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迅雷の勇者ザーリッシュ、今まさにヤツは必殺技を放たんとしていた。
「サーシャッ!」
ヤツが最大出力で技を放とうとしている相手は、銀髪の美少女だ。彼女は今、細くしなやかな手足を地面に放り出し、気を失っている。その高い鼻筋に、一本の赤い筋が伝った。頭を打ったせいか、額から血が流れているようだ。
俺はそんなサーシャの姿を見て、全身の血が逆流するかのような錯覚にとらわれた。
勇者だから、なんだ。
必殺技が、なんだ。
人間を敵に回すから、なんだ。
今はただ、サーシャを傷付けたザーリッシュが許せない!
俺は全力で走り、ザーリッシュの前に立った。一瞬、赤毛の勇者が目を見開いて驚きの表情を見せる。
「ザーリッシュ……止めてやんよ!」
とは言っても、俺にはザーリッシュの技に対抗できる必殺技なんて無い。だからこんな時は、敵の技が威力を発揮する前に止める――これしか手が無かった。
「ふん。命を粗末にしやがって……」
ザーリッシュの巨大な剣が、雷光を纏い大気を振動させている。
「――喰らえ、スチームブレード――三式雷光ッ!」
裂帛の気合と共に、ザーリッシュが技の名を叫ぶ。
バリバリバリバリッ――!
凄まじい轟音が耳を劈く。
青白い雷光がザーリッシュの剣を覆い、包んでいた。それが、今まさに振り下ろされる瞬間だ。俺は跳躍し、スチームブレードに真っ黒い鉄パイプをぶつけ、受け止めた!
「オオオオオオオオオオラァァァァアアアアアアアアッ!」
――そして全体重を掛け、後ろへと一気に押し込んでいく。
ギャギャギャギャギャギャギャギャリリリリリリババババババァァァァン!
激しい金属音と落雷の音が鳴り響き、漆黒の鉄パイプとスチームブレードが激突した。
「オオオオオオオオオオオオッ!」
ザーリッシュも負けじと力を入れて、俺を押し戻そうとしている。だが重力を味方に付け全身を使って押し込む俺に、僅かだが分があった。
スチームブレードを強引に押し返すと、剣身に纏っていた雷がザーリッシュの背後に落ちて。
ドドォォォォォォォォォォォオオオオオオオオン!
雷鳴が響き、室内の光が明滅。それと同時に競り勝った俺の身体は宙へと投げ出され、瓦礫だらけの床に転がった。
「ぐえッ、痛ェ!」
ザーリッシュが放とうとしていた三式雷光による雷の落ちた場所には、大きな穴が空いていた。それは遥か下の階まで貫通し、地面さえも抉っている。そのせいか建物全体が鳴動して、天井からはガラガラと瓦礫が降っていた。
これ程の技を止めた俺も――もちろんノーダメージとはいかない。全身に通電してしまったのか、身体がビリビリと痺れていた。
なんて技だよ……と思う。
直撃したワケでもないのに倒れ伏し、痛みで身体を動かすことが困難になっている。だが幸いサーシャは無事だったようで、先ほど吹き飛ばされた時に出来た以外の外傷は無いようだ。よかった……。
「へ、へへ……止めてやったぜ、ちくしょう、ばかやろうッ!」
言いながら、痛みに耐えて立ち上がる。戦いはまだ継続中で、勇者達の戦意は旺盛だ。ここはカラ元気でも、強がりを言うべき場合だった。
「……ぶはッ!」
だというのに息を吐いたら、血も吐いてしまった。思った以上にダメージがデカい。俺――もしかして死んじゃうのかなァァ……!?
