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16 352-03【閑話1】無くしたもの-リュシス視点(3322)

 気がつくと、フィーデス商会のお屋敷の侍女寝室で横になっていました。


 あの日。


 人生最悪の日。


 ロスティスでの事件の日。


 私は確かに死を覚悟しました。


 帝国の連絡係には、いつもなじられていました。一体いつ仕事をするのか、と。早くしないと家族の命はない、と。


 正直なところ、家族には申し訳ないと感じながらもその頃の生活は楽しかったのです。失いたくない、そんな想いもありました。

 ですが、結局私は、私を大事にしてくれていた人々を裏切ってしまったのです。

 ロスティスへ向かう二週間ほど前、フェリアの商店街で連絡係にお館様のロスティスへの予定を話してしまったのです。

 私を大切にしてくださっていた方々への、重大な裏切りです。

 なのに、何故かまたここに戻ってきてしまいました。



 もう、お昼近いようです。部屋には誰もいません。きっと、お洗濯をしたり、お掃除をしたり、昼食の準備や買い出しなどで皆忙しいのでしょう。


 私も動きたいのだけれど……。


 私は、体を起こしベッドから出てみます。


 フラフラして、ちゃっんと歩けません。這ってならなんとか……。でも、昨日までの背中の激痛が、嘘のようになくなっています。あちこち痛かった体が、きれいさっぱり治っています。不思議です。


 ガタンッ!


 おっと、うっかり椅子を倒してしまいました。で、あっ!


 ガシャーン!!


 小さなサイドテーブルの上に、コップと水差しがあったみたいです。気がつきませんでした。椅子が当たったんですね。拭かなきゃ……。

 痛!


「リュシス?」


 ガチャリとドアが開き、マルセル様が様子を見に来られました。真っ直ぐな農灰色の髪に、吸い込まれそうなアメジスト色の瞳、端正な顔立ち。う、……直視しちゃダメ。


「ああー、怪我してない?」


 またやらかしたところを見られてしまいました。


「大丈夫です」


「何言ってんの、指怪我してるじゃないか、もう……」


「あっ……」


 いきなり右手の怪我をした人差し指を、ぱくっと咥えられてられてしまいました……。傷口の血を舐めとられる感覚。嗚呼、なんて甘美な瞬間!

 その口に、自分の指が咥えられているのを、じっと凝視してしまいます。ずっとこのままにしていてくれたらいいのに……。


 頃合いをみて、マルセル様の口から出てきた指には、すうーっと引く唾液の糸が、絡みついていました。


「もう、大丈夫そう」


「すいません。あとは私が片付けますので……」


「はぁ……。出来るわけないじゃないか。リュシスは、ベッドに戻って! ほら」


 私の方が体が大きいので、マルセル様では動かせません。頑張ってベッドに戻ります。


「後で、誰かにかたづけてもらうから。それと、もうすぐお昼になるから食事を運んでもらう、ついでだね。ベッドから出ちゃだめだからね」


 そういいながら、彼は部屋を後にしました。


「出たらダメだからね」


 去り際に念を押して。


 私は、寝転がりながら右手の人差し指を口に入れて舐めてみました。


 マルセル様は、お優しいのです。私なんかに同情を向けて下さっているだけなのです。勘違いしてはいけないのです、絶対に。そんなこと、初めてお目にかかった日から、解っていたことです。もったいないことです。


 私は死んだ方が良かったのかも知れません。いいえ、その方が良かったことは、多分間違いではありません。頸をはねられていた方が、河原で野垂れ死んでいた方が……。迷惑をかけずに済んだはずなのです。




 次の日。


 今日は朝から動けそうです。とはいえ、二の鐘はもうとっくに鳴っている様子で、残っているのは私だけ。


 水くみと風呂焚きにいっているのかしら。


 昨日より格段に動ける感じです。まだフラフラしますが、歩けます。


 寝台の側にある用意してある水を飲んで、用意してあった服に着替え、外に出てみると蝋燭の明かりの中に、かつて半年だけ過ごした屋敷の様子が目に入ります。ちょっと懐かしくて、新鮮。


 そうだ、もうすぐマルセル様が湯浴みをされるから、お着替えを用意しましょう。黒い半ズボンに生成りのシャツ、黒のストライプ柄のベスト。あと赤いブローチを、と。何て言うんでしたっけ、この石……。まあ、いいか。


