69 352-10 ブランドの立ち上げ準備(2595)
翌朝。
服がない!
マキナスとの修練で、めちゃくちゃになってしまったのだ。
単に、ちゃんと鎧姿にならず、中途半端にそんなことをした自身の所為なのだが……。
服が、まったくない訳ではなかったが、修道院で着て違和感のない服がなかった……。
「クレール、これはどう?」
「……ダメでしょうね」
ナスターシアの手にあったのは、男物の服だった。
男装用……。
異性装は、もちろん禁忌である。ましてや、王族の前に出るなどもってのほかである。
そろそろ、五月祭のときに着ていた服でも良さそうだが、あいにくとフェリアに置いてきてしまい、手元にない。
仕方なく、一番小さいサイズの修道服を貸してもらうことにした。
「かなり、大きいかな……」
ナスターシアが着ると、袖も裾も余ってだぶだぶだった。
「それはそれで、可愛いかもしれません」
「仕方ないので、これでお見送りに行きましょう……」
王子達が出立する。
そのお見送りに、ナスターシア達も姿を現した。
ナスターシアがだぶだぶの修道服をズリズリと地面にズリながら、手も出ない袖で、手を振る。
「お気をつけて~」
「何て格好を……。ナスターシア、余がすぐ新しいものを送らせよう」
「あら、お兄様。修道院には、この方が似合っているかも知れませんよ」
リデリアは、おかしかったのか笑い出した。
「では、祝福の儀で会おう! さらばだ!」
王子達の馬車と護衛の騎士達は、また街道を王都へと向かって出発していった。
「さて……。修道院の商売のタネでもまきますか! シスター・クラリス! イーファを呼んでください」
「かしこまりました」
ナスターシアは、自室に戻るとイーファを待った。
「ナスターシア様、お呼びでしょうか? ぷっ……」
イーファが来た。クラリスも一緒だ。
「笑わないでよ!」
「いや、だって……。なによ、その極一部にウケる感じは!」
イーファのツッコミ。ナスターシアの修道服の話題でしばし盛り上がる。
「イーファさんを呼んだのは、工房の責任者をしてもらうためです」
「工房の責任者? 嫌よ、そんな。面倒なこと!」
「失礼ですよ! シスター? ……イーファ」
クラリスが咎めるが、イーファはあまり気にしていないようだ。
「金勘定とか、材料手配とかかったるいしー。私は、ほら、縛ったりとか、叩いたりとか、刺したりの方が得意だからさぁー」
クレールとクラリスがドン引き……。二人とも、どうしてこんな人がナスターシアと知り合いなのか? と、不思議がった。
「大丈夫! そういうのを得意な人を探して、やらせればいいんだよ。うまくみんなを動かすのが、やって欲しいことなんだから」
「ほう! つまり、鞭をふるえ、と?」
「うーん、間違ってないけど、間違ってるって言うか……。とにかく、一度修道女たちを工房に集めて、説明しましょう!」
「シスター・クレール。夜の食事のあと、工房に集まるように伝えてください。時間はとらせませんので」
「なあ、ナスターシア! ……様。そんな威厳のない格好をするくらいなら、いっそ男物でも着た方がマシなんじゃない? もう、王子達もいないんだしさ~。持ってるんでしょ?」
「そうねぇ……」
夕食後……。
「では、これより工房の運営について聖ナスターシア様の説明を伺います」
クレールの声で、ナスターシアが工房に入る。
白の幅の広いハーフパンツに青いジャケットを合わせ、髪の毛を結い上げたナスターシアが現れた。
初めて見るナスターシアの男装姿に、どよめきが起こる。
胸を潰したりしていないので、完璧からはほど遠い仕上がりではあるが。
「ああ、おみ足にかぶりつきたい……」
「な、な、な、なんて破廉恥な……でも、いい」
「修道女になって良かったって、初めて思いましたわ」
「静粛に!」
クレールが鎮めてくれる。
ナスターシアは、演壇(という名目のただの箱)に登り全員を見渡して、話し始める。
「私は、今後ここで、いくつかの化粧品を製造しようと考えています。わたくし自身の名前を冠したブランドとして売り出します」
「先ず、品目ですが、私が愛用している薔薇の香水、ファンデーション、アイライナー、化粧筆、そして化粧水です。上手くいったら増やすかも知れません」
「そのために、何名か専門にやってもらう人が必要です。まず、原料手配。原料は王国各地から集めます。必要なときに必要な分だけ調達し、使った分の管理、残った量の管理をしてもらう人」
「次に、原材料を買い、製品を売るお金の管理をしてもらう人」
「そして、不良品がないかすべて確実に確認する人」
「最後に、これらの人達を統括管理する人。これは、私からイーファに頼んであります」
当然のようにざわつく。
あんな新入りに? とか、どんな手を使って取り入ったのか? など、まあ、どこでもそんなものだろう。
「あー、怖いので、怒らせないように注意してください」
ピタリと声が止んだ。
「話し合っていただいて、来週のこの時間にもう一度お集まりいただきますので、そのときにお知らせください。以上です」
「あのぅ……。つくった物は使ってみてもいいのですか?」
「はて? 何のためにでしょう?」
質問した修道女は、ギクリとして顔を伏せてしまった。
修道女は、純潔を守り、終生を神に捧げるのにどうして必要なのか? とナスターシアは最初思ったが、修道女は給金をもらえないので、それではあんまりだと思い直した。
「そうですね……。では、週に一度、日曜日だけは自由に使っていただいて良いことにします。そのとき、気づいたことがあれば、イーファに知らせてください。もっといいものにするために、改善していきましょう。あと、事業が軌道に乗れば、化粧水だけは支給できるように考えます。カイル様も修道女が自信を持って生きられることを願っておられるでしょうから……」
「ニャーン」
ようやく、会も終わろうかというときに、猫の鳴き声がした。
「ダメよ、こら」
全身真っ黒な黒ねこだった。
黒ねこは、ナスターシアめがけて駆け寄り、演壇に登り、スリスリと体を足にこすりつける。
(か、かわゆいっ!)
どれどれ、とナスターシアが黒ねこを触ろうとすると、クレールがすかさず注意する。
「ダメですよ! ノミがつきます!」
(ああ、そうですね。絶対いますね……。お風呂に入ってくれる子ならいいかもだけど……。あっ、そだ)
ナスターシアは、猫を持ってイーファに渡した。
「ノミがいないか聞いてみてください!」
「無茶いいなさんな!!」
(動物は無理なのか……)