108 353-04 この世を去る人と生まれ来る命(2982)
新緑が美しい季節。
修道院の周囲も草木が芽吹き、若草色に染まり、鳥のさえずりが、春の訪れを告げる。
日が高く上がる頃。ナスターシアは書類仕事がひと段落つき、ソファでクラリスに入れてもらったハーブティを楽しんでいた。
そこへ、一通の文が届けられた。
「ナスターシア様、これを」
書簡は、クラリスのたおやかな動きで手渡された。
ナスターシアは、何の気なしに開いてみる。
なんだろう? フェリアからだね……。
手紙を見るなり、みるみる血の気が引くのを感じる。
それは、ヘロンの訃報だった。今から二日前に急逝されたとある。のんびりしている場合ではない!
血相を変え、持っていたティーカップが激しく音を立てて皿に落ちる。
「なんてこと! 急ぎフェリアに発ちます」
取るものも取りあえず、護衛と従者を集めてフェリアに向かう。
すぐさま飛行して行けないのが、こんなにも口惜しいのか!!
ぼやぼやしていては、葬儀にも間に合わない。
いや、どうあがいても間に合いそうにないかも知れない。
とにかく、急ごう!
五日後。
フェリアの春風に生命の息吹香るのどかな小春日和。だが、街は沈痛な雰囲気に包まれていた。
ヘロンの葬儀は既に終えられ、亡骸はすでに埋葬されていた。
葬儀は、フェリアの教会で行われ、街の人すべてが押し寄せたのかというくらい、ものすごい混雑したということである。
人々は、ひとりの街の英雄の死を悼み、感謝と追悼の祈りを捧げた。
「ごめんなさい、私……。お爺様をお見送りすることもできなくて……」
「ホントにね」
とは、マルセル。
フェリアのフィーデス商会の屋敷は、完成したばかりで真新しかった。相変わらずシンプルではあったが、機能的で建物としての完成度は高い。
窓は全てガラス窓とされた。隙間も少なく、ストーブはロケットストーブが採用された。冬は暖かいだろう。
ベージュ色の新しいソファに腰掛け、うつむくナスターシア。
開け放たれた窓から、さわやかな風がそよと吹き、白銀の髪を揺らした。
フェルナンドとリュシスは王都へ帰り、母マリーは寝室だ。マリウスは、収穫の準備のため、留守にしている。
「ちょっといいかな?」
マルセルが手招きをする。
哀愁をたたえた表情のまま、うなずきマルセルについていくナスターシア。
マルセルの部屋は、まるでお爺様の部屋のようになっていた。火事で焼け出された本も、一部汚れてはしまったがそのまま置かれてあった。
ナスターシアが重い口を開く。
「マルセル兄様、お爺様の最期は……?」
「うん。お昼になっても起きてこないから、気になってエレナに見にいってもらったら眠るように亡くなってた」
「静かな最期だったのね……」
「気がついたら死んでた、っていうか気がつかなかったんだけど」
「ふざけないで!」
うっすらと涙を溜めたその目は、マルセルを睨み付ける。
「あのさ、ナスターシア」
「なにっ?」
泣き出しそうな顔で怒っている。
「ナスターシアの得意な料理はなに?」
「こ、こんなときに何を言い出すの? ないよ、そんなのっ!!」
「そ?」
マルセルは、睨み付けるナスターシアを、正面から見つめて続ける。
「卵焼きと袋ラーメンだったと思ったけど?」
一瞬混乱する。
「お爺様から聞いたの? どこで聞いたのよ? ラーメンなんて知らないでしょ?」
「思い出したんだよ、全部」
「えっ?」
背中を冷たいものがはしる。転生者? なにかされる?