「おはようございます、マリウス様」


 マリウス様だ。今日も二日酔いなのかしら……? いつも朝は眠そうにされてらっしゃるのよね。マリウス様の側仕えは男性です。きっと夜抱えて運ぶためです。マルセル様を待ちましょう。


「おはようございます。マルセル様」


「おはよう、リュシス。今日はもう大丈夫なの?」


「お気遣いありがとうございます。お陰様で、少しずつですが仕事もできそうです」


「それは良かった。じゃあ先に入らせてもらうよ」


 風呂は、屋敷の方々の湯浴みが終わった後、使用人達が使えるようになります。その頃には大分湯も冷めてしまっているのですが、市井の人々よりも暮らし向きはいいと言っていいでしょう。恐らくは、下級の貴族よりも……。

 こんなところで使っていただけるだけでも、感謝しかありません。


 朝の湯浴みが終わると、家人達は祈祷の時間を迎えます。私たちは、市場に買い出しに行くのと、洗濯が待っています。さて、洗濯でも手伝ってきましょう。






 洗濯は、いつしても疲れます。

 洗濯物を干しに行くと、ナセル様がナイフ投げをされていらっしゃるのが見えました。


「リュシス、もういいの?」


「ええ、お陰様で。なんだか的が遠くなってませんか?」


「えーっと、少し小さくしてみた。それより、屋敷の中の人になにかされないように気をつけてね。なにかあったら、お兄様に言うんだよ」


「そうですね。ありがとうございます」


 それは気づいてました。半分くらいの方は、私を穢れたものでも見るような目をされています。あからさまに敵意をむき出しに見てくる使用人の方も。エレナ様に気を使って頂いているだけで、かなり助かっているのです。


 洗濯物が終わったらマルセル様のところに行きましょう。




 コンコン


「リュシスかい? 入っていいよ」


 お許しが出ました。


「失礼します」


 マルセル様は、なにやら本を読んでいらっしゃいました。


「何かお手伝い……、お邪魔でしたね」


「いや、いいんだ。退屈だし、良く解らないんだ」


「何の本なのですか?」


「お爺様が書かれた本だよ。複式簿記の本。富国強兵論の上巻なんだけど……」


「ふくしきぼき?」


「うん、会計の仕方の本っていうか……まあ、そんな感じ」


「ふーん。難しそうですね」


 そろそろ、立っているのが限界のようです。しゃがみ込んでしまいました。


「申し訳ありません、少し疲れたようです」


「まだ無理しない方がいいよ。私のベッドで休むといい」


「そ、そんな……」


「もう少し本を読むから、気にしないで」


 そうじゃなく……。マルセル様の優しさは、ときにとても罪深いのです。お言葉に甘えて、ベッドに腰を下ろします。


 はぁー……。


「あのさ、リュシスはその……。死んだ方が良かったなんて、思わないでいて欲しいんだ」


「え?」


「私はときどき自分のしたことが正しかったのか、自信がなくなるときがあるんだよ」


 マルセル様はじっと手を見つめて、話を続けられます。


「私は、この手で君を鞭うったんだ……。公衆の面前で……裸にして……。死ぬほど痛めつけた。今も屋敷には君を忌み嫌う者もいる」


 しばしの静寂。


 カタリと椅子の音。


「私は、兄上のように賢くも無く、ナセルのように神力の才能も無い。剣が使えるわけでもなく、力も無く、お爺様のような地位もない。何もないんだ。だから、こんな私が主人ですまないと思ってる」


 嗚呼、マルセル様……。貴方という人は……。


 ベッドから腰をあげ、マルセル様を後ろから抱きしめました。


「マルセル様は、お優しいかたです。マルセル様にお仕えすることが出来るだけで奇蹟なのです。私はそれ以上なにも要りません。ただ、あなたがあなたであってくれさえすれば、他に何も必要ないです。我が儘なのは私です」


 涙で良くみえなくなってしまいます。胸が、……苦しい。何かあれば私を殴り虐げた父親も、私を邪魔者にして他の男と通じていた母親も、私にとってはかけがえのない唯一の親でした。でも、もう居ません。


「家族は……もういません。だからせめて、おそばに……いさせて下さい」


 この日、私のせいでマルセル様は昼食を食べ損ねてしまわれました……。

お読みいただき、ありがとうございます。

今回は、一人称で書いてみました。

感想、レビューまでいただいて、幸せでございます。

がっかりさせないよう、気張って書いていこうと思っていますので

今後ともよろしくお願いいたします。


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