101 353-01 ただいま、と思ったらセルヴィカの亡霊をみる(3282)
ナスターシアは、馬車酔いに苦しめられながら、ようやく聖ナスターシア修道院に到着した。
「ナスターシア様、バンザーイ!」
門番達からも、盛大な歓迎を受ける。
「お帰りなさいませ、皆待ちかねております!」
残念ながら、歓迎に応える余裕が全く無い。動くのも辛いので、担架で運ばれてしまった……。
「ナスターシア様……、大丈夫ですか?」
はぁはぁと息の荒いナスターシアは、担架で運ばれながらクレールの声を聞く。
とにもかくにも、寝台まで運び、休ませようということになった。
「うん……、ありがとうございます。ちょっと……横になります」
イーファは、なにやらテキパキと指示を出している。麦粥を作って持ってくるように言った。
「まったく、世話が焼けるね~」
「ありがとう、イーファ」
「あ~、いいから寝てな」
「にゃーん」
トマは、一緒に寝てくれるようだ……。なんだろう……人間の言葉がわかるのかな? さっと、寝台に飛び乗ると、毛布に潜り込んでくる。
暖かい。
ナスターシアの帰還を聞きつけて、ジョエルが駆けつけたときには、もう粥を口にして、眠りに落ちていた。
翌日。
「あー、しんどかったぁ~」
大きく伸びをして、ナスターシアが起床する。
「お腹空いたな……」
「にぃ」
トマは、餌をもらいに去って行った。優しい子だ。
窓に目をやると、結露でびっしょりだ。外は寒いのだろう。
「おはようございます、ナスターシア様」
「おはようございます。昨日はすみませんでした」
「いえいえ、そんなことより皆、たいそう心配いたしましたので、とても喜んでおります」
クレールとクラリスが、ピシッとアイロンをかけられた修道服で立っている。ナスターシア負傷の報は、修道院にも届いていて、気が気ではなかったらしい。修道院全体で、どんなに心配したかという話を長々と聞かされた。
「まあ、実際、敵の騎士に刺されたときは、ほとんど死んでました……。今も思い出すと痛い気がするので、あんまり思い出さないようにしてます」
そういってお腹をさすると、二人とも、蒼白な顔をして手をしっかりと握っている。我が事のように感じたようだ。
「あと、無理して神の力を引き出した報いでしょうか……、こちらも死を覚悟するほどのしんどさでした。結局、こうして神の力が使えなくなってしまったんですけど。今は、祈りを捧げることも怖くて……」
クレールはナスターシアの手を取る。
「大丈夫でございますよ、ナスターシア様は、ナスターシア様です。無事にお帰り頂いただけで、もう天にも昇る心地です」
「いえ、まだ昇天するには早いですよ、クレール。そうそう、私、亡くなった父上に会えました! すごくはっきり覚えてますよ」
あれは何だったんでしょう? と話す横で、クラリスはもう失神寸前である。
「とにかく二人とも、留守の間、よく頑張ってくれました。ありがとうございました」
「こちらこそ、ご無事でお帰り頂き、感謝しかありません。今日は一日ゆっくりお過ごし下さい。できたら明日にでも、聖堂で皆に帰還の御報告をいただければと思います」
「そうですね」
久しぶりの修道院の時間は、ゆったりと流れた。湯浴みをし、身だしなみを整え、お茶を飲んでくつろぐ……。
しかし、以前と違っていろんな音が聞こえる。
軍事教練の音。わぁ、とか、おーっとか、ときにぎゃーっとか……。
バタバタといろんな人がせわしなく動く音。
(そういえば、イーファが活気があって気に入らないとか言ってたな……)
ナスターシアは、午後から修道院近くの街、シェボルを見に行きたかった。意見を聞きたかったが、クレールもクラリスも、なぜか見あたらない。
仕方なく、厚手のストールを羽織って部屋を出てみる。
「おっと……」
「!」
扉の向こうに、ちょうどジョエルがいて、ぶつかりそうになった。
「ナスターシア、どうしたの? お出かけ?」
「ジョ、ジョエル様こそ……。なにか御用でしょうか?」
「特に用ってことはないんだけど、昨日は疲れてたみたいだったから……。君の方は?」
「私は……シェボルの街を見てみたいな、と」
「ああ、このまま大きくなったら、修道院が取り込まれちゃうんじゃないかってくらい、すごい勢いで大きくなってるよ」
ジョエルは、ナスターシアの顔を見て続ける。
「でも、行くのは我慢してもらおうかな。壁の角の塔の上からなら、全体が見渡せると思うよ?」
「寒そうですしね……」
「そうそう」
ジョエルがナスターシアの手を取る。強く引っ張ったら壊れてしまいそうな、かぼそい腕。剣を振るっていたお陰で、指だけはゴツゴツとした剣士の手だ。
二人がどきまぎしていると、修道女が近づいてきた。
「ジョエル様! ジョエル様ですよね?!」
聞き覚えのある声。
だが、その人は確か!