「なんてね……。いや、お爺様として生きてきた記憶が甦ったんだよ、正確にはね」
「じゃあ……、お爺様がマルセルってこと?」
ナスターシアは混乱した。どういうことか、良く理解できない。
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える。私は私のまま。別にマルセルが消えたわけじゃないんだ。それに、ヘロンという人物は確かに亡くなったんだよ、人格もね」
「お爺様は、亡くなって、マルセル兄様に転生した……ってこと? よね?」
転生前の自分自身と一緒に過ごしている、というのが違和感の原因なのだ。
「自分だって、同じなんでしょ? 酷いよね、私だけ知らなかったなんて! でも、なんか変だと思ったんだよ、妙に大人びてるし」
「お爺様は、ご存じだったの? マルセル兄様が自分の……」
うーん、と考えて、マルセルは記憶をたどる。
「薄々は感じてた……かな。そういえば、お爺様が自分の若い頃に似てるから気をつけろみたいなことを言っていたなぁと」
「なんだか、変な感じ」
「そうだね。だけど、気をつけて。お爺様は死んだ。そして、ここにいるのはマルセル……」
「わ……かった……」
ナスターシアは、難しい顔になって考え込んでしまった。だが、不思議と悲しくはなくなった。
「あと、ひとつ確認しておきたいんだけど……」
「なんでしょう?」
「ナスターシアが私……じゃなかった、お爺様に王子様と結婚したいって言ったけど、どうして急に嫌になったの?」
「うーん、急に嫌になったわけじゃなくて、あの人は王子じゃなかった……ていうか?」
「王子でしょ! 玉子じゃないよ?」
「すごいね、そんなこと言えるようになったんだ……。あ、あと、それは、私にとっての王子って言う意味で……その、そのときは確かにそう言ったんだけど……、ちょっと、その……」
「よくわかんないな……。でも、お爺様は孫の願いを叶えるために、結構頑張ったんだよ?」
「そうだったんだ……。ごめんなさい……」
陰に日向に、ヘロンは忙しく暗躍していた。そして、やっぱりいろいろ気をかけてくれていたんだ……。
「そういえば話は変わるけど、リュシスが身ごもったみたいで……その……」
「知ってます」
「えっ? なんだ知ってたんだ、流石に耳が早いなぁ」
「いつの間にそんなことしてたんですか? あ、いや、いいです。聞きたくありません!」
ふるふると首をふって、顔を覆う。なぜ、耳を塞がないのか?
「心当たりがあるのは年末と王都の騒動の時かな? 彼女は年末だって言ってた……。わかるもんなの?」
「私がお爺様を見舞いに来たときっ!?」
もう、手をどけて驚愕する。
「ん? たぶんそう」
「マジでっ?!!」
思わず、素っ頓狂な声をだしてしまう……。
「思い出すんだけど、いやー、やっぱり若い女の子はいいよねぇ……。初々しいしさ~。夢中でさ、気がついたら、外が白んでるんだよ」
(ひとが熱に浮かされて苦しんでいるときにかよっ!! 隣でギシギシギコギコうるさいと思ってたんだよ、ちくしょーっ!!)
「ナスターシアも、シャルル王子と早く……って、……え?」
マルセルは、伸びきった鼻の下を戻しつつ、憤怒の表情のナスターシアに気がついたが、もう遅い。
「くんぬ――――ぅっ!!!」
パチンといい音がして、マルセルの頬に大きめの季節外れの紅葉が咲いた。
翌日、マルセルとアラン、ジョエルを連れてヘロンのお墓に参りに向かう。お墓の近くには時折人が訪れ、ヘロンの死を悼んでいた。
マルセルに案内されて、墓石へと向かう。
不思議と涙がでない。
「ナスターシア、大丈夫?」
ヘロンの墓の前で、跪き、祈りを捧げるナスターシアを、ジョエルが気遣う。なんだか、変な様子に気付いたのだった。
「大丈夫です。安らかな最期だったみたいですし、きっと満足して神の御許へ旅立ったはずです」
「私の父も、そう言っていた」
ヘロンの墓石は、花束で埋め尽くされたようになっていた……。それは、まるで天国の花畑のようでもあった。
「ありがとう、お爺様……。ありがとう、ゆっくり休んでね」