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「は? 殺さないでってお前、今こいつに殺されかけてたんだぞ?」


 水平に払った暗黒剣が、ルークを斬り裂く直前に止まる。肩越しに後ろを見れば、サーシャが下唇を噛みながらこちらに手を伸ばしていた。


「ソイツに――聞きたいことがあるのよ」


 ボソボソとして、聞き取りにくい声。けれどこちらを見つめる蒼い瞳は硬質で、これが揺るぎない意志を秘めた言動であることを物語っていた。


「チッ……でもな、サーシャ。どうせコイツからは情報なんか得られねぇぞ……」


 俺は溜息を吐き、剣をルークに向けたまま一度だけ地面を蹴る。埃っぽい土を固めただけの路上から小石が飛んで、ルークの足元に跳ねた。そこには血溜まりが広がっていて、瞬く間に小石を赤黒く染める。


「いいの。今欲しいのは組織の情報じゃあなくて……父様のことだから……」


 サーシャは左手を胸元に当て、大きく深呼吸をした。強い意思の光を放つ双眸とは裏腹に、彼女の挙動は落ち着きがない。 


「何で……俺がテメェの親父の事を答えなきゃならねぇ……?」


「元魔将のディエゴが、どうしてそれほどまで父様に恨みを持っているのか――わたしには聞く権利があるから。ううん、聞かなきゃいけないと思うの」


「ディエゴはララオーバの風になった……」


「シラを切り通すなら、アンタは全てを抱えたまま、神々の黄昏(ラグナロック)のルークとして死ぬことになるわ。それが本意なら、そうしなさい――でも……晴らしたい恨みや尽きない想いがあるのなら、わたしが聞こうって言ってんのよッ!」


 ここで一旦言葉を切って、サーシャは大きく息を吸い込んだ。声が震えているのは、彼女にとって父のことを聞くことが恐ろしいからなのかも知れない。


「ディエゴ、アンタ――父様に激しい恨みを持っていたんでしょう? それで組織の命令はともかくとして、自分個人の意思でもわたしを殺そうとしていた――違う?」


「……そうだ――もう隠す必要もねぇから言っちまうが、俺――グインランド=ディエゴは、ジョージ=メロウの命令で処刑されるところだった。恨んで当然だろうがよ……」


 躊躇いがちに開かれたディエゴの口からは、先程までと打って変わった理知的な声が聞こえてきた。俺が斬った腕や胸から流れる血は、徐々に止まりつつある。


「……それは、仕方がないことじゃない。アンタが軍規を犯して、父様は上官だった。それもアンタは捕らえた捕虜を虐殺しようとしたんだから、言い逃れなんかできないわよ。軍法に照らせば処刑されるのは自明の理、当然のことじゃないのッ!」


「何も分かっていねぇな、メスガキが。あの当時ニンゲンと魔族おれたちは、まだまだ相容れない存在だったんだよ。お互いに隙さえあれば皆殺しにしようとするような……だ。

 それをヤツはニンゲン同士の戦争と同じく、国際法だの戦時法だのをチラつかせて、俺を止めやがったんだ。降伏した相手を殺すな――人道的じゃあないから、とかなんとか……」


「だ、だとして――アンタは当時、少将の立場にあったんでしょう!? だったら国際法も軍法も、守る義務があったはずよ! なのに虐殺を実行しようとするからッ……!」


 サーシャは尻餅の状態から、懸命に立ち上がろうとしていた。しかし足に力が入らないのか、幾度も転んでいる。俺はサーシャに手を貸し、引っ張り上げて肩を貸した。

 

「そう思わない者が多かったから、今こうして俺が生きている――とは思わねぇか?」


「そんなこと……」


「そもそも俺が捕虜にしたニンゲン共を殺そうとしたのは、それが俺達魔族を虐殺した奴等だったからだ。ララオーバに進駐したとき、奴等は女も子供も容赦なく殺した。そこにはな――俺の嫁とガキもいたんだぜ……」


