12 352-03 罪と罰(下)(2937)
「さて、このまま無罪放免という訳にもいかぬだろう? 神父」
お爺様の横暴に、茫然自失となっていた神父もその声にようやく我に返り、役人達にテキパキと指示を出し始めた。
あれよあれよという間に、リュシスは手首を縛られて立たされ、手を上げた状態で縛り首用の梁にロープで繋がれていた。そしてかつて、リュシスを修道院から貰い受けたときのような、ボロボロの貫頭衣を着ていた。
執行官は、リュシスの服の肩口を破き、裸の上半身を曝した。露わになった透き通るような柔肌には、青あざがあちこちにあるのが見える。牢に入れられている間にも、しこたま痛めつけられたらしい。
下衆な見物人から、煽るような声があがる。
「五回、でよいか?」
お爺様の声に、もう好きに決めろとばかりに身振りで答える神父。処刑台は危険なのでみな下がらされる。
執行官は今度は鞭を構え、顔色一つ変えずにリュシスめがけてふるった。
鞭の音が鳴り響く。
「ああぁーっ!」
鞭で皮膚が引き裂かれるあまりの痛みに、リュシスは思わず声をあげた。
鞭打ちは、まだあと四回もある。
パーン!
鞭が打たれる度に、激痛に歯を食いしばり、身を捩り、うめき声をあげ、顔を歪める。三回、四回と打たれると、だんだん意識が朦朧としてきたのか、手首のロープに支えられるような姿勢になっていく。
執行官は、不意にマルセルに近寄る。
「最後はお前が打て」
そう言って、鞭を渡した。
はっきり言って鞭など振ったことがないので、まともに当たる気がしないのだが、リュシスの様子からもう限界に近いのは感じる。
マルセルはとりあえず、処刑台にもう一度上がって、練習で鞭を振ってみた。
ぐるんっ!
パシッ!
「痛った!」
途端に見物人達から嘲笑が漏れる。
失敗して返ってきた鞭に、自分がぶたれてしまう……。軽く当たっただけのような気がするけれど、結構痛い。だが、なんとなくコツはわかった。先っぽを弾かせるようにしたらいいみたいだ。もう一度。
ぐるんっ!
ピンッ!
(今度は大丈夫そうだ)
が、執行官の鞭と違い、明らかに力ない感じは否めない。だが、それでもいいだろう。主人であったマルセルが、自ら苦衷を込めて打つということに意義があるのだ。
呼吸を整え、リュシスを見遣る。
ちらりと、彼女と目が合った。彼女は、そのまま力なくコクリと頷く。涙やら唾やらが渾然一体となって流れ、酷い有様だ。肩まで伸びたブロンドの髪は、汗と血でべっとりと体にくっついていた。
緊張で鞭を持つ手が汗でじっとりとしていくのがわかる。ゴクリと生唾を飲む。そこにいる全員に聞こえてしまいそうな程だと感じるほど、大きな音がした気がした。
ダメだ、手が震えてまともに持っていられない!
怖い!
どうすればいい?
執行官に鞭を返すか?
いや、ダメだ。それではもっと強く打たれてしまう。
ここは、自分が手を汚さなければダメなんだ。
奮い立てっ!!!
慎重に、正確に、鞭を振るう事だけを考えて。
ヒュン……、パンッ!
ちょっと不発っぽかったが、なんとかうまく鞭を振れた。それまでの鞭に比べれば、撫でたと言われてしまいそうであるが、傷の上から打っているので、その痛みは想像を絶すると思われる。だがリュシスは、必死に耐えていた。
これで、刑は終わりだ。
リュシスの手首の縄が外され、晴れて自由が齎される。
マルセルは、鞭を執行官に返すとリュシスに近づいて、服の前側をたぐって胸を隠してやった。するとなんとか、片手で押さえて持ってくれた。手首の縄の跡からは、血がにじんでいた。
「……」
マルセルは目の前にいるリュシスに、いろんな思いが交錯して、一体何と声を掛ければいいのか思いつかない。
「すまない……」
(ああ、どういう訳か謝ってしまった……。なんでだろう? まだ、鞭を振るうときの緊張が残っているからなのか?)
