51 352-09 聖ナスターシア修道院(2280)
セルヴィカからの帰り道は、気が重いものだった。
修道院まで、だいたい300Km程の長丁場である。
セルヴィカを出て早々に、何騎かの早駆けが追い越していった。王国の情報網は、こんな感じだ。王都に着いたらどやされるのかも知れない。
帰り道の旅では、なぜか賊に襲われることはなかった。往路では運が悪かったのだろうか?
街をでて5日目。王都が見えてきた。
迷っていたようだが、ナスターシアが空を指さす。
「私、ここから飛んで行こうかな?」
「どうして?」
折角ゆっくり出来る機会なのに? と、マルセルがいぶかる。
「なんか嫌な予感しない?」
そういわれれば、そうかもしれない。
王都の両替商の屋敷で人だかりが出来ている可能性は排除できない。
仮に静かだったとしても、騒がせてしまうかもしれない。
いちいち、偵察にいくのも馬鹿らしいから、いっそ飛んで行ってしまおうというわけだ。修道院まではおよそ150Kmぐらいだろうか?
直線ならもっと短いだろうが、迷う危険がある。
「神力切れしないかどうかが心配だな……」
「暇だったから、ずっとお祈りしてたから。多分大丈夫と思うけど」
すぐに大丈夫だという確信に変わったのか、ナスターシアが立ち上がり、フードを目深にかぶる。風よけである。
「お兄様達は、ゆっくり来て!」
翼をフォームしながら、もう上昇をはじめている。
「またあとで!」
「ナスターシア様! お気をつけて」
そう叫んだのは、ジョエルだった。
(様づけなんて、やめて欲しいな……)
ナスターシアは、ぐんぐん上昇してそのまま加速する。
抜けるような青い空に、夏らしい白い雲が浮かんでいる。うっかりすると上下感覚が怪しくなりそうだが、そこは経験がある。
服がバタバタとはためき、痛い……。
(最高速度とかどれくらい出るのかな?)
高度は300mくらいだろうか。だいたい目視の感覚でわかる。
眼下には広大な畑とところどころ森が広がり、川が蛇行して流れる。
王都の外壁の形、大聖堂や王宮の大きさも、空から俯瞰するとよくわかる。直上を通ると目立ちそうなので少し離れて飛ぶ。
念のため、太陽の位置を確認してみた。
試しに速度を上げてみる。
服が千切れそうにはためき、呼吸がしずらい……。
ゴーゴーと風を切る音しか聞こえない。
下ではなく、すこし前を向いて風圧を利用しないと表面付近の空気は吸いにくい。
結果的には、かなり鈍足にならざる得ないようだった。ナスターシアの感覚だと、めちゃくちゃ遅い感じである。80Kmも出ていればいいほうだろうか。
(こりゃ、なにか道具が必要だね……)
ふり返ると、王都はもう小さくなっていた。
飛んでいると、眼下にトンビが飛んでいた。
戯れに近づいてみるが、トンビは怖がって逃げて行ってしまう……。一緒に飛べたらどんなに楽しいか。大きさが違いすぎるから、怖がられても仕方ない。最悪攻撃されるだろう。
なかなか、変わらない景色にイライラしながらも、飛行を続ける。
森ばかりの景色の中を二時間ほど飛行した頃、先のほうに草原と大きな建造物が見えた。かなり大きい。
ロスティスは、いつの間に通り過ぎたんだろう? ショートカットしたから見えなかったのか?
向こうから目視されないよう、高度を下げて近づくが、そろそろ神力がきれそうだ。
なんだか、頭がぼんやりとしてくる……。
墜落する前に着陸しよう。
街道は森の中をとおっており、道幅も十分あった。だが、森はすぐに開けて、草原になっていた。
森の中を通っている間に、そっと着陸し、木の陰から街道に出て歩いて修道院に向かう。
「あんたも、修道女志望かい?」
しばらくトボトボ歩いていると、後ろから声を掛けられる。
大きな荷物を背負った剣士風の少年と小さな女の子だった。
「えっと……」
「俺たちも修道院に向かう途中でさ。妹も一緒だ」
「よろしく」
かわいらしい、まだ5歳くらいの子だった。
「俺は、フラン。妹は、ミネットだ。で? あんたは?」
「ナスターシア……」
「はぁあ? ま、いいや。最近は、聖ナスターシア様にあやかって、同じ名前をつける人も増えてるらしいし」
「よろしくな!」
フランと名乗った少年は、屈託のない笑顔で握手を求めてきた。
ナスターシアの小さな手と、がっしりと握手をする。
良く見ると、手足には包帯が巻かれている部分があり、痛々しい。
ミネットは、浮かない顔だ。本当は、嫌なんじゃないだろうか。
しばらく三人で街道を歩く。ミネットがいるからか、かなりのんびりしたペースである。そして、度々休憩してきたんだろう。二人とも、本当によく頑張っている。
「見えてきたぜ!」
修道院を正面に見つつ、はやる心を抑えてゆっくりと近づいていく。
近くで見ると、修道院は本当に馬鹿でかい!
川沿いに建てられ、丘の上に向かって長細く建てられているようだ。
川が天然の堀の役割と上下水を兼ねているようだった。
しばらく修道院の壁沿いに緩やかな上り坂を進むと、入口があった。
門番につかまる。
「身分証!」
二人は、門番に身分証を見せた。どうやら王都から来たようだ。
「お前は?」
「持ってないです……」
あー、アランさんに預けたままだ。
「あ、そいつ、途中で一人で荷物も持たずに歩いていたから拾ったんだ。はぐれたんじゃねぇかな?」
「まあいい。名前は?」
「ナスターシアです」
「ふざけてんじゃねぇよ!」
もう一人いた門番がいらつく門番になにやら耳打ちする。
ああ、そうかもな、と納得した様子で通してくれた。
ありゃ、そうとう病んでるな……などと話す声が聞こえた。
(なんか、勘違いされてるのかな?)
「フラン待って! 私も行く」
誰もナスターシアの事を知っている人がいないのが悲劇のもとだった。