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ギロリ――頭に被った紙袋の中からルークの動きを見つめ、呪文を詠唱する。ヤツはまだ、俺の意図に気付いていない。
もちろんルークに気付かれないよう、俺は今まで魔術を使う素振りさえ見せていなかった。それが功を奏しているのだろう。
戦いながらビショップの記憶を探りピックアップした黒魔術は、「体力吸収」「暗闇」「毒霧」の三種類。
この三つのうち、どれを最初に使うかは結構悩んだ。中でも最も射程距離の長い魔術は「毒霧」。だからこれを最初に使い、ルークを弱体化させようかと考えたりもしたのだが……。
しかしこれを躱された場合、魔術を使えることが確実にバレる。そうなれば警戒されて、本命の「体力吸収」をヤツに見舞うことが難しくなるだろう。
だったら危険でもルークの虚を衝き、「体力吸収」を確実に当てるべき――そう考えたのだった。
「体力吸収」とは、その名の通り敵の体力を吸収する。同時に俺のダメージを敵に移すことから、ある意味では超攻撃的な回復魔術なのだ。
「ド・ラ・バード、ド・ラ・バード、其の力を我に、我が痛みを其へ――体力吸収ッ!」
呪文を唱え、ルークに向けた剣先に意識を集中させる。魔術の使用において、媒介は必須だ。魔術師には杖――暗黒騎士には暗黒剣といった具合に。
敵へと向けた媒介の先端が指向性を持ち、効果範囲や対象を限定する。それと同時に、媒介は魔術を増幅する機能も果たすのだった。
呪文の詠唱を終えると暗黒剣の先端からは、黒とも紫とも判別できない小さな球体が現れ、大きく広がっていく。広がる過程で深紅の稲光が球体の周囲に纏わりついて、バチバチと弾けていた。
ルークは慌てて距離を取ろうとするが――しかし間に合わない。全身に光を纏い、ため込んだ力を開放した必殺の飛び蹴りだ。
こうした必殺技は破壊力が大きい分、いったん放てばキャンセルが困難なのは古今東西リアルもゲームも同じこと。
俺と共に球体へ飲み込まれたルークは身体から光が消え、地面に落ちた。そのまま脇腹を押さえ、片膝を付き蹲っている。
逆に俺は痛みがすっかりと取れて、疲労さえ回復していた。不気味な色合いの球体が消える頃には、俺とルークの立場は完全に逆転――ヤツは鬣を揺らし荒い息を吐きながら俺を見上げている。
「なんだ、こりゃあ……?」
ギリリと奥歯を軋ませ苦悶の表情を浮かべるルーク。
「元魔将のクセに、黒魔術も知らねぇのかよ」
「ちっ……てめぇ、まったく魔術を使わねぇから……騙しやがって」
「うるせぇ……サーシャをひん剥きやがって。今殺してやるから、じっとしていやがれ」
暗黒剣を構え、振り下ろす。
ルークを殺せば、その生涯を見ることになるのだろう。正直、途方もない苦痛だ。それでも俺は、この男を殺したいと思っていた。
しかしルークは予想に反して俊敏に動き一本しかない腕で、俺が振り下ろした暗黒剣を払う。強引に横へと逸らされた剣は切っ先を――ザンッ――と地面に埋めて、そのまま止まり……。
すぐに地面から剣を引き抜き構えようと思った刹那、左肩に鈍い痛みが走った。ルークの剛力が俺の肩を締め付け、鋭い爪が食い込んでいる。黒いジャージから血がジワリと滲み、溢れて指先まで滴ってきた。
俺が剣を引き抜くよりも早く、ルークが左側に回り込んだのだ。右手で剣を握っている俺にとって、それは攻撃が出来ない死角になっていた。
「もともと暗黒騎士を相手にして、無傷で勝てるなんざ思っちゃいねぇよ……舐めんじゃねぇ」
「――んなもん、こっちだって同じだ、コラァ!」
――ドンッ!
地面を蹴って、肩を掴まれたまま強引に体当たりをする。どうせ肩を潰されるなら、少しでもルークの体勢を崩しておきたかった。
ルークがぐらりと揺れて、顔を顰めている。折れた肋骨に直撃したのだろう――ヤツの力が緩み、肩に食い込んでいる爪が外れかけていた。
俺は強引にルークから離れると、右腕だけで剣を構える。左肩の骨は砕けてしまったようで、もう動かなかった。
「――毒霧ッ!」
簡単な魔術だから、詠唱もいらないだろうと思って叫ぶ。サーシャの魔力が本当に強大なら、この程度の魔術は無詠唱でも問題なく行使可能なはずだった。
結果は成功――剣先から赤黒い霧が発生し、ルークの全身を覆っていく。
ルークは霧に包まれ、全身をブルブルと震わせて激しく咳き込んだ。俺は右手だけで剣を構えたまま、もう一度「体力吸収」を唱える。
ルークは大量の血を吐き、同時に左肩から激しく出血をし始めた。対して俺の傷は塞がり、身体の状態が正常に戻っていく。
「ガフッ、ガフッ!」
咳込みながら、ルークが蹲る。その背中が忙しなく上下に動いていて、ヤツは今、呼吸すら困難な様子だった。
「随分とわたしの魔力を使ったようだけれど、どうやら決着が付いたようね! 随分とわたしの魔力を使ったようだけれど!」
チラリとサーシャを横目で見ると、チンピラ達を片付けたのだろう――フンスと腰に手を当て、彼女は小さな胸を反らしている。
どうやら俺が魔力を使ったことがコイツにとっては、かなり大切な事だったらしい。なので二回言っていた。
「そんなに沢山、魔力――……使っちまったのか?」
「そうね! 並みの魔術師なら一個小隊分ってところかしら!」
「……それって、どんぐらいよ?」
「平時なら三十人、戦時の最大定員なら五十人ってところね! ちなみにアンタが使った分量は、戦時のものよッ!」
「へぇ……魔術師五十人分の出力だったから、こんなに効果があったってことか?」
それだけの魔力を使われても、全く動じていないサーシャ。それどころか相変わらずパンツ丸出しで、俺の横に立っている。
「そうね――そうに違いないわ! どう? これでわたしの偉大さが、少しは理解出来たかしら!?」
「いやまあ、それはそれとしてだな……お前そろそろズボン、履いたらどうだ?」
「あっ……」
今まで反らしていた胸が萎み、背中が丸くなっていくサーシャ。そんな態度と反比例するように、顔が耳まで真っ赤になってしまう。
ズボンを履いたサーシャが懐中時計を取り出し、時間を確認した。午後四時十分――汽車の時間までは、残り五十分だった。
「ディエゴ――アンタが神々の黄昏の一員だということは、もう分かっているの。アンタの組織に誰がわたしの暗殺を依頼したのか、話すのならば命だけは助けてもいいわ」
腕組みをしたサーシャが眉を吊り上げ、憤然と言う。
俺は彼女の前に立ち、蹲る獅子頭の男に剣を突き付けていた。
「――言わねぇなら、残った右腕も斬り飛ばしてやろうか?」
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