「ダ、暗黒騎士ッ!? アンタ……!」
サーシャが気付いたらしい。ガラガラと瓦礫を退けつつ、俺の側にやってきた。
「だ、大丈夫だって……。そんなことよりサーシャ……逃げろって言ってんだろ。こんなの、次はもたねぇから……早く……」
「そ、そうだけど、暗黒騎士……わたし一人で逃げるなんて……それじゃあアンタを捨て石にするみたいじゃない……」
「あ~~~……暗黒、暗黒ってうっせぇな。俺には黒刀鎧……って名前があんだから……そっちで呼んでくれねぇか? それに……俺だって死ぬ気ねぇから……」
精一杯強がってサーシャに言葉を返していたものの、身体に負ったダメージが大き過ぎる。足はガクガクするし、目の焦点も定まらない。それでもサーシャを背中に庇って、俺はザーリッシュの前に立っていた。
「ほう……俺のスチームブレード、それも三式雷光を止めるたぁ、その棒もただの棒っキレじゃあねぇらしいな」
ザーリッシュが再び大剣を構え、俺をじっと見据えている。
剣の方は、またもガシュガシュと不気味な機械音を鳴らしていた。しかし先ほどまで剣の周囲に纏わりついていた小さな雷は消え、今は刃が朱色に輝いているだけだ。
ザーリッシュが一瞬だけ、大剣の先端を床に付けた。ジュウウ――と大理石の床を溶かし、その一部が抉れていく。
「一式煉獄――当たれば痛ぇじゃ済まねぇぞ……暗黒騎士……いや……コクトー=ガイ。コイツはな、触れただけで相手の血液を蒸発させちまう、最強の対人兵装だ。その鉄パイプでどこまでもつか、試してみるか?」
いや、あんたに名前を覚えて欲しかった訳じゃねぇよ、ザーリッシュ! と思いながら頷いた。
「そんなん見りゃ分かるよ、ボケがッ! わざわざ説明しやがって、馬鹿にしてんのかッ!」
俺も鉄パイプを持ち上げ、何とか構えを作る。全身の痺れは収まってきた――が、痛みは未だ継続中だ。戦うにしても、あまり長持ちしそうには無かった。
「――違う。テメェを強敵と認めたから、敬意を表したまでだ。もし諦めるのなら、せめてもの情け――苦しませずに殺してやるぞ」
ザーリッシュが踏み込んできた、先ほどよりも鋭い。
俺は斜めに身体を開き、流すように鉄パイプを当ててヤツの剣を弾く。正面からぶつかれば、力で圧倒されることが目に見えているからだ。ましてや触れただけで血が蒸発するような武器を前に、鍔迫り合いなんか出来るわけが無い。
二合、三合と朱色に滾る大剣を受け流す。その度にギィン、ギィン――豁然とした音が響き、剣と鉄パイプが発する火花が辺りに飛び散った。
剣と鉄パイプが交差し、俺とザーリッシュが互いの背後に駆け抜ける。
振り向きざま勇者が口の端を歪め、静かに笑った。
「見ねぇ剣術だな……だが、洗練されていやがる」
「……に、日本の剣道だ、恐れおののけ、ちくしょうめ……」
実はこの鉄パイプ、とても軽かった。竹刀と同程度の重さだから、俺にも楽に扱えるのだ。お陰で剣道の動きをするのに支障が無く、何とかザーリッシュと戦えていた。
だがこの鉄パイプ、軽いだけではなく――硬い。だから勇者の必殺技を止めることが出来たりと、不思議なアイテムだった。
「だが、ここまでのようなだ。コクトー=ガイ」
「うっせ……ぐだぐた喋ってねぇで、掛かってこい……や」
けれど、流石に限界が近い。身体がフラフラするし、力も入らなくなってきた。相変わらずサーシャが逃げる気配もないし……俺、何も為すことなく死ぬのかなぁ。無駄に戦っただけじゃねぇかよ。
そんなことを考えた時だ、手の中で鉄パイプが震え始めたのは……。
ヴヴヴヴヴ……——
手元をチラリと見て、状況を確認する。
不思議なことに振動に合わせて、鉄パイプから紫色の靄のようなものが燻るように湧き出てきた。
もしかしたら身体がいよいよ限界を迎え、幻覚を見ているのかもしれない。二度、三度と目を瞬くと、ザーリッシュにバレないよう、俺は少し様子を見ることにした。
『なあ、おい、キョウダイ。コイツァよォ、もしかして絶体絶命ってやつかなァァ? オレの出番ってヤツじゃねぇのかなァァ?』
脳に直接響く、謎の声が聞こえてきた。いよいよ幻聴も始まったのか――そう思いながら、俺は辺りをぐるりと見回した。
そんな俺の動作を隙と見て、ザーリッシュが踏み込んでくる。だが――どういう訳か身体が勝手に動き、ヤツの攻撃を回避していた。
「な、なんだ?」
『オレだよ、オレ……暗黒剣だ。キンキュー事態だからな……ちょっと力を貰ったゼ。でも代わりに戦ってやっから、安心しろィ!』
「暗黒剣? お、お前なのか? 鉄パイプ……?」
黒い鉄パイプが左右に揺れて、紫煙がゆっくりと俺の腕に纏わりついた。どうやら「そうだ」という意思表示らしい。
「緊急事態? いやその前にさ、お前、鉄パイプじゃん。暗黒剣じゃないじゃん」
『細かけぇことはいいんだよォ、キョウダイ、気にすんな。そもそも今は非常にピンチなワケだろ? だから力を貸してやろうと思って、ちょっくら出てきてやったんじゃあねぇか』
「そ、そうなのか? お前なら、この状況を何とか出来んのか?」
『まあなァ……報酬次第ってとこだがヨ……』
もう、藁にも縋りたい気持ちだった。というより絶え間ない痛みで意識が朦朧とし、どうでも良くなっていたのかも知れない。
「で、出来るなら何とかしてくれ、頼むッ!」
『オーケー、オーケー、任せとけ。ま、オレもキョウダイに今死なれちゃ困るからよ、とりあえずちょっと貰うだけにしとくわ! 痛みがあるかもしれねぇが、死ぬよりゃマシだと思って、ちいとだけ我慢しなッ!』
「貰う?」
『ああ、ちっとだ、ちっと! 深く考えんなよッ! なっ、キョウダイ!』
暗黒剣の言葉に呼応して、俺の胸がチクリと痛む。同時に全身からは紫色のオーラが立ち上り、筋肉が少し膨張したような――そんな気がするのだった。