66 352-10 敷かれていく道筋(2639)
シャルル王子とリデリア王女を連れて、修道院内を案内する予定だったが、あいにくの雨のため、足下がぬかるんできている。
明日、雨が止んでいたらということになってしまった。
暇を持て余してしまう。
「兄上はあのように言っていたが、どうなるかはわからない。あまり期待せぬようにな」
そばかすだらけの顔で、つんとすまして言い放つリデリア。
ナスターシアは、聖女とされたが貴族ではない。どう接していいものか、いまいち掴みきれないでいた。
「はい」
「どうした? 浮かぬ顔だな。そこのジョエルとかいう男が好きなのか?」
(なんで、そんなにあけすけで、不躾なの!?)
どう答えればいいかわからずに、ただうつむくしかなかった。
シャルル王子は、余裕の表情を変えない。
リデリアは、ふんっ、と鼻で笑うとドアのそばで立つマキナスを呼びよせる。
「マキナス! これへ!」
「はっ」
マキナスは、その低い声で返事をすると、ゆっくりと近づいてくる。
無骨な骨太の骨格をして、鍛え上げられた体に、無表情で機械的な顔をしていた。
「この、マキナスは王国の王直属の騎士団でも最強の騎士の一人だ。だが、心がないと思われていた」
「えっ?」
「マキナスは、確かに表情もなく、喜怒哀楽もなく、感情もないようにみえる。でも、そうではなかったのだ」
リデリア王女は、愛おしそうにマキナスを見る。
「今彼は、私にその唯一の忠誠を誓ってくれている。そして、本当に自分の命に代えて私を守ってくれている。ただ、それだけのために彼は生きている。私には、そう感じるのだ。私も、彼がそばにいてくれて嬉しい」
ジョエルにも、そういうふうにナスターシアと接すれば良いと言いたいのだろうか?
「そこの! ジョエルとか言ったな。マキナスと手合わせしてみぬか?」
「喜んで、お相手致します」
「ここの聖女に怪我をさせられたと聞いているが、大丈夫そうか?」
「お心遣い、感謝します。ですが、問題ありません」
一体どこまで情報を得ているのだろうか?
「では明日。修練場にて、行うとしよう」
明日の予定は……。
「あの、リデリア様。院内の案内の方はいかがいたしましょう?」
ナスターシアは、予定変更の確認をする。
「大事ない。立ち会いの方が面白かろう?」
「ふむ。楽しみであるな。ナスターシアには、もうそのような騎士のまねごとをせぬよう、言っておくとしよう」
(もう、旦那気分かいっ!!)
「よいな!?」
「よくありません……」
「ふっ、ははは! じゃじゃ馬だな。だが、余はそんなところも気に入っておる」
シャルル王子は、急に声のトーンを落として真面目な話を始める。
「人払いをせよ! 婚約者と今後の話をしたい」
普段、色ぼけしているように見せて、それでもなお、臣下に慕われているのは、こんな部分もあるからだろう。
「私とマキナスは、同席致します。なにかあっては……」
リデリア王女がすかさず釘を刺す。
ちらりとナスターシアの方をみる。
「いけませんから」
もともと、兄の暴走を止めるためについてきたのだ。
「仕方ないな。余の寵愛を受けられる、折角の機会だったのに残念だな、聖女よ」
本気なのか? 茶化しているのか?
シャルル王子とリデリア王女、マキナスを残して、部屋を去って行く。
ジョエルは、なにか言いたげだったが、結局何も言わずに出ていった。
「さて、ナスターシア。余がなぜ、改めてお前を妃にと言っているか、理解しているか?」
「おおよそは……」
「そうか、ならば話が早い。周りの人間の安全のためにも、その方がよいだろうな」
「……」
「統治の大義を失いかねん帝国の教会勢力は、恐らく攻めてくるだろう。お前を奪っても良いし、殺しても構わんと思っているに違いない」
「ヘロンの奴が、なにやら腹案を持っていそうだが、帝国に媚びるような案なら、余が手を下すことになる」
「シャルル殿下。仮に私が殿下の妃になったとしたら、王国はその大義をもって、帝国に攻め込んだりしないでしょうか?」
「大人しく、帝国が統治を渡せば良いことだ」
「また、そうなれば、第一王子のフィリップ殿下が黙っておられるでしょうか?」
「兄上と今上陛下、それにヘロンがつるんでおることに、不満を持つものは多い。貴族を蔑ろにし、平民ばかりを大事にするからな。さりとて、兄上も陛下の弱腰には嫌気が差しておられるご様子ではあるが、我慢してもらうしかあるまい。それに、兄上は恐らくお前を消すつもりだ」
「つまり……。私が生きている限り、混乱の原因になる……と」
「思い詰めるでない! 余が幸せにすると言っておる! なにも考えずともよい!」
「シャルル殿下に、世の多くの女性が心惹かれるのがわかる気がします」
翌日。
朝から、前日の雨が嘘のように止んでいた。
悶々として、なかなか寝付けない夜を過ごしたのに、この脳天気なまでの晴天!
何故か怒りすら覚える。
ナスターシアが、準備を整えて修練場へ向かおうとすると、修道女の一人が声をかけてきた。
「ナスターシア様」
その声には、確かに聞き覚えがあった。
(この声はっ!)
「イーファ!?」
懐かしい顔に、思わず声が弾む。
「どうして? お爺様が?」
「実は、昨日来たんだけどね。閉じこもってるから、機会がなくて……。それより」
イーファは、くるっと回ってみせる。
「どう? 似合ってる?」
(……一番、縁遠い感じの人が着てる。見た目の違和感はないけど、心理的な違和感はかなりある)
「うん、似合ってる……よ」
目が泳いでしまった……。
「なによ、そのぞんざいな感じ。それより、修道院長が決まって、就任するそうだから、私が送り込まれたって訳」
「おほんっ。ナスターシア様、そろそろ」
クレールが急かした。見知らぬ修道女が、いきなりナスターシアに声をかけたことが不満というのもある。
馴れ馴れしい、と。
「「あなたの想い人はどなた?」」
「ちょっと! 審問ちゃん!!」
いきなり、イーファの神力を受けて、クレールは廊下の壁にもたれかかり、そのまま座り込んでしまった。
「クラリス……です。とても……愛しています」
「正直でよろしい。だそうよ。あなた、クラリス?」
「え……っと」
クラリスは、普段厳格なクレールがこんな醜態をさらしているのに面食らってしまうと同時に、わかってはいてもまた愛の告白をされて、動揺していた。
「ちょっと、これ、どうすんのよ?!」
ヘタレ込んで、よだれを垂らすクレールを指さす。
「ほっとけば? 代わりに私が行きましょう。ねっ、クラリス」
一体なにが起きたのか、混乱から立ち直っていないクラリスだった。
「あ、私イーファ。よろしくね~」