「そ、それはまだ双方が戦時法を遵守する国家として、互いを認め合っていなかったから……」


「だから俺の嫁もガキも、殺されたのは仕方がない……か?」


「そんなことは言わないけれど……でも、そうしたことがあったから父様はニンゲンに嫌気が差して、勇者パーティーを抜けたのよ。それで魔族の味方をしたんじゃない……」


 サーシャの身体が小刻みに震えている。

 ルークであることをかなぐり捨てたディエゴが、サーシャを睨み据えた。その頭からは鬣が消え、獅子の顔が中年男のそれへと変わっていく。


「ああ、そうだ。テメェの親父がニンゲンを裏切り、お陰で戦力比が随分と変わった。結果としてディオンはステリオンを国家として認め、どちらも民間への攻撃はやらないってことになったんだよなァ!

 だからよ――あの男がもっと早くニンゲンを裏切っていれば、俺の家族は死なずに済んだんだってことだろッ!」


「そうだとして、そんなの逆恨みじゃない……」


「そうだ、逆恨みだ。逆恨みでもしていなきゃ、どうしようもなかった。テメェは見た事があるか――自分の家族が、ケツから杭を打たれて磔にされてる様をよォ。

 どうして、そんなことをしたヤツを許すことが出来る――俺には無理だ……今だって許すこたァ出来ねぇぞッ!」


「でも……負の連鎖は、どこかで断ち切らなければならない……から……」

 

「いいか――そりゃぁな、理不尽に身内を殺されていねぇモンが振りかざす、宝石のようにキラキラした正論ってヤツよ。

 だからジョージ=メロウの身内であるテメェを、俺は蹂躙したかった! ヤツはもう生きちゃいねぇが――その様を見て、やっとヤツは俺の気持ちに気付くんだろうぜッ!」


「父様はきっと、わたしがどんな目にあっても自分の考えを曲げないわ。曲げるくらいなら、そもそもニンゲンを裏切っていないッ!

 父様は全てを捨てて、アンタたち魔族を守ろうとしたんじゃない! それなのに――……」


「なんだ? だから感謝しろとでも言いてぇのか?」


「違うわ。ただ――アンタの気持ちを、父様が分からなかったとは思えないの。ううん……むしろ知っていたからこそ、アンタにわざと逃げられたんじゃあないかしら……」


「なん……だと……まさか、そんな……」


「……今となっては、真相なんて分からないわ。でもね、あの父様が一度捕まえて、処刑まで命じた男を逃がすと思う? わたしは父様が、そんな間抜けじゃあ無いと思うんだけど……」


「……確かに、あのジョージ=メロウが……一度決めたことをしくじるとは思えねぇ……」


 サーシャは首を傾げ、それから改めてディエゴを見つめた。


「ねぇ、グインランド=ディエゴ。司法取引に応じなさい。条件次第では、アンタの命を保証してもいいわ」


「――おい、正気か? 俺ァよ、テメェを無茶苦茶にして殺そうとした男だぜ?」


「アンタも戦争の被害者だってことが分かったの。だから――さっきも言ったでしょう。負の連鎖は、いつか誰かが断ち切るべきなのよ」


「だとして……俺ァ両腕を失っちまった。もう何も出来ねぇ――……誰の役にも立たねぇよ」


「そうね。アンタはここで生き残ったとして、前途は多難だわ。でもだからこそ、生きることで罪を償うことが出来るんじゃあないかしら。 

 それに奥さんとお子さんがこの地に眠っているのなら、アンタが弔ってやらなきゃいけないんじゃあないの?」


「くっ、くく……ああ、その通りだ。俺が弔ってやらなきゃあ、あいつ等は土の中で寂しく死んじまってるだけだったな。畜生、まったく……確かにテメェはジョージの娘だ……くくっ、くはははっ……」


 ガックリと項垂れ、首を左右に振るディエゴ。しかし再び持ち上げた顔は、とても晴れ晴れとしたものだった。


 これでようやく一件落着……、そう思った瞬間だ。

 トンッと軽い音が響き――。

 やっとの思いで自らの罪と向き合うことを決めた獣人の胸に、白い羽根の付いた矢が深々と突き立ったのは……。

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