「あ、あり……が……」
「ダメじゃ!」
唐突にリュシスとの会話に、お爺様が割り込んでくる。
「ダメじゃぞ! うちでは雇わんからな。引き受けられるわけ無かろう! あー、そこの! この女に服をやってくれんか?」
リュシスは、限界だったのだろう。その場に倒れ、突っ伏して気を失ってしまった。
「高く付くからな、マルセルよ。今日の夕食は、抜きじゃ!」
どうして、助けてくれたのに不機嫌なんだ……。マルセルはいぶかしんだ。
(もう、訳がわからない。それにしても、私はリュシスを助けたと言えるのだろうか? ひょっとして、死より過酷なことを強いているのではなかろうか? 公衆の面前で裸を晒し、鞭うたれたのだ。少女の心に、大きな傷を残してしまっただろう)
(だが、待て! そもそも彼女は、父上を陥れた一味の協力者なのだ。本来死んで当然の筈だ)
何故だ、何故か涙が出る。マルセルの目から涙が溢れて止まらない……。
「行くぞ! マルセル! 泣くな! みっともない!」
「お爺様!? 放っておくのですか?」
「どうせよと?」
「せめて怪我の治療を……」
「……、ではお前がしてやれ! 儂は知らん!」
マルセルにはどうしていいかなんて、全くわからなかった。治療方法なんて知らない。アキナス家という家にいるから守られているだけで、本当になにも出来ない無力な存在だった。
「おい、神父! これは、心ばかりだがおさめておくがよい。神のご加護のあらんことを!」
「おお、相変わらず信心深いことでなによりです。確かに預かりました。神の御慈悲のあらんことを」
「ああそれと、アレの面倒は教会でみてやってくれ」
ちゃっかりと、神父を買収して問題化しないようにするあたり、お爺様はやはり老獪と表現するのが正しいのかもしれない。リュシスの事は、今は神の慈悲にすがるしかない。
帰り道、とぼとぼと歩くマルセルにお爺様は明かした。
「マルセルよ。儂とて、おぬしの言うサイモンの遺志というのは当然考えたのじゃ。じゃが、それでは後腐れが残ってしまう。おぬしにとっても良いことは何もないじゃろう。それに、もともと修道院で一緒にあの娘を連れ出したのは、儂じゃ。けりを付けるべきだったのじゃ」
ヘロンはまるで自分自身に言い聞かせるように話した。
「お爺様は、私があの提案をしなければ、そのまま頸をはねるのを見ていたのでしょうか?」
「そうよの。そうしたじゃろう。儂に迷いなぞ無いわ! 儂はそうして、ここまでフィーデス商会を大きくしてきたし、これからもそうじゃろう。流石に息子を失ったのは、堪えたがな」
しばらく黙って歩いていた二人だったが、ふとヘロンが大きく息を吸う。
「ひとつ白状しておこう。マルセルよ、儂はお前と同じ事を考えた。じゃが、それは甘いのじゃ。
甘さは命取りになる。
極力排してきた。
そしてお前は昔の儂に似ておる。気をつける事じゃ。
それと、最近神学の勉強に励んでおるようじゃが、毒されすぎかもしれぬな」
「……はい。私も実際目の前で人の命がなくなるような場面を目の当たりにしたから、土壇場で心変わりしたのかも知れません。或いは、最初からそうするつもりだったのか……。自分のことなのに、良くわかりません」
「左様か……」
盗みを働けば指を切り落とす、腕を切り落とすとかもあるし、むしろ軽すぎるくらい軽くはなったというのが実際のところではある……。
マルセルは結局丸一日何も食べなかったが、特に食べたいという気にもならなかった。
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あとは、前を向いて進むだけです。
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