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――ヒュン。
突如として風切り音が鳴り、一本の矢がディエゴの胸に突き立った。ギョロリとした大きな瞳が矢の飛来した方角へ向けられ、「へッ」と唇の片端が吊り上がる。
「見ねぇ顔だが……いい腕していやがるぜ……」
サーシャが叫んだ。
「ディエゴッ!?」
「悪ィな……罪……償えなくなっち……ま……――」
ディエゴは言葉を最後まで言い切ることが出来なかった。深々と胸に突き立った矢が、その命を奪ったのだ。
俺があれほど苦労して深手を与えたディエゴが、ただの一射で屠られた。
いや――俺が深手を与えていたからディエゴは不意打ちに気付けず、一撃で倒されたのかも知れない。
ともかく射手を確認しようと、ディエゴが視線を走らせた先に俺も目をやった。だが、じっと見ている時間など無く。
――ヒュン。
またも風切り音が鳴り。今度の矢はサーシャを狙っていた。けれどコイツは目の前の状況に目を丸くし、自身に迫る危機に全く気付いていない。
「えっ? 矢? ……どうして、何が起きているの!?」
「ちッ!」
サーシャの身体を抱き、飛ぶ。一瞬前に居た地点に、ザンッと矢が突き立った。
「えっ――攻撃? まだ敵がいたの?」
「まだ居たのか、それとも見張っていたのか――どっちにしろ最初に狙われたのがディエゴで良かった。お陰で攻撃に気付けたんだからな」
「そ、そうなの!?」
ようやく事態に気付いたサーシャが、俺の肩越しに矢を見て目を瞬いている。敵の位置はディエゴの視線を追ったお陰で分かっているが、だからこそ、この場所にいるのはマズい。
屋根の上から狙撃してくる射手に対し、武装が剣だけという俺では余りにも不利だ。だからといってサーシャに魔術で応戦させようにも、ここには遮蔽物が無い。弓矢と魔術の撃ち合いで、どちらが有利かなんて俺には分からなかった。
「――そういうワケだから、さっさと逃げるぞ!」
サーシャをお姫様抱っこして、ダッシュする。
「ちょ、アンタ、どこ触ってんの! そもそも、なんで四天王たるわたしが逃げなきゃならないの!? 反撃しなさいよッ! 反撃! 我が敵を滅せッ!」
「拒否! 出来たらしてるッ! 俺には飛び道具がねぇッ!」
「拒否ってアンタ、そんな権利、わたしは与えてないわよッ! アンタには暗黒騎士としての誇りが無いの!? ここに留まって矢を撃ち落としなさいッ! そうしたら、わたしが魔術で敵を焼き尽くしてやるからッ!」
「そんなもん簡単に出来るかよッ! 俺が失敗したら、二人とも死ぬだろッ!」
「だから失敗しないように、わたしを守るのよッ!」
「ああもう、ウルセェ! 舌噛むから黙ってろッ!」
あと数歩で物陰に入る。そこまで行ってから、敵を見据えて対策を考えればいい。サーシャの命令に従って、わざわざ不利な状況で戦う必要なんか無いのだ。
――ヒュン。
だが、その時またも矢が飛来した。
思ったよりも射撃の間隔が短く、物陰まで逃げるだけの時間的余裕は無い。
どうする、俺!?
そうだ! 幸いにして射手の腕は間違いなく一流、狙いを外すとは思えない。
なら。敵はどこに狙いを定めた? ――決まってる、急所に違いない!
俺は身体を斜めにして心臓の位置を隠し、頭をより一層下げて走り続けることにした。
「サーシャ! もっと丸くなれ!」
「丸くなれってアンタ……お尻! お尻触ってるわよッ!」
「うるせぇ! つべこべ言うなッ! 射抜かれたいのかッ!?」
「えっ、あっ、それは嫌ッ!」
急所にさえ当たらなければ、致命には至らない。ましてサーシャは回復魔術も扱えるのだ。
「大丈夫、俺は死なない」と自分に言い聞かせながら、物陰までの数メートルを必死に走る。だというのに、その距離がやたらと長く感じてしまうのだった。
そんな時、雷鳴のような轟音が辺りに響き渡った。
ガォォォオオオオオオオン!
