112 353-05 それでも聖女は王子様と面倒事から逃亡する(5300)
いよいよ、ナスターシアをかけた戦いが始まる。
シャルル王子とジョエルは、馬上でランスを構えてゆっくりと中央に馬を進め、正対する。
二人の突き刺すような視線が交差する。
会場は静まりかえっていた。
観衆は固唾を呑んで見守る。
中央で二人のランスが突き合わされると、小さく金属音が響く。馬をナスターシアの方に向け、挨拶である。これから、この二人が雌雄を決するのだ。
通常、二人の走路は、互いに衝突しないように柵で仕切られているが、今回はその柵もない。失敗すれば、互いに激突してしまう可能性すらあった。
ナスターシアは、いてもたってもいられず、席を立ち手すりにもたれて身を乗り出す。
貴人席の屋根の影から出ると、天高い初夏の陽光に照らされた。
腰近くまで伸びた艶やかな白銀の髪が、風になぶられ舞う。
青金石の耳飾りがキラリと光を放つ。
「騎士の名誉と誇りにかけて、どんな結果になろうと異存はないっ!!」
シャルル王子の声に、ジョエルが応える。
「ローディア王への忠誠と騎士の誇りに誓って、結果を受け入れるっ!!」
「!」
なにか声をかけたいが、なにも出てこない……。
これは、競技ではない。
もはや決闘である!!
勝負は、初撃で決まる。
ナスターシアの中には、そうなる確信のようなものがあった。
「このような機会を頂き、光栄ですシャルル王子」
「すまんなジョエル君。ここで終わりだ」
やがて、審判の旗が振られる。
どよめく観衆。
それを合図に、それぞれの従者のところまで駆け戻る。
いよいよだ。
緊張が頂点に達する。
会場のボルテージも、一気に高まる。
王子を応援する声が大きいが、ジョエルへの声援もあるようだ。
ランスは重く、その全てが重厚な金属製で、その先端は確実に甲冑を貫通して死に至らせるために、特別に硬化させ尖らせてあった。
その重さで分厚い防具を貫き、確実に仕留めるためのもの。
これは、武器なのだ。
二人は、ヘルムのフェイスガードを降ろす。
それは独特の金属音をたてる。
そのアイスリット越しに見える景色は、なぜか現実感を薄め、緊張を和らげてくれるのだった。
ジョエルのそれからは、遙か遠くにシャルル王子が銀色に輝く甲冑でこちらを見つめているのが見える。互いに、相手の表情を伺うことはできない。
審判の旗が振り下ろされた。
「はあっ!!」
シャルル王子の馬は、いななき、後ろ脚で立つと勢いよく走り出した。
二騎は、砂塵を巻き上げながら、観客の居並ぶ通りを猛然と疾走する。
通常のジョストと違い、柵がないために二人は互いの右側に相手を通過させるコースをとった。
地鳴りを轟かせ、巨軀が迫る。
互いが正対して走るため、あっという間に二人の距離は縮まっていく!
シャルル王子のアイスリットから、一瞬、眼光がジョエルのランスの先を捕らえる。
二本のランスが交差し、小さく火花が散る!
すれ違う刹那、それはスローモーションのように感じられた。
ジョエルを捕らえたと思われたその槍先は、すんでのところでその脇に吸い込まれていく……。
反対にジョエルのランスは……。
轟音とともに槍を交わした二騎がすれ違う。
次の瞬間、シャルル王子の体が宙を舞った。
馬だけが走り去り、シャルル王子はのけぞるよう空中に取り残される。
その右胸には深々とランスが突き刺さっていた。
凍り付く会場。
王子の体は無惨な音とともにそのまま地面に叩きつけられ、衝撃でランスがさらに深く刺さった。
「シャルル王子!!」
ナスターシアは、夢中で貴人席から駆け下り、王子の傍らにしゃがみ込む。
それは、どう見ても絶望的な状況であった。
「ぅぐ……」
シャルル王子は、なにか話そうとしたが、肺に血がたまっているのか、声を出すことはできなかった。
落馬の衝撃であちこち骨折しているようでもある。
手の施しようがない。
従者も、村長も、ただ頭を垂れるしかなかった。
ナスターシアは、咄嗟にそのヘルムを外し、ガントレットの上から手を握る。
王子は、血を吐きつつも満足そうな表情を浮かべていた。
「いや……こんなの……。こんなの嫌」
目の前の命は、いまにもこぼれ落ちようとしている……。
戻ってきたジョエルが馬から下りヘルムを外し、ナスターシアに近寄る。
汗に濡れた金髪が、風に吹かれてしずくを落とす。
「ダメよ、ダメ。死んじゃダメっ!!」
「ナ……、ス」
王子の目が閉じた。
(ああ、神様。イオス様……。今一度だけ……私に力を……)
ナスターシアの体がうすく光を纏い始める。
そんなことをしたら、どうなるか……。あたまの片隅では、制止する思いもある。今度こそ、命はない……。
(わかってる……。目的が果たせるかどうかはわからないけど、確実に……わかってる。でも、それでも……)
固より自分がいなければ起きなかった争いでもある……。
「神様……、どうか、シャルル王子を……」
ナスターシアは、自身の中に、まるでダムが決壊したかのように猛烈な勢いで神力が注がれるのを感じた。
(ああ、やっぱり……。神力の海に溺れる!)
