07 352-02 宿場町ロスティス襲撃(上)(3276)
カイル暦352年、2月。
深夜の宿場町ロスティスの宿。
2月の深夜は、かなり寒い。
ロスティスは、小さな宿場町で宿屋と言っても大きくはないし、お世辞にも立派でもない。時折、鎧戸が風でガタガタと揺れる。
ナセル、兄マルセルと侍女のリュシスは、取り引きの見学のために腕利きの護衛四人を伴い父サイモンとロスティスに来ていた。
リュシスは、去年の夏にマルセルが王都の修道院から、側仕えにするために引き取った孤児である。
「リュシスどうしたの? 眠れないの?」
リュシスは終始落ち着かない感じで、なんだかそわそわしていた。
「それが……、その……」
リュシスとナセル、マルセルは同室で、サイモンと護衛二人が隣の部屋、外に見張り二人となっていた。
「マルセル兄様といっしょだから、緊張してるんでしょ?」
ナセルを真ん中に三人で一つのベッドに寝ていた。マルセルは鈍感なのか、ぐっすり眠っている。
ナセルは、1年前に比べて髪が伸び肩甲骨に届くぐらいになっていた。なぜか体は少し丸みを帯び、とても柔らかくなっていた。見た目は、女の子が男の子の服を着ているようにも見えた。
「あの……、私……」
すきま風が、ナセルの頬を撫でる。
いくらなんでも、リュシスの様子がおかしすぎる!
馬車で町に着いたときから、ずっとリュシスはなんだかいつもと様子が違っていた。夜になれば落ち着くかと思ったが、さらに酷くなっている。
「リュシス……。なにか隠してるでしょ?」
「!」
暗がりのなかで、彼女の表情がこわばり緊張が走るのがわかる。
「言いなさい!」
静かに、しかし有無を言わさない口調で問い詰めるナセル。
「に、逃げましょう!」
「ちょっと、何言ってるの?」
ガバッと突然羊毛の厚手のブランケットを払いのけ、リュシスが起き上がる。
年上で体の大きなリュシスの背中を、ナセルは抱き、小さな白い手でさすってやる。
リュシスが何か言うが、狼狽して何を言っているのか聞き取れない。
「とにかく、逃げましょう!」
逃げようの一点張りなので、仕方なくナセルは彼女を連れて外に出ることにした。
そっとベッドから抜け出し、二人で部屋の外に出る。外には護衛剣士のジャンが立っていた。
「ちょっと夜風に当たってきます」
そういうと、ナセルはリュシスを連れ出した。
外の空気は、より一層冷たく感じられた。防寒具なしに長くはいられない。吐く息が白い。
「リュシス、話して」
外の空気を吸い、少し落ち着いたところでリュシスは話し始めた。
バタンッ!!!
「お父様!!! すぐに出立をっ!!」
ナセルは、部屋の外の護衛にも声をかけ、サイモンに告げる。
「襲撃があるかもしれません」
サイモンは飛び起き、瞬時に状況を理解した。
「わかった。私の鎧を準備してくれ! 皆も準備を整えよ!」
いつ戦闘になるかわからないため、万全を期す判断をした。
「マルセル様! 起きてくださいっ!」
「ふぇ?」
マルセル兄様は、肝がすわっているのか間抜けなのか、護衛剣士が起こそうとしても、なかなか起きない。
ナセルは、隣の部屋でリュシスと父サイモンのプレートメイルの装着を手伝っていた。
「なぜ襲撃がわかった?」
ナセルは、手を動かしながらリュシスから聞いたことを説明した。
そうか、とだけサイモンは言った。
「襲撃だーっ!」
誰かが外で叫ぶ。
外が騒がしくなってくる。
火矢を打ち込まれたようで、だんだん煙の臭いが増えてきているのがわかる。
「早く外に出よう!」
「旦那様、早く!」
大きな剣を担いだ大柄な剣士が声をかける。護衛剣士のコルネーユである。比較的軽装で鎖帷子をシャラシャラいわせながら、一行を急かす。
支度ができたナセルたちは、急いで宿屋の階段を駆け下り、外に出た。
ロスティスは、小さな宿場町で帝国領にもほど近い。守備隊の兵力や練度は、全く見るものがなかったが、そこまでして守るものがないのだ。町を囲っているのは腰ぐらいの高さの土塁しかない。襲撃を受けることを想定していないため、弱かった。
外には剣や斧、弓を構えたガラの悪そうな三十人程度の集団が距離をとって取り囲んでいた。殆ど防具を着けていなかったり、あっても鎖帷子しか装備していないところをみると、盗賊団なのか農民あがりなのか。
ほかの襲撃者は、小さな町の家々を手当たり次第に蹂躙している。そこかしこから、悲鳴が聞こえる。
宿屋の従業員やほかの客、あわせて10人程もぞくぞくと火の手の上がる宿から外へ避難してきた。だが、包囲されていて逃げ場がない。
熱い!
