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助けてと涙を零す美少女の姿を見てしまえば、その懇願を振り払うなんて俺には無理だった。
「了解」と言った俺を見て、サーシャが涙を拭う。出来ればいつか、彼女の笑顔を見てみたいもんだ。
まあ……そう思ってみても、俺はしょせん普通の高校生。それもどちらかと言えばクラスに馴染めない、痛い方の。だから出来ることはタカが知れているし、無茶をしたって、どうにもならない事の方が多いのも分かっている。
今回だってそうだ。
勇者達と奥の兵士達を合わせた数は、目視しただけでも四十人以上。それを相手に一人で戦うとなれば、俺に勝算なんて無いだろう――普通に考えたならば……。
しかし実際ところ、後ろに控えた兵士達が勇者達に加勢する様子はない。
となれば現状は勇者パーティーの五人と戦えばいいだけの話で、幸い俺の目には奴等の動きがよく見えている。しかも妙に身体が軽かった。
ハッキリ言ってガトリングガンの射線すら、俺には見えていたのだ。
つまり、ひたすら回避に徹すれば、サーシャが逃げるだけの時間を稼げる可能性があった。なにせ俺は素早く、どういう訳か今は絶好調だからだ。
例えば陰キャがドッジボールをやったら、最後まで残る場合が往々にしてある。何故なら彼等にはボールを取る気が無く、しかも当たるのが怖い為に、やたらと逃げ回るからだ。しかも陰キャは、意外と運動神経が悪くない。なので無駄に素早いのである。
もちろん俺も、そんな風に素早い陰キャだった。小学生時代、普段から黒い服を着ていた為に、「ゴキブリ」と呼ばれたほどの。だからこそ素早さには、絶対の自信があるのだった。
「ようし、サーシャを守るぞ! 守るけれども……」
――あれ、目から熱いものが零れてくる。なんだろう――俺、小学生の頃、虐められていたのかな? いや、そんなことは無い。断じて無いに決まっている。
なぜなら俺は、自分が虐められ体質であることを知っていた。そして虐められない為にはどうすればいいか、必死で考えたのだ。
最初はとにかく、何かあれば先生や親に相談しようと思っていた。しかしある日、先生にこう言われてしまったのだ。
「黒刀君、君が虐められたとして、その場合は君にも原因があるのかも知れないよ? もしそうなったなら、まずは胸に手を当てて、よぉ~く考えてみようか」
待て待て――と思った。
ライオンに食べられるウサギにも、食べられる理由があるというのだろうか?
胸に手を当て必死で考えたなら、ウサギはライオンに食べられない理由を見出せるのだろうか?
馬鹿を言うな。
彼等が食べられる理由は、ウサギだから――という一点に尽きるはず。そこで俺は気付いてしまった。
「所詮この世は弱肉強食である」――と。
強ければ生き、弱ければ死ぬのだ。決して某マンガのキャラのセリフに感銘を受けた訳では無い。こうして世の絶対的真理に気付いたからこそ俺は剣道と空手を習い、強くなろうと決意したのだった。
もちろん剣道をやれば天翔ける何かを使えるようになると思っていたし、空手をやれば、ゼロ距離打撃が可能になるとも信じていた。しかし残念ながら、これらの技は習得出来なかったけれども……。
とにかく、そんなワケで俺は戦いに関して全くの無知では無い。なので敵に隙があれば、反撃に移ることも考えている。
やるからには、俺もサーシャも生き残るのが最善なのだ。その為には全力を尽くすのみだった。
もっとも――出入り口と思しき扉の前にいるバリケードを築いた兵隊達。彼等が数にものを言わせて銃火器で攻撃をしてきたら、この作戦は台無しだ。そうなったらせいぜいが、俺自身を盾にサーシャを逃がす程度のことしか出来ないだろう。
どちらにしても、サーシャには早々に逃げて貰いたい。そして俺が逃げる為の道順も、聞いておきたいところだった。
「サーシャっつったな? ここって何階だ?」
「七階よ、それがどうしたの?」
予想外に高い位置だった。窓から外へ逃げ出すことは、不可能に近いようだ。
あと、目につく出入口は正面の扉だけだが、あっちは敵兵がバリケードを築いている。これを突破するのは、流石に無理ゲーだろう。
となると他に出口が無ければ、早くも終了のお知らせブザーが鳴るが……。
「……正面にある扉以外で、外に通じる扉はあるか?」
「外っていうか、隣の部屋へ行く扉なら後ろにあるわ……」
「隣の部屋からは、外に出られるか?」
「ええ、そこから廊下に出られるけれど……」
「その先にも敵兵がいると思うか?」
「もし敵がいるのなら、とっくに後ろも包囲されているわ……だから、いないでしょうね。ていうかアンタ、さっきから何なの?」
「よし。じゃあサーシャ――俺が奴等を食い止めてる間に、お前はそこから逃げろ」
「は? よし、じゃないわよ……逃げる? 馬鹿なこと言わないで。わたしがアンタに下した命令は殲滅。なのにわたしが逃げてどうするのよッ!」