俺――死んだ! 矢、身体に刺さった! そう思い、心臓が飛び跳ねるほど驚いたが、しかし考えてみたら矢が刺さった場合こんな音はしないだろう。
「銃撃音?」
サーシャが恐る恐る、俺の腕から顔を覗かせた。俺も振り返って状況を確認すると……、俺達の少しばかり手前に、砕けた鏃が落ちていた。どうやら俺達に迫る矢を銃弾で、華麗に撃ち落とした誰かがいるらしい。
お陰で俺は、何とか物陰に駆けこむことが出来た。
物陰から矢を射った人物へと目を向ける。ソイツは赤いレンガ作りの建物、その屋上に立ってた。手に大きな弓を持ち、長いローブを身に纏った人物だ。
距離にして二百メートル前後――小さなシルエットは線が細く、女性のように見えた。隣でサーシャがギリギリと奥歯を鳴らし、「遠すぎるわ。あんなの、魔術で攻撃出来ないじゃない!」と文句を言っている。
「何だよ! だったら俺が矢を迎撃したところで、意味なんて無かったじゃねぇか!」
「い、意味ならあるわよ! 相手に、矢は効かない――って思わせる意味が!」
「いや、お前――それ本気で言ってる?」
壁に背を付けながら、「ふぅ」と息を吐く俺。サーシャは俺の腕から地面へ足を下ろし、「本気よ、失礼ね! いざとなればわたしには、この区画一帯を灰燼に出来る程の攻撃魔術があるんだからッ!」と歯を剥き出し地団太を踏んでいた。
「いや、それは流石にダメだろ」
「分かってるわよ、だからやらないんじゃない!」
ギリギリと歯噛みを続けるサーシャを横目に、どうしたもんかと考えてみる。もうすぐ汽車が出発する時間だから、駅に向かった方がいいのだろうか……。
――などと悩んでいるうち、屋上にいた人物がヒラリと身を翻して姿を消した。どうやら俺達の命に固執する気は無いらしい。
「助かったようだな……銃撃のお陰で……」
「……ええ。でも、誰が銃撃をしたのかしら?」
「心当たりは無ぇのか?」
「無いわね……でも、状況から考えて敵じゃあ無いわ」
「そうだな……で、これからどうする? 汽車の時間がもうすぐだけど、ここを放って行くってものなんだし……警察にでも連絡するか?」
「いいえ。地元警察の手に負える事件じゃあないでしょ――こんなもの。一刻も早く魔都へ戻り、参謀本部に報告する必要があるわ。場合によっては憲兵隊に警察を指揮監督させる必要があるかもしれない……だから汽車に乗るべきね」
「そうか……参謀本部ね……よく分かんねぇけどお前ってさ、そういうところにも顔を出せる人間なんだよなぁ」
「あのね、わたしニンゲンじゃなくて魔族なんですけどッ! 分かったら、はい索敵! 周辺に敵の気配が無いか、きちんと確認して! 暗黒騎士なんだから、そのくらいは出来るんでしょ!?」
「――おう」
サーシャはきっと様々な可能性を考え、自らの責任を果たそうと必死なのだろう。眉間に寄せた皺が、そのことを強く物語っていた。
一方俺は魔族と人間が激しく対立してきたという、この世界の歴史さえ分かっていないのだ。そんな中で今の俺に出来る事は、せいぜいサーシャが無事ベルムントへ辿り着けるよう護衛をすることだけ……か。
「なあ、サーシャ。この世界で人間は、絶対的な悪なのか?」
「いいえ」
「じゃあ、魔族が悪なのか?」
「いいえ」
「だったらサーシャは、何を正義だと考えて戦っているんだ?」
「正義なんて勝者が得る勲章のようなものよ、まやかしだわ。でもね、負ければ悪を押し付けられるの――だからこそ勝って、その上で相手の主張を受け入れるべきなのよ」
「ふうん。そりゃ、大した理想だな」
「そう、大した理想だわ。でもね、シンフォニア様なら出来ると思うの。だからわたし――あの方の力になりたいのよ」
「ふぅん。シンフォニア様ね……知らねぇけどさ」
サーシャを守ることで、この世界が少しでも良い方向へ向かうなら。俺がこの世界へやってきた意味も、きっと少しはあるのだろう。
少なくとも百五十年前にサーシャがララオーバの伯爵だったなら、ビショップの不幸は無かったはずだ。そんな風に思えたことで俺は今、妙に納得した気持ちになっていた。
「――周辺に敵意なし、と。やりゃあ出来るもんだな、気配を探るってのも。さ、駅に行こうぜ」
物陰で、しゃがんでいたサーシャに手を差し伸べる。
「え、ええ」
「心配すんなって――また敵が出てきたら、今度こそ完璧に守ってやっからさ」
「言いそびれていたけど……ありがとう、ガイ――……アンタが居なかったらわたし、今頃死んじゃっていたかも……だから」
サーシャは手を伸ばし俺の手を取りながらも、視線を彷徨わせていた。
「いや、こっちこそ遅れて済まない。無事で良かった」
「心配……してくれたの?」
「そりゃね……今回の有様は、俺にも責任があるし……」
「……いいかげん頭に被った紙袋を取ったら? 正体を隠す意味なんて、もう無いじゃない」
立ち上がったサーシャが、砂で汚れた指先で俺の紙袋をつつく。カサカサと音がして、とても耳障りだった。
「あ、ああ……それもそうだな……被ってるの忘れてたわ」
紙袋を取り、「ふう」と息を吐く。するとサーシャはニッコリと笑い、それからゆっくりと細眉を吊り上げた。
「で――ガイ。ここに来るまでアンタ、一体どこほっつき歩いていたのよ?」
「え? サーシャさん……今怒るの? 助けてくれてありがとう――だけで良くないの?」
「良くないわよ! 考えてみたら従属者が主人を助けるのなんて当然なんだし、最初に呼んだ時に来なかったのが全ての問題なんだからッ! この最低従属者ッ!」
魔術師の杖をブンブンと振り回すサーシャを見て、「ああ、やっぱり助けない方が良かったかな」なんて思う俺。
「――だからもう、わたしから離れるんじゃないわよ」
でも沈み始めた太陽を背景に、照れくさそうに俯くサーシャが誰よりも可愛くて。
「もう離れねぇよ……俺はお前の暗黒騎士だからな」
――つい、カッコいい事を言ってしまう俺。
「約束よ――……ずっと、わたしのことを守ってね」
顔を上げたサーシャが、背伸びをして目を閉じる。その唇がそっと頬に触れる感触で、俺は軽く目を見開くのだった。
最後までお読み下さった皆様、ありがとうございました。




