37 352-07 ファーストキスは危険な香り(2500)
情熱的な薔薇の季節が終わると、本格的な夏が到来する。
抜けるような青空がまぶしく、空気がだんだん乾いて爽やかな暑さになる。
ナスターシア達は5月祭の後に来て以来となる王都に、再び訪れていた。王都では、フェルナンドの屋敷が拠点となる。
前回、男装して大聖堂に行ったのに味をしめ、ナスターシアは王都をうろつくときは男装すると決めていた。先月青色のパンツとジャケットのセットを買ったので、髪を束ねてそれで外出する。
小さめのレイピアを腰に佩けば、美男子騎士の完成である。ちっちゃいけど、それは仕方ない。
ナスターシアは、マルセル、リュシスと一緒に王都の散策に出た。実際には、マルセルとリュシスのデートについていくようなものだったが……。二人はあくまで主人と侍女である、一応。
つまらん……と思って、ナスターシアが歩いていると怒鳴り声が聞こえた。
「このクソアマがっ!!」
見れば流麗な女騎士が、屈強そうな男につかみかかられているところだった。
「待ちなさい!」
(でへへ、ジョエル様みたいなマネしたかったんだよね。ゴロツキ程度なら楽勝だと思うし……)
「なんだぁ?」
「騎士が女性に手をあげるとは何事かっ? 騎士とは、か弱きもの、女子供を護る者ではないのか!?」
「騎士じゃねぇし!! 調子に乗ってんじゃねぇぞ、このチビ!」
(ぐはっ! 恥ずかし……だけど)
「この私に抜かせるというのか?」
なんだか、『今日はこんなもんにしといたろ~』とか言いたくなる状況だけど……。
「まあまあ、騎士様もこう仰っていることですし、今日のところは……ね?」
「けっ! アホくさ」
(うーん、ジョエル様みたいにはいかないな……)
男は、興ざめといったふうで帰って行った。
「大丈夫ですか?」
「私? ええ、お陰様で。助かったわ、ありがとう」
しばし、男装したナスターシアをじっと見つめると、あっ……と声をあげ、女騎士はわざとらしくよろけてナスターシアに寄りかかる。
「すみません、よろしければあちらの酒場で少し休みませんか?」
「えっ? ああ、まあ、いいですよ。ゆっくりしてください」
男装も楽ではないな、とナスターシアは思った。ふと、気がつくとマルセルたちとはぐれてしまった。まあ、見知らぬ路地でもないし大丈夫かな……と。
酒場は昼間からむさ苦しい男達で溢れていた。というか、臭い! 酒と汗と体臭となにかが渾然一体となって、悪臭になっていた。
「あなた、修道騎士様?」
「いえ……」
「私は、リューネと申します。お名前をお聞かせ願えませんか?」
「へ?」
(だはぁっ!! ヤバイ! 忘れてた。てか、考えてなかったよ! どうしよう……早く、早く)
「あ、あの私は……ナ、セルと申します」
(あ、ヤベ!)
「ナセル様? どこかで聞いた感じです」
「私も、リューネ様の名をどこかで聞いた気がします……」
(なぜだろう? これは本当だ)
「それは気のせいですよ。私はしがない一介の貧乏騎士ですから」
なんか、それは無理がある気がしたが……。ナスターシアは深くは突っ込まなかった。
「ワインでもいかがですか?」
「いえ、私はお酒は……」
「少しぐらいならいいでしょう? ワインを2つ、くださる?」
リューネと名乗る騎士は、店員にワインを2つ注文した。 そして、思ったより、すぐに持ってきてくれた。
「小さくて立派な騎士様に乾杯」
リューネは鎖帷子に一部鎧の部品を装着した、比較的軽装の騎士姿だったが、大きな胸や腰は隠しようもなく、男を誘うような仕草をする女騎士だった。
「か、乾杯……」
二人とも真っ赤なワインを一口ふくむ。
「失礼かもだけど、あなたって女性のように美しいのね」
ドキッ!!
ぎょっとしていると、不意に唇を唇で塞がれた。
(ちょっ! らめっ!!)
柔らかで小さなナスターシアの唇に、女性のふわっとした唇が重ねられ、リューネの甘い吐息を感じる……。数秒たっただろうか、舌が入ってきそうになって、少し拒んだら案外あっさり引いてくれた。
一瞬、二人が一筋の光るかけ橋で繋がる。
「ごめんなさいね」
ナスターシアは、心臓が飛び出るかと思うほどびっくりした。ドキドキして、なにも考えられない。顔は紅潮しきっていた。
「かわいらしい子」
呆けてなにも話せないナスターシアに、リューネは周囲に聞かれないようにそっと耳打ちした。
「夜も私がリードしてあげるから、心配しないで……」
さらに固まるナスターシア……。
(このまま夜まで飲んで、宿屋でってことかっ!! いや、それダメだから!! ダメダメダメダメダメダメダメダメ!)
「すっ、すいません。用事を……」
べたな言い訳で逃げようとするが。
「ダメよ、逃げようったって! 逃がさないんだから……」
「いえ、本当です。明日大事な用事があるので、今日はこれで失礼します!!」
強弁すれば押し切れるか?
「あら? そうなの……。じゃあ、またお目にかかりましょう」
「ありがとうございました!」
「礼を言うのはこっちよ?」
ナスターシアはもう、とにかく逃げることしか考えてなかったため、会話の流れがおかしいことに気づかなかった。
走るように店から出るナスターシアに、リューネは店から手を振り、バイバイする。
屋敷に着く頃には、暗くなっていた。
「ナスターシア、何してたんだっ!!」
「えっえっえっと……そのー」
マルセルはナスターシアの唇に赤いものがついているのを見逃さなかった。
「ナスターシア……、あり得ないと思っていたけど……」
マルセルの中からマグマのように疑惑が湧き上がる。
「いかがわしい店に行ったね?」
「いっ!! 行ってません!」
「じゃあその口についている紅は何っ!! それにお酒の臭いがするし、いつもと違う香水の匂いもする!!」
リュシスは、うそっ! とつぶやいてナスターシアをじっと見る。
マルセルの激しい追及に耐えきれず、ナスターシアは全てをゲロった。
すっきりである。
「ってことは、初めてのキスは、その女騎士に盗られちゃったってわけ?」
とは、リュシス。
「そうなの……。でも、でも、貞操は守ったよ!」
「ダメですよ、迂闊すぎます!! ズルいです。私もナスターシア様とキスしますーっ!」
「うるさい!! お前達、明日の準備は出来てるんだろうな!!!」
唐突にお爺様の雷が落ちた……。