昼だというのにナスターシアの体は神々しく眩い光を放ちつつあった。
「シャルル王子!! あなたはこの国を治めていくべき人! だから……お願いっ!! 治癒してっ!!」
(リュシスが私にしてくれたみたいに……。出来る。きっと出来る!! たとえ、この身が果てたとしてもっ!!)
「天に在す 畏き大日霊 至高の神イオス様。 我が終生の信仰を献げ奉り この者の健やかなる体躯を 恵み幸へ給え この者にこの地をうしはかんことを赦し給えと 恐み恐み申す」
消え入りそうな、かぼそい声で祈りを捧げる……。
わがままな子ね……、光の中でそんな声が聞こえたような気がした。
眩い光の中で、シャルル王子の体に奇蹟は起きた。
ランスは抜け、流れ出た血が戻り、傷がなくなっていく……。
恐らく、甲冑の中では折れた骨も元にもどっているだろう。
その様子を見て、ナスターシアがほっと安堵できたのは束の間。
案の定、神力が注ぎ込まれ続け、神力に溺れつつあった……。
「ナスターシア!! 放出するんだっ!!」
ジョエルは、その危機的状況を目の当たりにして、なんとか打開策を探る。
神力漏れとか言っていたから、きっと出すことも出来るはず!
光に包まれながら、ナスターシアのあがくように苦しむ手をとり、両手で握りしめる。
なんて小さな頼りない手。
その途端、一気にナスターシアの神力がジョエルに流れ込んだ! その衝撃に目を剥く。
「ぅぐはっ!!」
ジョエルは、予想だにしなかった強烈な苦痛に顔をゆがめ、膝を屈する。
ジョエルが作ってくれた余裕のお陰で、ナスターシアにはすこしだけ考える時間が出来た。
まずは、流れ込む神力を止める!
(止まって! もういいから! お願い、止まって!!)
ナスターシアは、光の中で、いつか聞いた声のようなものをまた聞いていた。
(汝の祈りはいつも届いておった。困っておる様子。我が眷属を汝とともにつかせよう。爾今以後もたゆみなき信仰を捧げ続けよ)
その声の一寸の後、あり得ないことが起きた!
ナスターシアを中心に光が広がったかと思うと、たちまち広場中に一気に花が咲き乱れたのだ。白百合を中心に、アネモネやパンジー、ヒマワリなど脈絡なくにょきにょきと地面から生え、そのまま花を咲かせ、芳香を放つ。
「はぁ……」
体の中から過剰な神力を放出してスッキリしたナスターシアは、安堵の息を漏らした。自身を包んでいた光も消えている。
よく見ると、いつのまにか翼を生成していて、その翼や体からも花が咲いていた……。
ジョエルにも……。
貴人席にも、建物の壁にも……。
「あ、ははははは。なんだこれ、ははは」
緊張から解放された勢いもあり、ナスターシアは笑いが止まらない。
ジョエルも王子も意識が戻ったようだ。
観客も出店の店子も祭の参加者全員が、唖然とした。
五月祭。
それは、もともと豊穣を祈る妖精の祭。
緊迫した状況から一転、明るい雰囲気に街は包まれ、人々に笑顔が戻った。
「シャルル王子、立てますか?」
呆然とした王子は、ナスターシアに手を引かれ立ち上がる。
「シャルル王子は、死んじゃダメです」
「何を? 一体何がどうなっているんだ? この花はなんだ? ここは天国か? どうしてナスターシアが天国にいるんだ?」
「ジョストで負けたでしょ?」
「ああ、それで死んだのか……」
「違いますよ、ほら聞こえるでしょう? 歓声が……」
「……なんということだ。生き恥をさらせという事か?」
「そんな顔しないで……。王子は王子じゃなきゃダメです。ちゃんと国王様の跡を継いで下さい。いいですね? 今起きた奇跡は、みんな見てます。誰もあなたを貶したり否定したりしないはずです」
「また、助けられてしまったな……」
「気にしないで下さい。でも、ジョストで負けちゃったから私がいたらバツが悪いでしょう? 私はジョエル様と国を出ます。跡のことは、よろしくお願いします」
最後の方は、ナスターシアも安堵のためか涙声になってきていた。
「ああ……」
どうも、シャルル王子は、まだ夢と現の狭間をさまよっているようだ。
「行きましょう、ジョエル様」
「え? ああ、そうだな」
「どうかしました?」
「うーん、なんだか体が変な感じなんだ。ナスターシアの神力が流れ込んだ所為かもしれない……」
「? とくになにも変なところはないですけど?」
「そうだね……」
「一度修道院に戻って、準備しましょう」
シャルル王子のことは、美麗な侍従たちに任せて修道院へと向かう。
