75 352-10 ローディア王祝福の儀 4教皇(3019)
いよいよ、明日はローディア王祝福の儀が挙行される。好天にも恵まれそうだ。
今朝も、王都には爽やかな風が吹いている。肌寒さも感じさせる冷たい風だったが、陽光が暖かく降り注ぎ、温もりを与えてくれていた。
「おはようございます、リデリア殿下」
「おはようのキス……」
リデリア王女は、結局朝までナスターシアの隣で寝ていた。二人とも寝衣にも着替えず、はしたなく、ただ惰眠を貪ったのだ。
自堕落……そんな言葉がぴったりの一夜。
「あ、朝からですか?」
ときに抱き合い、ときに蹴られながら迎えた朝。
そっと、リデリアの頬にキスをする。
「ナスターシア様は、男なのだから寧ろ私と結婚すべき! そうだ! どこか外国に養子として行って、私を娶ってよ!」
なんだかもう、滅茶苦茶である。
今は神力の影響で一時的に魅了状態にある……そう願うしかない。
「さあ! 起きて支度しましょう」
わざと、リデリアの言葉には応えずに、起きて身支度をととのえ始める。先ずは、朝の湯浴みから。
「どうしてリデリア殿下がご一緒されるのですか? 王族の方の湯場は、別なのでは?」
「一緒に入ろう!」
「ダメです!」
押し問答をしていると、侍女達が集まってきてくれた。
「殿下、ダメですよ! ナスターシア様もお困りです」
「やーだっ! 二人で入る~!」
チラリとナスターシアを伺う侍女達。
「カイル様に怒られてしまいますから、今日と明日はダメです。明後日ならいいですよ?」
(ふふふ、その時はもういませんけどね~)
「それより、洗髪して一緒にドライヤーしましょう!」
「……そうじゃな」
だが、リデリアも侍女達もなぜかとても納得したようだ。幼い王女は、侍女達に連れられて自分の湯場へと向かっていった。
後で聞くところによると、リデリア王女は髪の毛を洗うのが嫌いなのだそうだ……。
(猫かっ!!)
湯浴みを終え、リデリア王女とキャッキャ言いながらドライヤーで遊び、所謂お清めが終わる。
そう、湯浴みとは単なるさっぱりする行為ではなく、お清めなのだ。
少なくとも、形式上は……。
一日、明日の段取りや準備で慌ただしく過ぎていく。
王宮内も、整理、整頓、清掃のあと、飾り付けがされていく。騎士達は、各々プレートメイルと儀仗の手入れに余念がない。
そんな忙しい最中、さらに余計なことが発生する。
教皇が現れたのだ。
事前に情報は得ていたものの、断ることも出来ず、半ば強引に来宮されたのである。直属の騎士達がわらわらと護衛につき、王宮は突然の客にごった返し、騒然となる。直属と言えば、獰猛さで知られるフェローチェ騎士団が随行していないだけマシではあった。
「騒々しいな……」
侍女達に手伝ってもらいながら、最終の衣装合わせをしていたナスターシアは、特注したハイヒールの靴を履き、アンクレットをはめる手を止めた。急に騒々しくなった王宮内の雰囲気を不審に思ったのだ。
「ナスターシア様をお護りしろ!!」
ドカッ!!
突然、ドアが開く。
王国の騎士達が入り口付近を固めている。
(おいおい、なんだよ……。着替えが終わっていたからいいものの……)
「何事ですか!?」
侍女の一人が、邪魔な騎士に抗議の声をあげる。
「危険です、お下がりください」
という返事が終わるか終わらないかのときに、甲冑姿の二人の王子が騎士達をかき分けて入ってきた。
「ナスターシア! 済まぬが教皇に会ってやってくれ。姿を見せるだけで構わん!」
「シャルルの言った通りだ。そこに立っていろ!」
(あーあーあぁ……。もうっ、勝手なんだからっ!!)