「ひぃーぃっ!!」
修道女の顔をみて、飛び上がるナスターシア!!
そこには、もう処刑されて、この世にいないはずのソランジュが立っていた。
「ソランジュ様?」
ジョエルは、冷静に問い返す。
「ジョエル様、よかった。やっと会えました。私、いま修道女なんです」
「処刑されたと聞きましたが……」
ソランジュは、ことの顛末を説明してくれた。
一族は、みな処刑されたことになっているが、自分は全く与り知らなかったため、こっそり修道院に送られたとのこと。
ジョエルがいると聞いて、敢えて遠いここに来たらしい。
「ナスターシア様。驚かせてごめんなさい。あと、父がご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
「あ、えっと、その……。とにかく、生きててくれて、よかったです」
「それと、シャルル王子との婚約内定とのこと。おめでとうございます。婚約式はいつですか?」
「ああ、あのね。それは……」
「ジョエル様。あらぬ噂が立ってはナスターシア様に迷惑ですよ。わたくしとお散歩いたしましょう!」
「ちょっと! ソランジュ様!!」
「わたくし、まだこの修道院に来て日が浅いので、是非案内して頂けると助かります」
「あっ、いや、その私は……」
ソランジュは、ジョエルの手を引いてどんどん歩いて行ってしまう。
(おーい)
ハイヒールの靴を履いていたナスターシアは、追いかけて追いつける気がしなかったので、諦めるしかなかった。
(なんてこと! まるで、セルヴィカの亡霊じゃない! もうっ!! しかも修道女のくせに男の人を誘うだなんて!! 不潔っ! 不潔ったら不潔っ!! もうっ!!)
プリプリと怒りながら、建物を出て、壁の北側の塔を目指す。外は、なにか美味しそうなものを焼く、いい匂いがした。焼き菓子だろうか?
「おっ、聖女さんじゃねぇか! 久しぶりだなっ!」
外壁にいたのは、ピエールだった。他の荒くれ達もいる。歩哨に立っていたようだ。
ピエールは、人なつこい犬のように、ナスターシアに駆け寄ってきた。
身構える聖女。
「やだなぁ、もう変なことはしない! なんだかさぁ、こう、酷く美人になっちゃったっていうか?」
「変なことしたら、私、泣くから! 泣いちゃうよ?」
「ぐはっ。俺今、猛烈に泣かせたい……。羞恥に顔を赤らめ、落涙する儚げな聖女様の姿を妄想したら……、ぐぬおおおっ」
ばさぁっ!!
「きゃん」
ピエールは、お約束に逆らうことができなかった。
冬の風にひらめく、真っ白なスカートと下着……。
ナスターシアは、本当に顔を羞恥で赤らめ、拳でピエールを殴りつける。
だが、以前と違って、それはまったく他愛もない少女の猫パンチになっていた。全く痛くもない。むしろ、鎖かたびらに拳があたって、手の方が痛かった。
あまりの非力さに、涙が出てきた。ツッコミもまともに出来ないなんて……。
ナスターシアは、顔を手で覆い、肩をふるわせる。
「あーあっ!! 兄貴が聖女様を泣かせたぁ!! いーけないんだぁ!!」
壁の上から囃したてる部下達と、うろたえるピエール。
「ほんと、ごめんっ!! ああ、もう、ごめんなさい。泣かないで、お願いだから!」
土下座して謝っても、もう遅い。
何事かと集まってきたのは修道女達。真っ赤になって泣いているナスターシアと、狼狽えるピエールを見て、何があったかを理解した。
修道女達に取り囲まれるピエール。
ピエールの、助けを求める声が修道院の壁に反射し、こだました。