宿から離れると敵との距離が詰まる。
「ロジェ! アラン! お前達二人は、みんなを頼む! ジャンとコルネーユは私に続け!」
サイモンは護衛の剣士四人に役割を割り当てた。全員、ヘルムのフェイスガードを一斉に下ろし、臨戦態勢をととのえる。
剣士達はみな屈強で、鎖帷子とプレート入りコートを装備し、そのうち一人は馬鹿でかい幅広の両手剣を手にしている。
すぐさま、包囲している集団に対して威嚇し距離をとらせ、宿屋から少しでも離れられるようにした。
辺りを見回しても囲まれていて良く見えないが、逃げ惑う住民達の阿鼻叫喚であふれている。土埃と血の臭いが満ちる。
炎が、襲撃者の暴虐を赤く照らす。
こちらの戦力はたったの五人。周囲に限っても6倍以上の絶望的な戦力差である。
「お兄様……」
ナセルが怯えてマルセルの袖口を掴む。
マルセルはナセルの手を握ってやる。
リュシスは、気丈にも敵を睨み付けている。
(こりゃ、まずい……)
「大丈夫」
マルセル兄様は、無根拠な励ましをくれた。
サイモンと二人の剣士は、宿屋を取り囲む襲撃者を排除すべく切り込んでいく!時折弓が放たれるが、サイモン達には全く効果が無い。
それよりも宿屋の一般人の方がはるかに脆弱だった。
父の護衛剣士ロジェとアランは自分たちを護ってくれているが、その他には手が回らない。流れ矢に当たって怪我人が増えていく。残念だが全員を無傷でというのは、叶いそうにない。
サイモンとその護衛の剣士達は強かった。火の粉が舞い、赤く照らされる中で、襲いかかってくる敵を次々に無力化していく。一人、二人……。圧倒的な強さを前に、逃げ出す敵もいた。その剣は速いだけでなく、どこにそんな力があるのかと思うほど力まかせであった。
強引に引きちぎられる腕や胴体から、血が撒き散らされる。剣戟が響く中、敵わないと悟った敵は、じりじりと後ずさる。
相手が怯み、戦闘が小康状態となると奥から真っ赤なプレートメイルのひときわ大きな戦士が現れ、前に進み出た。
「おお、おお。やってくれるじゃねぇか。こんなに殺ってくれるとはな」
「ウルサス様!」
侍女のリュシスがマルセルの隣で大きな声で名を呼んだ。そして、そのまま敵の頭目に向かって駆け寄る。なぜだ!
「ウルサス様、もうお止めくださいっ!!」
悲鳴にも似た叫ぶような声で懇願する。
「お前がさっさと片付けねぇから、こんなことになってんだぞ。解ってんのか、この小娘!」
「すいません。申し訳ありません」
赤い戦士は、持っていたハルバートの柄でリュシスを押し、剣を構えるサイモンの前に突き出した。
「お前もいますぐ家族のところに送ってやる」
「えっ? きゃーっ!」
ゴッ!!
赤い戦士がハルバートをリュシスに振り下ろそうとすると、その瞬間にナセルの掌底がハルバートの柄を打ち、軌道が逸れたそれは、そのまま地面に吸い込まれた。
リュシスが小突かれたとき、既にナセルは全力で突っ込んでいたのだ。
かつての軍での訓練で染みついたマーシャルアーツのせいで、勝手に体が動く感じだ。
敵を倒せ!!!
ナセルはそのまま赤い戦士の懐に潜り込み、股間を蹴り上げる!
ゴスッ!
(痛った! ガード付けてる!!)
「ならば!」
今度は渾身の肘打ちを腹にお見舞いする。
カーンッ!
(痛ぇ!!)
「だとし……ごふぉおっ!!」
拳が飛んできて、ナセルの側頭を痛撃した!!
咄嗟に腕でガードしたものの、その衝撃は凄まじく、まともに喰らっていれば小さなナセルには致命傷になりかねないほどだった。
「餓鬼がっ!!」
蹴りが飛んでくる!!
避けられない!!
当たったら死ぬ!!
ダメだ!!
またしても短い人生だった……。