70 352-10 修道院長(2539)
工房にいた黒ねこは、修道女が飼っていたものだった。
どうやら、食料庫のネズミ番らしい。
よくわからないが、甘えてくれるので、また触りに行きたい。
朝の支度をととのえて、特別につくってもらったバルコニーに出てみる。服は、昨日の夜のうちにクラリスが修道服の裾と袖を詰めてくれたので、それを着る。
秋の朝のひんやりとした静謐な空気が、心地よい。東雲が彩りも美しく、空に浮かぶ。
バルコニーの先の方に、スズメが集まっていた。
(ちょっと、神力を漏らしてみようかな……)
ナスターシアは、その場で祈りを捧げつつ、回りに行き渡らせるイメージで漏らしてみた。
……特に効果はない。
「ナスターシア様」
イーファが昨日の黒猫を抱いてきた。
「おはよう。どうしたの?」
「この子、ノミがいる場所を教えてくれました……」
「えっ? 動物にも効くんだ!?」
「そうなんですけどね」
イーファは、なぜか困り顔だ。
「私から離れてくれなくなりました……」
ああ、猫にマタタビみたいなものか? 気持ちよかったんだろうな。ノミも取ってもらえるし。
「良かったじゃない! ちゃんとお世話してあげてね」
(ちっ! 羨ましい! 私も神力漏らしを試してみたけど効果ないし!)
ナスターシアは、そっとイーファが抱く黒猫に手を伸ばす。
特に怒ったりせずに、撫でさせてくれた。
いいこ、いいこ。
体が汚れているためか、ちょっと、ごわついている。
「お風呂に入れてあげて。あと、名前は?」
「名前ですか? うーん、トムで」
「今つけたの?」
「はい」
「男の子かぁ……」
「いえ、女の子です」
「紛らわしいわっ!!」
子供産んだりしたら、『トムが子供産んだよ!』とか言うのか……。
「じゃあ、トマで!」
「一緒だよっ!!」
「だって思いつかないし~。何か付けてあげてよ」
「ぐむむ……。もう、トマでいいです……」
トマは、イーファの腕の中でゴロゴロと喉を鳴らした。
(ジェリーって感じでもないしな……)
トマを撫でたりして、遊んでいると馬車の車列が入ってくるのが見えた。どうやら、修道院長に任命された人が着任するみたいだ。
「ナスターシア様」
クレールが迎えに来た。
「修道院長ね」
「左様です。お出迎えをお願いします」
聖堂の入り口に向かうと、既に修道士と修道女が並んで迎えているところだった。
「私が、今日からここを預かる大司教、ニコラである。皆、神のために修道に励むが良い」
ニコラと名乗った大司教は、見るからに悪党だった。ぶくぶくと太った体に、分厚い唇の頭がのっていた。動作ものろく、脂ぎっていた。
一体なにを食べたらそんな体になれるのか……。
「初めまして、大司教ニコラ様。ナスターシアと申します。以後、よろしくお願いします」
ニコラは、顎を上げてナスターシアを見下ろした。まるで、汚いものでも見るかのように……。
「お前が、そうか。幼いな……。まあ、よい」
ニコラは、祭壇の前まで進むと振り返り、全員の前で宣言する。
「今日からは、私がここの責任者だ。私の言うことをきくように! 反抗は許さない」
ニコラは、不意にクレールを見据えた。
「まあ、偉そうに? だと?」
クレールは、びっくりした。
「どうして? 考えていることがわかるの? ……そうだ、私に隠し事などできないのだ」
ニコラが、ナスターシアを見る。
ナスターシアは、ゾクッとした。心の中を無理矢理覗こうとしているようだ。全力で抵抗する。
「ナスターシアよ、抗うな! 今晩、私の寝所に来い。かわいがってやる」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべるニコラ。
「ここの修道女は、全員私のものだ。大丈夫、平等に扱ってやる。ふへへへへへ」
「ああ、変な気を起こすなよ、ナスターシア。私に何かあれば、帝国におわす教皇様が黙ってはいないぞ。お前らなど、ひとひねりだ」
気持ちの悪い空気が満ちる。
「ニャーン」
「誰だ、猫なんて連れてきたのは!?」
イーファがトマを抱いて、ニコラの近くに歩み寄る。
「キショい? なにごとだ、貴様!!」
「ヌルッとした外見がキモイっつってんの!! このエロ豚!!」
「なんだとぉっ!! 神に仕える騎士達よ、この不敬な輩を殺せっ!!」
すかさず、ナスターシアが両者の間に立ち、両方を睨む。
イーファは、トマを降ろした。
「「ニコラ様、何をしにきたのですか?」」
「ぐぬっ!! 貴様、このっ!!」
ニコラは、イーファの神力に気づいた。そして、全力で抵抗している。その顔は、苦痛に歪み、その手は虚空を掴もうともがく。
「もう一度聞きましょう、「何をしにきたのですか?」」
「くっ……」
イーファは、さらに近寄り、ニコラの胸を服の上からまさぐる。
ニコラは、必死に抵抗している。その手を取り除こうと振り払うが、上手くいかない。体を動かすことに頭を使うと抵抗が疎かになってしまうからだった。
「「正直におなりなさい。何をしに来たかと聞いてます」」
イーファの手が、ニコラの乳首を刺激した瞬間、彼の心はイーファに屈した。
「はい……。聖女ナスターシアを我が物にし、犯し尽くし、壊して、その首を教皇様に献上するために来ました。夢のようでしょう?」
「「では、ここにいる騎士達をどう思っていますか?」」
ニコラが、イーファの胸に手を伸ばすが、ぴしゃりと叩かれた。
「騎士たちは、神の意志と言えばなんでも言うことを聞くアホです。都合のいい道具です。神のために死ねと言えば死ぬことさえ厭わないのですから……。神すなわち私のために死ぬのが彼等の務め」
「だそうだ、お前達。不憫だな。なにか聞きたいことはある?」
騎士の一人が声を上げた。
「私の妻と寝たのか?」
「「彼の妻と情事を為したのか?」」
ニコラは、酩酊した様子で騎士の方を見る。
「ああ、奴の女か。なかなかいい声で鳴いたぞ。胸の感度はイマイチだったが、入れてやったら悶え狂って喜んでいたな」
「っ!! このぉっ!! 殺してやるっ!!」
「待て、殺すな。汚れるし迷惑だ。」
イーファが制止する。
「外壁に幽閉しておけ」
「はっ!」
どうしてイーファが命令しているのか……。そして、なぜそれを聞き入れるのか……。
何度もイーファの神力を受けて、自我も怪しくなったニコラが連行されていく。
他にも聞きたいことがある者は、後日聞くこととなった。
「トマ、おいで」
「ナー」
黒猫を抱いたイーファは、その後、さらに修道女達に恐れられることになった。