第七話 悲劇は繰り返す≪後編≫
「いいから逃げるんだ!」
普段あまり感情を表さない父の荒げた口調を聞いたのは初めてで、意図せず体が震えた。
「李亜」
聞き分けのない子供を叱るように父が名前を呼ぶ。
「おとう…さん、でも」
李亜がなおも言い募ろうとした時だった。
「隙がありすぎだね」
馬鹿にするような口調と共に目の前が赤く染まる。
同時に温かな熱が体を包んだ。
「お父さん?」
問いかけに答える声はもう微かにしか聞こえなくて…。
「馬鹿な男だ。この娘さえいなければ平穏に暮らせたのに」
嘲笑う声が頭上に降ってくる。
「さあ、次はお前の番だよ」
目の前で嗤う声。
「私のせいなの?」
まだ混乱する頭のまま口を滑り落ちたのはそんな一言だった。
「そうだよ。君が生まれたからだ」
かわいそうに、生まれたのが普通の子だったら今頃ただ幸せに暮らせていただろうに。
言葉が頭の中を滑っていく。
言われている事が信じられない。いや、信じたくないのかもしれない。
「もう終わり?つまらないな」
迫ってくる赤く濡れた爪に抱いたのは絶望と怒りだった。
何に対する怒りかはわからないがふつふつと自分のうちに満ちてくる。
「なんで…」
「知らないよ」
知らず口をついた一言に返ってくるのは無情な言葉で。
多分それが自分のうちの何かを破るきっかけになったのだろう。
頭の中が白く焼ききれるような感じと共に溜め込んでいた感情が一気に溢れ出したのを感じた。
少し気絶でもしていたのだろうか、次に目に映ったものは赤くなった部屋と微かに動いてる父の姿、そしてアスタロトの姿だった。
「アスタロト…?」
思わず呼びかけて息を呑む。
「私、また人を殺してしまった」
それに、両親も…。
泣きそうになるのを抑えて父のもとに向かう。
「おとうさん!」
力なく倒れている父にはまだ意識があったのか、その声にうっすらと目を開けて李亜を見る。
「李亜、無事か?」
ゆっくりと吐き出された一言は父自身のことではなく李亜の身を心配するもので…。
「お、とう…さん」
抑えてきたものが頬を伝うとともに声が鼻声になる。
「李亜…自分を責めてはいけないよ」
父の声がだんだん聞き取りづらくなっていく。
もっともっと聞きたくて顔を近づけると父の手が顔へと近づきゆったりと頬を撫でる。
頬を赤く伸びる線が涙によってゆっくりと流されていく。
「少しだけのお別れだ」
ゆっくりと紡がれたその言葉と共に頬にあった熱が離れていく。
「おとうさん。ねえ、おとうさん」
父が死んだのを信じたくなくて、骸を揺さぶる。
もちろん返事があるわけがなくて。
「おとうさん、おと…ぅ…さん」
分かっていても呼んだら答えてくれる気がして呼ぶ声が濁っていく。
それからどのくらい時間がたったのかふいに肩に触れた熱に意識がそれた。
「もうやめろ。…休ませてやれ」
ぶっきらぼうに、それでも少しだけ優しさをにじませた声で父から手を離させられる。
それからアスタロトは何かに気づいたように周りを見ると李亜に向かって手を伸ばす。
「覚えてなくていい。…今はまだ忘れていろ」
優しげな声で残酷なことを紡いで李亜の目を手でおおう。
何を言われているのか分かっているのに、なぜだかその手を振りほどく気になれなくて李亜はゆっくりと目を閉じた。