59 352-09 夏の密かな楽しみ そして展望(2869)
お爺様の長いお話しは、まだまだ続くのだった。だが、流石に喋り疲れたようだ。
「はーっ、疲れたのぅ。水でも貰えんかな?」
アランが応接室のドアを少し開けて、ロジェに伝えると、そこから更にクレール達に伝えられた。
ほどなくして、水差しとカップが届けられる。
「はー、暑いのぅ……。人も多いし」
そういうと、お爺様は水差しに手をかざした。
カラン
水差しの水面に拳の半分ほどの丸い氷が浮いた。
「氷?」
驚くナスターシアに、お爺様は氷を取り出してカップに入れながら応じる。
「そうそう。熱を与えるんじゃなく、奪うんじゃ。夏はコレよな……」
「ご自分だけってことは……」
甘えてみる。お爺様は、ナスターシアの顔をじっと見たあと、全員を見渡す。
「普段はせんからの。今日は特別じゃ」
それでなくても、お風呂沸かし係になりかけているお爺様は、製氷係にされるのを避けるべく、慎重に釘を刺す。
「私、お爺様の部屋に氷室があるんだと思ってました……」
リュシスは、いろいろ家事を手伝ってきたので、何度か目撃していたようだ。
たまに酒宴の席で、ウイスキーのロックを楽しむ姿も見られていた。
領主の館には、何度か氷が運び込まれるのが目撃されている。普段は、遠くの山の洞窟に保管してあるらしい。
単なる贅沢なので、お金もちの道楽として楽しまれている。
フィーデス商会では、そういう贅沢はさせてもらってない。
ヘロンが順番に全員分製氷して、少なくなった水をカップに注ぐ。
「あーっ! 懐かしいですね、この感じぃ~」
ナスターシアは、うっとりして、うっかり本音を漏らしてしっまた。
「懐かしい? 昔はナスターシアだけ、こんなことしてもらってたの?」
マルセルがいぶかる。
「えっ、あっ、内緒でした……すいません」
カップの表面に結露した水が、つーっと垂れる。
「では、続きをしよう」
お爺様が、話の続きを始めた。
先ずは、人事の話。
「リュシスは王都の両替商勤務。頑張って金融実務を経験することじゃ。きっと成果が出ると思うておる」
リュシスは、ちょっと浮かない表情だ。マルセルと離ればなれになってしまうのが、嫌なんだろう。
「マルセルは、今まで通りフェリアの教会で司祭を務める。これは、ワシもあまり手を出せん。王都の大司教の管轄での。何かあれば、呼びつけるから心配するな」
「一番嫌なやり方じゃないですか……。それよりナスターシアが心配です」
「それはそうじゃが……。ナスターシアには修練が必要と思うての。テオドールに掛け合って、ジョエルを借りた」
「それは、危険では?」
「何言ってるのお兄様! どういう意味よ?」
「ナスターシアに迫られて、迷惑じゃないかってこと!」
「アランとジョエルは、ナスターシアの修練係、兼人材発掘係。腕の立つ護衛がもう少し必要なのじゃ。ロジェは王都で護衛任務での。しっかり修練に励め。ミリティア(軍)の編成も必要になる」
マルセルの抗議は、さらっと流して説明を続けたお爺様だった。
「ワシはこれまで通りフェリアに常駐する。いろいろ手配せねばならんことがある。ここには、手紙を託すことも多くなるかもしれん。そのときは、ナスターシアと暗号を使うとしよう」
「暗号?」
小首をかしげるナスターシアに、お爺様が目配せする。
ナスターシアは、目で了解した。
「あと、年明け早々に騎士団を創設する予定じゃ。それまでに、騎士が集まってくるじゃろう。ナスターシアには、頑張って広告塔になってもらわねばならん」
「そんなに上手くいくかな?」
「上手くいきすぎて、困る可能性の方が高い……と、思うがの」
「修道院の工作室は、開発工廠を兼ねておる。女子修道院側は、ナスターシアが好きに使うがいい。男子修道院側は、製紙工房と印刷工房、それに鍛冶場になる。鍛冶場では、武器を大量に作る必要があるからな。職人の育成も急務じゃ」
「製紙工房と印刷工房では、本でも印刷するんですか?」
「いや、紙幣じゃ」
「紙幣?」
アランやジョエル、マルセルには、さっぱり馴染みがない。リュシスは、予習しているから知識としてはある。もちろん、ナスターシアはわかる。
「紙のお金じゃ。いくらでも作れるぞ。大金持ちじゃな、はっはっは」
「そんなめちゃくちゃな……」
「めちゃくちゃかどうかは、お前の嫁の方がわかるじゃろ」
マルセルとリュシスは、そろって赤くなる。まだ、結婚などしていないのに、嫁だなんて……。
いつの間に、お爺様の了解を取り付けたのか。まったく手が早い……。
「成功の鍵は、ナスターシア様が握っておられる! 心せよ!」
「えーっ! 嫌な予感しかしませんよ、お爺様……」
「最後に……」
「まだあるんですか……」
ナスターシアもそろそろ疲れてきた。
「ああ、神力漏れの件じゃ。マルセル、説明を」
「はい。実は最近、神力が溜まりすぎると無意識に漏れていることに気づいたのです。私の場合、『ウォーム』がチョロチョロ出っぱなしになります」
「ダダ漏れ?」
「いえ……。チョロチョロです。私の近くにいると、自然とウォームの効果を受けるようで、安心されます」
「何それ! 自慢?」
「ナスターシア。あなたも気をつけた方がいいです。なんか、こう、周囲の人の様子が変だったら特に」
「みんな変だよ」
「あなたがそれを言うとは……。これは勘というか、感じるんですが……。『チャーム(魅了)』ではないかと……」
「なにそれ、面白い!」
「いいんですか? ヘビに好かれて寄ってこられても……」
「そっ、それは困るよ! どうしたらいいの?」
「意識することで止めることは出来ます。でも、気を抜くと漏れるので注意が必要です。あと、効果自体は多分弱いので期待することは出来ません」
面倒なことだ。だが、言われてみればクラリスの様子がおかしいのは、その所為かもしれない。
重要な話が一段落ついたところで、ナスターシアは心残りなことを相談してみることにした。
「ところで、お爺様。お願いがあるんですが……」
「お願いじゃと?」
「孤児の中に、ミネットっていう女の子がいるんですけど、商会の方で引き取れないでしょうか? どうも、私が王都の火事で助けた子みたいなんですが……そのせいで王都では虐められてたみたいです。でも修道女にはなりたくないみたいなので」
「歳はいくつじゃ?」
「5歳ぐらいかと……」
「そうじゃな、王都でしばらく預かってみるとしようか。家に帰りたくば、それもよし」
「ありがとうございます!」
「一応本人に確認して、問題なければリュシスが王都に向かうときに、一緒に連れてってくれんかの」
「わかりました」
こうして、ミネットは王都のお屋敷へ行くこととなった。
その後もとりとめのない会話を続け、談笑した後、さあ解散というときにアランがナスターシアに告げた。
「そういえば、セルヴィカで買ったバニラですが、先ほど修道女の方にお渡ししておきました。ナスターシア様からのお気持ちです、と。たいそう感激されました」
「……それはそれは。あんなに沢山あっても仕方ないですしね……」
(多分、正しい選択だと思うけど、ちょっと残念……。後で、間違ってもバニラチキンだけは作らないように言っておこう)