「あのな、お前、ここで死ぬ気か? 今まで追い詰められてたんだろ? 死にたくないから助けてくれって――泣きながら俺に頼んできたんだろ?」
「な、何言ってんのよアンタ、頭おかしいんじゃない? わたし、ぜんぜん追い詰められてないし、泣いてなんかいないんだからッ!」
「え? ……いやいや、お前さ、完全に涙が……――」
「あーあーあーあー! きーこーえーなーいー! さあ、わたしが援護するから、ほら――暗黒騎士の力を存分に発揮しなさいッ! 殲滅よ! 殲滅ッ!」
さっきまで泣いていた銀髪の美少女が、青い瞳に闘志をめいっぱい湛えて杖を構えている。というか泣いたことを誤魔化そうとして、なにやら必死な様子だ。ふざけんな。
「言っておくがな、俺は状況もよく分からねぇし暗黒騎士だって知らねぇ。ただお前が死にたくねぇっていうから、好意で助けてやろうと思っただけなんだよ。これを無駄にしたらお前、ホントに死ぬかもしれねぇぞ。あいつ等に降伏する気がねぇんだったら、俺が言う通りさっさと逃げろ、ばか、ばーか、ほんとにばかッ!」
「ばかって言ったわね! もうあったまきた! だいたいアンタはわたしが呼び出した暗黒騎士なんだから、間違いなく最強なのよ! それなのに自分を理解していないなんて――……まだ寝ぼけてるの!? 戦えったら戦えッ! さあ、殲滅よッ!」
サーシャは頬をぷくーっと膨らませ、ダンダンと床に足を踏みつけている。緊迫感が無いという以前に、どこまでも我が儘だった。
「寝ぼけてねぇ! ラーメン食ってたって言ったろうがッ、昼飯の最中だったんだよッ! ……御託はいいから、とにかく逃げる準備をしろ。俺じゃ時間を稼ぐのがせいぜいで、こいつ等を殲滅なんて出来ねぇ。それは俺自身が一番良く分かってんだからッ!」
「ねえ……本当に無理なの?」
「ああ、無理だ。――見ろ、手足だって震えてんだろ……! これがお前の言う、最強の暗黒騎士の姿かよ? 時間稼ぎだって本当は自信、無いんだぜ?」
途中からは小声で、サーシャだけに聞こえるよう言った。流石に敵対している勇者達に、本当のことを言う気にはなれない。俺が弱いとバレた時点で、時間を稼ぐことさえ難しくなるからだ。
細く美しい眉尻を下げて、サーシャが俺を見ている。紺碧のような瞳に揺蕩う感情は、もしかしたら失望かもしれない。それを確認するのが怖くて、俺は彼女と目を合わせられずにいた。
それでも、彼女を守ると決めたのは俺自身だ。覚悟を決めて、床に転がっていた鉄パイプを拾う。今、手に出来る武器はこれだけだし、何も持たないよりはマシだった。
「……武器なんか持って、アンタはどうすんのよ?」
「あ? 時間稼ぐに決まってんだろ」
「……命懸けで、わたしを逃がそうっていうの?」
「まさか……死ぬつもりなんかねぇよ!」
サーシャの沈んだ声に空元気で返し、俺は鉄パイプを正眼に構えた。
自信は無いが、俺だってまったく戦えない訳じゃあ無い。一応は剣道や空手を嗜んでいるし、その技術でワンチャンあるかも――とは思っていた。
まあ、流石にそれだけであいつ等を殲滅できるとは思えないだけで……。
それに相手が勇者と軍隊なら、サーシャが逃げたあと降伏してもいい。まさか勇者が降伏した人間を殺すとは思えないし、正規の軍隊なら軍法やら国際法やらを守る必要があるはずだ。
過度な期待は出来ないけれど、これがサーシャも助かって俺も死なない為の、唯一の道のような気がするのだった。
といっても重火器や弓、槍、剣を相手に獲物が鉄パイプでは余りにも分が悪い。
しかも勇者の武器は奴の背丈ほどもあり、鍔の根元から蒸気が“シュー”と吹き出る不気味な大剣だった。
この武器が迅雷の勇者と名乗る所以であるならば、蒸気を使って熱エネルギーを電気に変換――その上で雷撃を使うことが予想できる。
まあ、この予想自体は突飛だが――どちらにしても百九十センチに近い男から繰り出される斬撃が、温いということは絶対に無いだろう。そのように、俺の中二病的頭脳が警鐘を鳴らしてた。
だが今は幸い、敵が俺の存在を警戒してか、攻撃の手を休めている。
それは俺が四天王サーシャの召喚した暗黒騎士だという情報を信じ、黒い鉄パイプを手にしたことで目覚めたとでも思ったからだろう。
しかし――それも今、この瞬間までだった。
「構えを見りゃあ分かるぞ、暗黒騎士。テメェ、人を殺したこともねぇヒヨッコだろう。俺の目的はあくまでもサーシャ―=メロウだ。テメェは引っ込んで、母ちゃんの乳でもしゃぶってやがれ――そうすりゃ命くれェは助けてやるぜ」
ザーリッシュが蔑んだ目でこちらを一瞥、サーシャへ向かって駆け出した。ヤツは俺に雑魚認定を下すと、もはや目もくれずサーシャを殺そうと走ったのだ。
俺も慌てて動いた。雑魚認定を甘んじて受ける訳にはいかない。サーシャを守ると決めた以上、何としても注目させる必要があるのだから。
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