「フォーム、ハルバート……」
万が一に備えて、ハルバートを生成して一人部屋の奥に下がる。
「私の周りは危ないから、離れて下さいね」
真っ白なドレスを着て、ハルバートを構えるその姿は、予言にある守護天使そのものである。
すぐに、教皇が騎士達とともに現れた。お爺様も一緒だ。とても顔色が悪い……。
「お前が、ナスターシアか! この女狐めがっ!!」
いきなりの教皇からの罵声。
「どんな手を使ったか知らんが、お前はカイル様の使者などではない! ただの魔女だ、異教徒だっ!!」
「何を根拠にそのようなことを仰るのか?」
お爺様、ヘロンが静かに問う。
「根拠だと!? 神の奇蹟だとかぬかしおって、異教の技を使うと聞いたが? 完全に魔女であろう!」
「それでは、カイル様の敬虔なる信者には、決して奇蹟など起こせぬと言っているように聞こえますな」
「ぐぬっ、そうではない!! 我がフェローチェ騎士団の者達はみな敬虔なるカイル様の信者である。そして皆、その信仰の証として神の奇蹟をその身に得ておるわっ!」
「そうでしょうとも、あの騎士団を創設したのは他ならぬこの儂じゃからの。よく知っておるぞ」
「だが、あの女のは魔法だっ!! 魔女なのだっ!! 今この場で拘束し、裁判にかけるべきだっ!!」
(悪名高い、魔女裁判か……)
「いいでしょう」
ナスターシアだ。大人の都合で展開される勝手な会話に、少々切れ気味なのが心配な感じである。
「では、今この場で、神明裁判といきましょう、教皇様。よもや、こんな小娘に負けるようなことはないでしょう?」
不敵な笑みとともに締めくくる。
「神の御意志でもない限り……」
しばしの沈黙があったが、シャルル王子の笑いがそれを破る。
「はははははっ! この聖女に敵うものなど、そうはいまい。教皇殿! いかがかな? あなたが悪魔であることが曝露されてしまいますぞ?」
「ぬうぅっ!! だが、我が皇帝ビクトール様を差し置いて、ローディア王を祝福するなど許されることではないっ!!」
「それについては、機を見て祝福に伺いましょう。カイル様の御名において、平等に扱うことを誓います」
なに? と驚いたのは、今度は王子達も同じだった。だが、今は口を挟まない。
「それでは、我等の沽券に関わるのだ! お前は、私の下で私の指示に従え!! 私こそが、現世に於ける唯一無二の神の名代なのだ!!」
教皇の身勝手な言い分に、遂にナスターシアの、いや路加の堪忍袋の緒が切れた。
「帝国の教会が、民の支配に神への信仰を利用しているというのは知っています。あまりに都合良く、自分たちの意のままに決定を下すための方便として濫用し、権力を恣にしていると。いいですか……」
なにやら教皇がナスターシアの発言に割って入ろうとするので、叫ばざるを得なくなった。
「カイル様は、酷くお怒りです!!」
「失墜するのは、あなたの権力であって、カイル様への信仰ではありませんっ!! その豚のような醜い頭が、胴体とさようならしたくないなら、私に跪きなさい!!」
お爺様は、あちゃーと頭をかかえる……。どうやら、マズイ展開のようだったが、今さらどうしようもない。
天の怒りを前に、その場にいた全ての人がナスターシアに跪く。
教皇はナスターシアの剣幕に気圧され、身の危険もわかっていたので不承不承おもむろに跪いた。
純白のドレスに身を包んだ、流れるような白銀の髪と吸い込まれそうなアメジスト色の瞳。その唇はリビングコーラルに艶めき、アクセサリーの青金石が彩りを添える。
ハイヒールの靴を履いて、すっくと立ち、権威として、誰もが疑いようもなく申し分ない立ち姿だった。
面従腹背。教皇の瞳は、だが明らかに敵愾心に溢れていた。
教皇の権威が失墜し、カイル様の守護天使が教皇の上に立った歴史的瞬間であった。同時に、束の間の戦間期が終わり、再び戦乱が訪れようとしていた。その様子を見ていた王国騎士の一人は後、吟遊詩人に興奮気味に事の仔細を伝えたのだった。