54 352-09 聖女の仕事(2730)
修道院に自分の部屋をもらったナスターシア。
あまりに贅沢だと思ったが、とりあえず湯浴みをしてサッパリする。
思えば、セルヴィカへの旅行の出発から、一度も満足のいく湯浴みをできていない。
体中をすみずみまで入念に洗う。
髪はガサガサだったので、特に念入りに。
気になっていた体臭も、すっきりさっぱりである。
ドライヤーは、本来一人では使えないが、無理矢理神力でファンを回してみたところ、案外風がでてきたので、そのまま使うことにした。
これは、便利!
用意してあった服を着る。
下着も新しくなっている。
化粧水も香水もちゃんと用意してある。
大きな鏡まで! 大きいと言ってもせいぜい腕の長さくらい四方のものだが。
服は、5月祭のときに着たものとよく似た紺青色のものだが、生地が薄くなった。そして、金糸の刺繍が増えていた。
ダガーを忍ばせるスリットもちゃんとある。
背が伸びた分の丈も長くなっており、採寸したかのようにぴったりだ。
こうなってくると靴がペタンコなのが気に入らない。
ギルロイ商店に行きたいな。
おかえり、ナスターシア。
そんな感じ。
昼には、食事が運ばれてきた。
ちゃんと料理人がいるようで、毎日これではすぐ太ってしまいそうな豪華な料理だった。
(……これは、流石に止めるように言っておこう。ま、今日が初日だから、特別なのかも知れないけど)
午後からは、気になっていた孤児室に顔を出してみよう。
「失礼します」
食事が引かれるのと同時に、二人の女性が入ってきた。
「今日より、お側にてお世話させて頂きます、クレール=ルシエと申します」
ブロンドの波打つ髪が美しい、黄枯茶色の瞳のぽっちゃりした女性だった。
「わたくしは、クラリス=モンジェルと申します。クレールとともに、お世話をさせて頂きます。よろしくお願いします」
クラリスは、対照的にほっそりとして頭の小さいお人形さんのような子で、金髪と灰色の瞳を持っていた。
「よろしくお願いします」
「隣の部屋に詰めておりますので、なんなりとお申し付けください」
なんだかとても緊張する。リュシスのような、やらかしタイプではなさそう……。きっと、どこかの貴族の令嬢だったに違いない。
ナスターシアも、ぎこちない笑顔で提案してみる。
「あの、明日からはみなさんと一緒に食事したいと思うのですが、どうでしょう?」
クレールは、おもむろに女子の灰色の修道服のスカートの脇をつまみ上げ、左足を少し引いて腰を下ろし、スカートから手を離し足を戻すと、両手を胸に当てて優雅に話し始めた。
「僭越ながら、奏上致します。聖女たるナスターシア様は、我々の主に最も近いお方。席をならべて食事をいただける光栄を得られるのなら、そのまま主の御許へと旅立つことも躊躇いません。しかし、私の個人的見解を述べさせていただければ、教皇様よりもナスターシア様の方が、遙かに主に近く、そのお言葉はまさしく神のお言葉なのです。ですから、くれぐれも……」
なんだか、べらぼうにお堅い返事が返ってきたぞ~!
だが、要約すると、神様なのだからちゃんと考えて喋れ!と言っているのだ。
あー、回りくどい……。
「わかりました。熟慮致します。では、汚れた服の処置をお願い出来ますでしょうか。剣と佩剣用のベルトは、そのままで結構です。よろしくお願いします」
「畏まりました」
クラリスが片付けてくれる。
(うわ~、肩が凝るわ~!)
(もう、飲まなきゃ、やってられんね……。嗚呼、フェリアに帰りたい!)
ナスターシアは、大きなため息をついて外を眺めてみる。窓が高くて空しか見えない。
部屋には窓かいくつかあり、すべてガラス張りだった。ガラスの窓が使われているのは、ここと聖堂だけだ。
ガラスはまだまだ贅沢品なので、修道院としては導入しにくかった。
外が見たいです、と言ってみたらクレールが隣の部屋から踏台を持ってきてくれた。
(手間のかかる子でごめん……)
外は曇り空。いまにも降り出しそうな感じだ。
ロマネスク様式の建物の1階部分の屋根が見え、その向こうには平原が、その更に奥には森が広がっている。
フェリアにいた頃には、お屋敷からはまったく見ることのできなかった自然豊かな風景。
行き交う人々ではなく、ときおり訪れる巡礼者がいるだけ。
静かなものである。
……ちょっと眠い。
湯浴みでさっぱりして、清潔な衣服を着、久し振りに美味しいものを食べて、眠気をもよおしてきた。
けど、ミネットの様子も気になる……。
「少し、孤児室のようすを見て参ります」
「わかりました」
ナスターシアが部屋を出てみると、クレールがついてきた。
「あの。案内して頂けますか?」
「はい。ご案内させて頂きます」
建物が広すぎることもあり、初日に無事にたどり着くには案内が必要だ。
しばらくクレールに案内されると、見覚えのある場所にたどり着いた。
孤児室のドアを開けて中に入ると、食事の前のようで、孤児達は食事が来たと期待して一斉にナスターシアの方を見た。
「ごはーん! ……じゃない?」
「カイル様の守護天使にして、現世に人として顕現された聖女、ナスターシア様です。どうぞ、お控えください」
(なんだか、大層な感じになってる……)
サラがいる。彼女は、急に居心地悪そうに斜め下を凝視して、壁際で立っていた。
クレールは、ドアの中の孤児達に頭を垂れるように促す。が、ほとんどいうことを聞いてもらえない……。
「サラ。あなたは、今夜から三日間、夜間の祈祷を命じます。ナスターシア様を孤児と見紛うなど、言語道断です」
「クレール、それはちょっと……」
ナスターシアが、うっかり異議をとなえてしまう。クレールは、恐れ入って跪く。
(あちゃー、アカンかったか……)
「サラが私を見紛うたのは、カイル様の思し召しでしょう。お陰で孤児達と楽しく過ごせましたし、気付きを得ることもできました。ありがとう、サラ」
(これでどうだっ!?)
サラは、目に涙を溜めつつ手を胸に当て、祈りの姿勢になる。
「ありがとうございます。歓びをもって、今日より三日間夜通し祈祷を捧げさせて頂きます」
(うぐっ……。そう来たか)
これでは、ミネットとキャッキャ出来ない。
クレールは、うんうんと頷いて、サラを見遣る。
「ナスターシア様の空よりも広いお心の一端を垣間見たようです。皆、今日のお祈りは、心を込めて行いましょう」
(ぬぬっ、ここで引き下がれない!)
ナスターシアは、せめてもと、ミネットの目を見ながら言う。
「神様と私は、いつでもあなた方と共にあります。だからどうか、楽しいときも、辛いときも、忘れないでください。いつでも、貴方たちのことを想っていますよ」
ミネットは、うん、と頷く。
(よかった! 伝わったみたい)
後ろ髪引かれながら、ナスターシアは薔薇の残り香を漂わせて孤児室をあとにした。