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サーシャの眼前に、ザーリッシュの巨体が迫っている。
サーシャは眉を顰め、迅雷の勇者へ向けてオーケストラの指揮者が持つような杖を構えていた。
「くッ! ……ユーグリーテ・ハイ・レゾン。光の波よ、集いて粒子と変じ、螺旋を描いて我が敵を穿て。光子弾ッ!」
まるで歌うような声で、サーシャが何事かを唱える。すると杖の先端から、いくつもの光球が放たれた。それは一つ一つが拳ほどの大きさで、螺旋を描きザーリッシュへと高速で向かっていく。
ザーリッシュは大剣以外の武装を持たず、衣服も灰緑色の軍服だ。決して防御力が高いようには見えない。しかしそれでも巨躯の勇者は前進を止めず、サーシャの放った光球を正面から受ける構えだった。
「ラァァァアアアアアアアッ!」
ザーリッシュが巨大な剣を横に一閃。炎を纏った剣身が、無数の光球を一気に弾き飛ばす。
「くっ!」
サーシャは観念したように両目をギュッと閉じ、下唇を噛んでいた。
大剣を突き出し、サーシャへと向けるザーリッシュ。ヤツがそのまま走り続ければ、銀髪の美少女は小さな胸を貫かれ絶命するしかないだろう。
一方俺は、その間ザーリッシュから一顧だにされていない。雑魚認定されているからだ。
だからこそザーリッシュがサーシャの攻撃を受けている間に、俺はヤツを自分の攻撃圏内に捉えることが出来た。
「ザーリッシュ! 舐めんじゃねぇぞッ!」
俺はザーリッシュに横合いから突撃した。そして鉄パイプを上下に振り、ヤツの手首を狙う。
黒い鉄パイプが小さな軌跡を描き、最短距離で勇者の手首にヒット。ザーリッシュは厳めしい顔を顰めて動きを止め、俺をギロリと見下した。
「テメェ――いつの間に!?」
黒い瞳の奥に、怒気が揺らめいている。サーシャに向けられていた大剣が、ゆっくりと俺に向けられた。……これでいい。
「いつの間に――じゃあねぇんだよ、このタコ。こんな攻撃にも気付けねぇなんて、お前、相当ダセェな――ノロマかよッ!」
「タコ」や「ダセェ」という言葉に反応する勇者は、こめかみがピクピクと動いていた。
本当に怖い顔をした勇者だ。しかし、こいつの注意を引き付けなければサーシャが逃げられない。背筋を伝う冷たい汗に凍えながら、俺は精一杯の勇気を振り絞ってヤツに悪口をぶつけている。
今この瞬間で考えるなら、俺の方が間違いなく勇者だった。
「……ノロマだと? 素人のフリをしやがって。暗黒騎士ってのは、随分と卑怯者らしいな」
「別にフリじゃねぇけど、まったく戦い方を知らねぇワケじゃねぇ! テメェこそ勇者だってんなら、こんな可愛い子にデカい剣なんか振り上げてんじゃねぇよ!」
ザーリッシュの太い眉がピクリと動く。怒りの炎に油を注ぐような事を言っている自覚なら、あった。気を引くためだから仕方が無いが……正直、メチャクチャ怖い。
「テメェ……ニンゲンのクセに、なんで魔族の味方なんぞしやがる?」
勇者は俺の顔をまじまじと見て、巨大な剣を肩に担いだ。鉄パイプで思い切り殴った腕に、ダメージは無いのだろうか。
ザーリッシュは空いた左手でゴツイ自分の顎を撫で、思案顔を浮かべている。
勇者を自分に引き付けるという作戦は成功したが、何か思っていたのと違う感じだった。
「知るかボケェェ! 気付いたら呼ばれてただけだ! コンチクショウ! おぉぉおん!?」
――だというのに勇者の顔が怖すぎて、何故かガチギレする俺。
「そうか……気付いたら、か。なら一つ聞くが――好んであの女の従属者になったワケじゃねぇんだな? 可愛いとか寝惚けたことを言っていやがったが……」
「好きで戦場にくるワケねぇだろ! お前ばかなの? 死ぬの!? 気付いたらここにいたって言ってんだろ! 従属者ってそもそも何だよ!? 知らねぇからッ!」
「気付いたら? つまりここに居るのは、お前の意思では無い――ということだな? 従属者契約はどうした?」
「だからそんなん、何も分からねぇって言ってるだろ!」
「お前――どこから来た?」
「言っても分からねぇだろうがよ、日本ってところからだ!」
「そうか――そりゃ、気の毒だったな」
「……な、何がだよ!? 気の毒って何だよ!?」
ドキリとした。この訳の分からない現状を、むしろ勇者の方が詳しく理解出来ているらしい。思わず肩越しにサーシャを見ると、彼女は憤怒の形相でこちらを睨んでいた。
この間に逃げればいいのに、あいつは顔を真っ赤にして怒っている。それどころか、「あに耳を貸してんの、このばか!」と文句を言っていた。
ばかなのは間違いなくキミだと思うな、僕は……。
「理不尽な転移をさせられ理由も分からず望んですらいねぇのに、お前がサーシャ=メロウの為に命を張ってることがだ。これを気の毒だと言わず、なんと言えばいい?」
「ばか野郎! それでも俺はなァ、助けてって言われたんだよ! 女の子に涙を見せられて、それに応えないなんて男じゃねェだろうがよ!」
「わ、わたし、泣いてないわよッ!」
「サーシャは黙ってろッ!」
「ぐぬぬ」と歯噛みするサーシャを制し、ザーリッシュに向き直った。ヤツは肩を竦め、「何も分かってねぇんだな」と言葉を続けている。
「――いいか、言っておくが、あれは魔王軍四天王の一人……つまりは俺達ニンゲンにとっての天敵だぞ。いくら見た目が美しくとも、あいつにとって俺達は食料だ。でなきゃ害虫ってところだろう。
要するにお前が魔族の為に戦うってこたぁ……蛙が蛇の為に戦うようなもんだ、滑稽だろうがよ」
「――そ、それが何だってんだ」
「何だ、だと……理解出来ねぇのか? ハッキリ言うぞ、さっさと投降しろ。従属者としての契約なら、ウチの神官が書き換えてやる。どんな契約も、より強い者による新たな契約で書き換わるから心配するな」
「お、俺が投降したら、サーシャはどうなる? アイツが人間を食ってるとでも言うのかよッ!? 無駄に殺してきたっていうのかよ!?」
「魔族がニンゲンを食っていたのは、歴史的事実。俺達の食卓に牛や豚が上がるように、奴等の食卓にはニンゲンの肉が上がる。お前が今、味方をしようとしているヤツは、そういう存在だってことだ」
「だから俺が投降したら、サーシャはどうなるって聞いてんだ……」
「お前が説得してヤツに戦闘を放棄させることが出来たなら、戦時国際法に則り捕虜として扱ってやる。その後は知らんが、今は命の保証をしてやってもいいぞ」
ザーリッシュの目は真摯だった。決して嘘を言っているようには見えない。
もしも彼女が本当に人間の敵ならば俺は、一体どうすればいいのだろう。
後ろを振り返るとサーシャが、またも激しく地団太を踏んでいるのだった。
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