道すがら、アランや他の護衛達、町の人や修道士、修道女がついてきて、ちょっとした神輿気分になってしまった。
ジョエルの馬に二人で乗り、修道院に戻るとクラリス達に会いに行く。
「ただいま、クレール、クラリス……」
クレールとクラリスは、ナスターシアが翼を生成したままでいるのに驚いた。それに、予想に反してすっきりした顔をしている。
「お帰りなさいませ……って、ジョエル様まで? ……ということは!」
「いいえ、大丈夫です。王子は元気にしてますよ! お花畑の中で」
「それは、天に召されたと……?」
「違う違う! 花が咲いちゃって……ね?」
二人は敢えて口にしなかったが、ナスターシアの足下には、なぜか花が咲き乱れていた……。
よく見ると、修道院の中をナスターシアが歩いた場所に、足跡よろしく咲いていた。
あまりにも現実感がない。
ナスターシアの後ろのジョエルは、少し疲れた顔をしているが、こちらも無事そうだ。
「これから、二人で旅に出ます。どこか住むところが見つかるといいんですけど……」
「そうですか。寂しいですね……。ですが……」
ナスターシアが修道院を、ローディア王国を出ることは事前に告げてあったとおりだ。これ以上の混乱を招きたくはない。
クレールが気丈に振る舞う。涙を必死で我慢しているのだろう、目が赤い。
「これまで、ナスターシア様のお世話ができて、嬉しかったです。ありがとうございました。準備は出来ております……。お見送りいたしましょう」
修道院の門に出ていくと、二頭引きの馬車が一台用意されていた。
荷物はまとめられ、積み込まれてある。
いつでも出発できる準備が整えられていた。
「おーいっ!!」
走り込んできたのは、フランだった。
「おいらも行くぜっ!! 従者が必要だろっ?」
「いいの? フラン。戻ってこられないよ?」
「いいんだよ、水くさいよ。さぁ、乗った乗った!」
フランは、さっさと二人を乗せて出発しようと急かす。
だが、名残は惜しい。
「みなさん、これまでありがとうございました。元気でっ!!」
「ナスターシア様も、どうかお元気で……」
口々に、別れの言葉が交わされる。
「ナスターシアーッ!!」
誰かが大声で呼んでいる……。
ピエールだ。
彼は、見送りに出ていたアランに腕を掴まれ、近寄ることを許されなかった。
こうして、ナスターシア、ジョエルとフランの三人はローディア王国を出ることになった。
三人の乗る馬車を、大勢が見送る。
「シスター・クラリス、これから大変ですね」
「そうですね、シスター・クレール。でも、あの二人ほどではないと思いますよ。だって……」
ナスターシアは馬車に乗っていても、その行くあとには、花が咲いてしまうのだった。神力が垂れ流されているのかわからないが、通った跡がくっきりと花の道となって示されていた。
しかも、馬車に入りきらない翼が、馬車を貫通して飛びだしている……。
どこにいるか、まるわかりな気がする。
馬車の中では、ジョエルがナスターシアと並んで座っていた。
「なぁ、ナスターシア」
「なんですか?」
「今さらけど、本当に私でよかったのか?」
「そうですねぇ、私、王子様と結婚したいって、ずっと思ってましたから……」
「えっ? じ、じゃあどうして?!」
「大丈夫っ!」
ナスターシアとジョエルの視線が交差する。互いの心拍音が聞こえそうな程近い。
「ジョエル様は私にとっての王子様だから……」
そのことばを聞いて、一瞬戸惑ったがすぐに意味がわかるジョエル。
そして、二人の顔は近づき、ためらいがちに、そっとその唇が重ねられる。
刹那、座席の背もたれを含めて桃色の百合が乱れ咲き、二人のシルエットがその甘い芳香とともに彩られた。
斯くて聖女の歩むところに道はでき、文字通り百花繚乱となるのであった。
(了)
長かったですが、ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございます。
初めての挑戦で完結できたこと、また、少なからぬ方々に読んでいただいたことを嬉しく思っています。
これで続きが書けるのか?って感じの終わりですが、一応構想中です。
よろしければ、評価・忌憚のない感想等いただければ有り難いです。
今後の励みと、改稿の際の参考にさせて頂きたく思います。
最後に、重ねてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました!!