32 352-06 ふみ(1969)
「ナスターシア様、文が届いております」
「ナスターシア様、文が届いております」
「ナスターシア様、文が届いております」
五月祭の後、しばらくすると文が届き始めた。
一週間に10通ほど。
だが、悲しいかなナスターシアは、文字が読めなかった……。
「お読み致しましょうか?」
リュシスが提案する。
「うーん、なんか嫌かも……」
「でも、放置しておくのも失礼ではないでしょうか? それに……」
もったいをつけて、間をとる。
「ジョエル様からの文だったら、どうしましょう?」
それは、マズイ!! 他人に読まれたくもないし……。リュシスに代筆してもらうのも恥ずかしい!
実際は、識字率は低いので代読代筆は割と当たり前のことなのだが、ナスターシアには違和感があった。
(仕方ない……)
「あの、リュシス……。文字を教えて、ください……」
「もちろんです!」
「ありがとう! ちょっとずつでいいから」
「では、仕事が終わって就寝前の時間に……お祈りの時間が短くなっちゃいますけど」
その日から、ナスターシアは文字を教えて貰うことになった。
紙は羊皮紙で、インクとともに高価だったが、お爺様が所謂普通の紙を作っていたので、少し回して貰えたのがありがたい。
もっとも、お爺様は本を作るために紙を作っているわけではなく、最終目標は紙幣だったため、三つ叉を探させて丈夫な紙を少しだけ試作できていた。
とはいえ、外から来るものは羊皮紙しか目にしたことはないし、返信も羊皮紙を使っていた。穀物や酒は直接的に需要があるが、紙は人気も需要もなかったためだ。
話し言葉と書き言葉は、かなり異なっており、しかも音と文字が一致していないことも多く、とても大変だった。
たとえて言うならば、日本語の「は」が副助詞として使われるときは、「わ」と発音するなどは、学習者にとってかなりの高難度である。
単語ごとに綴りと読みがあるし、おおよそ綴り通りの発音だが、どうしてそうなった? という感じの綴りもたまにある。
そして、極めつけは書くときだけ違う単語になるものだ。
「なんなのよ! この御座候的な文は!」
「そんなこと言われましても……」
「もう、こんなの、こうよ! こう!」
話し言葉をそのまま書いてみた。
リュシスに見せる。
「どうよ?」
「……斬新ですが、意味はわかりますね。でも、幼稚で失礼です」
ぽかーん
まさかリュシスにそこまで貶されるとは思ってなかったので、あっけにとられてしまった。
「今日も文が届いておりますので、読んでみましょう」
「あ、はい……」
先生スパルタや……。
(えっと何々?)
それは、甘い甘い恋文だった……。読みながら赤面してしまう。だ、誰だこんなの書いてきたのは?
送り主は……と、名も知らぬ貴族っぽい感じ。ていうか、多分会ったこと無い気がする。……忘れてるだけかもしれないけど。
「あの……。適当にやんわりとお断りの文を書いておいて欲しいんだけど……。おこづかいあげるから!」
「畏まりました。お任せ下さい」
いままで届いていた文を全部読んでみる。
……だいたい同じ内容だった。
どう見ても、一人か二人が書いているっぽい。
「代筆屋ですよ」
なんだかアホらしくなってきた。
「折角ですから練習に使ってはどうでしょう?」
「嫌! 面倒! リュシスお願い」
「まあ、今はそれでもいいでしょうが、やっぱり嗜みはあったほうが……」
「嗜み……。礼儀が大事ってのはわかるけど! もう!」
頭にきたナスターシアは、日本語でお爺様に手紙を書いてみた。
(なんか、漢字忘れてるわ……。スマホ欲しい……)
「なんですか!? 何処の国の文字ですか? いつの間にそんな……」
「リュシスも私のことアホの子だと思ってるでしょ?」
イラッとしているのは、例えば現代日本で手紙は古文で書かなければいけないルールみたいなものだからである。だが、リュシスに当たっても仕方ない……。
「そんな、滅相もございません!」
リュシスにはもちろんそんなつもりは毛頭なかった。貴族として、キチンとした文を書けることは、嗜みであると同時に誇りでもある。紙も高価だし、ふざけてするようなことではない。
「くそーっ」
(英語だって書けるし話せるのに~、ぐむむむむ)
「ナスターシア様!! はしたないです! そんな言葉使ってはいけません!!」
いまここで諦めるのは簡単だ。もう、話し言葉をそのまま書いてしまいたいが、出来ないと思われるのは癪だ!
ナスターシアは、大きなため息を一つ。
「ごめんなさい、リュシス。明日から真面目にやるから……。よろしくお願いします」
とにかく、英語ネイティブがラテン語をやるようなもので、それなりに大変なのだった……。
後日。お爺様から手紙の返事が来た。
もらった手紙はなんとか読めたけど、もう書けないから勘弁して。
タイプライターとか無茶ぶりしないで下さい。
忙しいから無理です。
と、普通にこちらの書き言葉で書かれてあった……。