆ですからね! 横恋慕はシャルル王子です」
ナスターシアは、色を作して反論する。
「え? そうなんですか? 王都で共に一夜を明かしたと……はっ!! 失礼しました! 出過ぎたことを言いました!」
(まさか、ともに一夜を明かしたのはリデリア王女です、なんて言えるはずもなく……。そんなこと言ったら、キスの噂が本当かとか聞かれそう。おおかた侍女が喜んで噂を吹聴したに違いない)
そういう、ゴシップはとにかく人々の好むところのようで、尾ひれ背びれがついて、大変なことになっているようだ。なるべく触れないように無視するのが一番かも……。
「今回のトーナメント大会で、こっそりジョエル様が消されるかも知れないという噂もありますけど……流石に杞憂ですよね?」
「どっ! どうしてっ!!」
「え? シスター・クレールも、遅かれ早かれそうなるだろうって……。あの方は、もともとジョエル様を嫌ってましたから。大した功績もないのに、ナスターシア様に重用されてるって……」
(ああ、組織って、そうだよね……)
だが、看過出来ない。
トーナメント大会に行かなければっ!! って、あれ? そういえば、リューネ様に地図をもらってた筈。
(あの人って、本当に得体が知れない)
「私、準備してトーナメント大会に行ってきます。帰りは、ジョエル様と一緒に帰ってくるので長くなると思いますが、留守中はよろしくお願いします」
「あの……留守とは言いにくいのですが……」
「病気で人に会いたくないことにしといて!」
会場のポセヴェ近郊は、タルニア大公国の海沿いの街で、他国からは海路で行くのが便利だが、ことローディア王国に関して言えば王都からは陸路で行けた。
修道院からだと、距離的にはセルヴィカと同じくらいである。なので、馬車だと十日ほどかかる。しかし、直線距離では三百キロもない。
折角なので何分で着くか、最高速チャレンジといこう。
思えばこのとき、お金を持って宿屋に泊まればいいと思っていた時点で、すでに失敗は始まっていた。
トーナメント大会開催の前日。
ナスターシアは、朝から支度を整えてタルニア大公国のポセヴェに向けて出発した。
全身を甲冑で固め、念のため毛布を丸めたものとお金の入った袋を持って……。服は、甲冑着用時用にクラリスに頼んで短く切り詰めてもらったものを着る。足下はハイヒールは諦めて、ベタ靴で戦闘態勢を整えておく。
しかし、いくら甲冑姿とはいえ、もう男というのには無理がありすぎた。しかも、チェストプレートはしっかり女性の胸の形に近づけてある上、腰から足にかけての形が完全に女性のそれになっていた。
「いってらっしゃいませ」
クレールとクラリスに見送られて、一人旅立つ。
「後をよろしくお願いします」
そう言うと、ナスターシアはヘルムのフェイスガードを降ろす。
冠羽が閉じられ、バイザーのような目元が特徴的な外見になる。翼を生成し、飛び立っていく。
「行ってしまわれましたね……」
「ご無事を祈りましょう」
ヘリの速度はだいたい二百キロ毎時。それは、その構造上の限界なのだが、ナスターシアの場合はオスプレイのような機体のそれに近い。
しかも、プロペラではないので、ひょっとしたら音速超えも狙えるのかもしれない……。
やってみようっ!!
方位磁針と太陽の位置を確認しながら、飛行する。
磁石と頭に叩き込んだ地図だけが頼りである。迷子になったら、帰れなくなること請け合いだ。
高度を上げ、空気の密度が下がるのを感じる。と同時に寒い!
目視の感覚では高度がよく解らない。二千メートルくらいだろうか。低い雲の少し下になる。氷点下という事はないが、とても寒い。
とりあえず、全速力チャレンジを開始!!
少しでも気を緩めると方向が変わってしまう。真っ直ぐ飛ぶバランスが難しい。翼の場所と形状の所為かもしれない……。
数分もせずに、甲冑が冷えて痛い……。だが、めげずに頑張る!
どんどん容赦なく加速する。
神力の出力を上げていく。
ねっとりとまとわりつく空気が重い。
翼の空気抵抗は、ゼロなのがありがたい。
だが、翼の付け根に力がかかりすぎて、もげそう。
ついでに、甲冑ももげ飛びそう……。
(だめだ、休もう……)
ヘリの感覚しかないので、どれくらい速度が出ていたかわからない。
ピトー管でも開発する? でも、計器が読めないと意味がない。
高度と速度を落とし、地形と太陽を再確認する。
眼下に広がるのは、ヒースの生い茂る一面の荒野だった。なんの特徴的地形もない……。
まさかの迷子か? と、思ったがそんなことより寒い!!
とりあえず適当に降り立って、背中のリュックから毛布を取り出す。
「だーっ!! 寒いっ!!」
ナスターシアは、ヘルムを取り、甲冑を一部外す。
ガクガク震えながら毛布にくるまり、しばらく日光浴を決め込む。
「さっっむ!!」
あったかい……。地面は、太陽の光に温められて、ほの暖かい。加えて秋の陽光が優しく温めてくれる。
高速飛行の敵が、空気よりも気温だったのは意外だった。真冬装備が必要なのね……。
ここがどこだかわからないけど、とりあえず海に出ればなんとかなりそう。ま、海岸に出てから、二択になるんだけど。
小一時間、祈りを捧げながら暖まる。
(そろそろ、行こう)
誰もいない荒野を後に、今度はのんびりと飛行し、ポセヴェを探す。
ほどなく、海岸沿いに街を見つけた。
(なんだ、わりと近くまで来てたんだ。ということは、あの荒野が会場かな?)
いつものように、手前で地面に降り、歩いて目的地を目指す。
ヘルムは目立つので脱いで手に持った。