40 352-07 建国祭 夜会2(1705)
踊りのあと、ナスターシアとリューネ公女が飲んだのは、あの忌ま忌ましい『レディーキラー』だった。
「ナスターシア」
声の主はジョエルだった。
今日はいつになく、綺麗な装いである。場所と立場は辨えているのだ。
「ジョエル様!! 今日の試合は素晴らしかったです」
「ありがとう。これを……」
そういうと、ジョエルはナスターシアの紺青色のリボンを手渡そうとした。
「私がつけてあげましょう」
リューネがリボンを手に取ると、そのまま器用にナスターシアの髪にリボンをつけた。
「ありがとうございます。あ、ジョエル様、こちらリューネ様です」
「初めましてリューネ様」
「初めまして、ジョエル様。一緒にいかが? 美味しいですよ」
「えっ?」
ジョエルは、ふとナスターシアが持っているカップを見た。
「ナ、君は!! また……」
「ん? あ……」
(あ痛! でもまあ、いいか……一杯だけ)
「むうー、今日はなんだか……酔ってしまいました」
(嘘だけど)
「あら大変! 私が休憩室までお連れしましょう」
「ちょっと!! 何を企んでいるんですか?」
焦るジョエル様。また、五月祭のときのようになったら大変だ、と気が気ではない。それに、相手は悪名高いリューネ公女だ。
「女性として、酔った女性を介抱するんですよ?」
「何もしませんか?」
「……美味しく頂きますけど」
「なっ!!」
「もう、唇は頂いてしまいました……。それはもう……絶品でしたよ?」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、リューネはジョエルの反応を楽しむ。
「貴方という人は!!」
「あらいけない! 間違えちゃいました。私が口づけをしたのは、ナセル様という騎士の方でしたわ。本当によく似てらっしゃる方でしたので」
ナスターシアとジョエルは、思わず蒼白となった顔を見合わせる。
二人の全身の血の気が引くのがわかる。
(嘘ーっ!!! 唇が奪われてしまったことがジョエル様にバレちゃった!!)
(まさか、ナスターシアが男だと知っているのか!!?)
お互い、少しずれてはいたが……。
「あの、お話し中、失礼致します」
ふと見ると、ジョエルと同じくらいの歳のおっとりとした可愛い女性が隣にいた。
「ジョエル様、お久しゅうございます」
「ああっ! ソランジュ!」
懐かしそうな声で迎えられたのは、セルヴィカ領主ラファエルの娘、ソランジュだった。
フェリアに訪れた際、警護の補佐をしていたジョエルと面識があった。
「私なんかより、そばにいた方がいい相手が他に沢山いるだろう?」
(どう見ても違いますよ、ジョエル様! でも、渡さないっ!!!)
「あら、ジョエル様には、ソランジュ様のような素敵なお相手がおられましたのね。お邪魔しちゃ悪いわ、ナスターシア様」
(えっ! ちょっとーっ!)
ささ、あっちへ……とリューネは強引にナスターシアを引きずって、離れていく。体も大きいが力も強く、騎士というのはまんざら嘘ではないらしい。
ジョエル様は仕方ないという顔で、ソランジュ様は千載一遇のチャンスとばかりに満面の笑みで二人を見送る。
嗚呼、ジョエル様が遠くなっていく……。
五月祭の失態から、名誉を挽回するチャンスだったのに……。
折角の数少ないジョエル様との逢瀬だったのに……。
女っ気がないと思っていたのは、単に知らなかっただけかも知れないし、他領の領主令嬢と一緒になれば家格も上がろうというもの。
がっかりである。
「ちょっといいかな?」
リューネにいきなり声をかけたのは、カルヴァンだった……。
「げっ」
思わず声が出てしまう。
「ナスターシアは、私と一緒になることが決まっているのだ。すまないな」
リューネはナスターシアに目で確認する。んなこたぁない、と。
「今宵は祝いの宴。いかがでしょう。私と飲み比べて、先に酔い潰れた方が手を引くというのは?」
はっ! と、まるで馬鹿にするように鼻で笑うカルヴァン。
「いいだろう! 女ごときに負けはせん!」
「今度お屋敷に遊びに行きますね」
リューネは、ナスターシアにそう囁き、さあさあ酒を持ってこい! と勝負を始めてしまった。もともと、周囲の評判を気にしていないので自由でいい。
勝負の行方は見なくてもわかるので、ナスターシアは一足先に帰るとヘロンに告げ、馬車で送ってもらうことにした。
月のない、暗い夜だった。