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「ダークマターね……まあいいわ。我が敵を滅せよ」
「え……あ、うん。ヤ、了解……」
サーシャはジットリとした目で俺を暫く睨んでいたが、結局は従属者として扱うつもりらしく……。
とはいえ俺の方は、ドギマギしてしまった。だって純白のパンツを丸出しにした彼女が目の前にいるのだ。
今は敵を直視し攻撃に備えるべき時なのだが、サーシャの雪のように白い太ももが、どうしたって目に入ってしまう。しかも靴を履いた状態だから、やけにエッチに見えるのだ……。
一度だけ首を左右に振る。敵を前にして、サーシャの太ももに目を奪われ続けてはいけない。さあ――戦闘だ。
俺はルークに向けていた漆黒の刃を高速で振り下ろし、先制の一撃を見舞った。敵はまだ下半身丸出しの状態――これならどんな手練れでも、素早くは動けないだろう。
敵の虚を衝くことは、戦いの基本。ビショップはルークが自分よりも遥かに強いと言っていたが、この状態なら俺が圧倒的に有利だ。戦うことを選んだが、あながち間違った選択では無かったかも知れない。
ブン――と大気を切り裂く音が響き、暗黒剣は容易く獅子頭を両断。
サーシャのパンツに手を掛けようと中腰になっていたルークは、無様に脳漿をブチ撒ける。そういった映像を思い描いたのは、俺だけでは無かった。
「「ルーク様!」」
ヤツの部下達も悲痛な叫び声を上げている。
サーシャは地面に投げられた上着を拾って羽織り、冷然とルークの最後を見つめていた。
「無様な最後だわ、ディエゴ――いいえ、今はルークと名乗っているのかしら」
自身を凌辱しようとした報いだとばかりに、形の良い唇の片端を僅かに吊り上げて笑うサーシャ。その姿は、まさに銀髪のクールビューティー。氷のように蒼い瞳が怜悧に煌めく様は、魔王軍の大幹部たる威厳にも満ちていた。
しかし実際は、そんなサーシャの予想に反し俺はルークの頭に血の華が咲かせることが出来ず……、ヤツは残像を目の前に残し、十歩ほど離れた先で歯を剥き出し唸っている。
「グルル……いきなり斬りかかって来るたぁ……おい……ビショップのところで大人しくしていなかったことを、後悔させてやるぞ……!」
ルークは、いつの間にやらズボンも履いていた。俺の目でも捉えられないのだから、驚くべき速さだ。そして今は、一本だけの腕でローブを脱いでいる。
「おう、やってみろよ。ローブを脱いだら、全力が出せるってか?」
「ふん――軽口を叩けんのも、今のうちだ」
ローブを脱いだルークは、カーキ色のタンクトップ姿だった。左腕は肩の先から無いが、右腕の太さは驚愕もの。俺の足より多分――太いだろう。
胸元に光る銀のネックレスは、ドッグダグのようだ。しかしそこに記されているものは文字ではなく、奇妙な図柄であった。
「ルーク……いいえ、元魔将ディエゴは速くて力のある、近接戦闘の名手よ、気を付けて。わたしは手下共の相手をするわ」
上着を羽織ったサーシャが、背中越しに話しかけてくる。彼女はそのまま杖を握り、構えていた。どうやら俺の背中を守ってくれるらしい。周囲を囲んでいたチンピラ達が、それぞれの獲物を手に、こちらへと迫っていた。
「あの獅子頭が近接戦闘の名手ってのは、見りゃ分かるぜ。で、どうする?」
「――アイツ等を片付けたら転移魔術の詠唱に入るわ。さっきは敵を倒せと言ったけれど、今回も時間を稼いでくれれば十分よ。ディエゴの背後にある組織が気になるけれど、死んだら意味がないものね。逃げましょう」
数的には十三対二というところ。先日のように軍隊に囲まれている状況よりはマシかも知れないが、ろくでもない形勢であることに変わりは無かった。
サーシャもそれが分かっているようで、逃げる方向に舵を切ったらしい。けれど今回は俺に逃げる気が無かった――何故なら腹が立っているからだ。
「いや、逃げない。逃げる必要なんて無いからな。あいつは俺がブチのめす」
「何でよ? ディエゴは強敵だし、ガイ――アンタがここで無理して戦う意味なんてないわ」
「うっせぇ、ブチのめすって決めたんだ。あと、俺はガイじゃねぇ、ダークマターだ!」
「ダ、ダークマター! 勝算はあるの!? 十七時の汽車にだって乗らなきゃいけないのよ!」
「ある! あるからサーシャ、お前はさっさとズボンを履け! なんで上着だけ着て、ズボンを履かねぇんだ!」
目の端にサーシャの姿を捉えると、肉感的な太ももがどうしたって目に入る。俺としては見て嬉しいが、しかしこれをチンピラ共に見せたくは無かった。
「あ、あのね、状況。今ズボンを履いている余裕があると思ってるの!? 敵に囲まれてるのよッ!? アンタがディエゴと戦っているときに、後ろから拳銃で撃たれらどうすんのよ!? わたしだって隙を見せられる状況じゃないんだからッ!」
「おい! 俺はディエゴじゃねぇ、ルークだ! ディエゴはララオーバの風になった……」
前方でルークが黒い爪の光る人差し指を立て、「チッチ」と左右に振っている。
「ああもう、ガイといいディエゴといい、面倒くさいわねッ! ダークマターだのルークだのッ!」
サーシャがシルクのパンツを陽光に反射させ、地団太を踏んでいる。そういう姿を見せられると、俺としては場も弁えず股間が疼くんだが……。
しかしここは、きちんと真面目に話をしよう。サーシャはルークの背後にある組織が気になっているようだし……。
「サーシャ……ルークってのは、神々の黄昏の階級だ。奴等は組織での地位を手に入れる代わりに、元の名前を捨てる――だからそう言ってるんだろうぜ。
要するに、何者かがサーシャ――お前の暗殺を神々の黄昏に依頼したってことだ」
「そう、神々の黄昏がディエゴを救ったのね……まさか国際的な犯罪組織まで、この戦争に絡んできていたなんて……って――ガイ、何でアンタがそんなことを知ってんのよ!?」
「色々あったからな。あと、俺はガイじゃねぇ……」
「ああ、もういいわ……とにかく今は、目の前の敵を片付けましょう! 詳しい事は終わったら教えなさいよねッ!」
「――おうッ!」
サーシャがチンピラ共に対し、魔術詠唱を開始した。
俺もダッシュでルークの懐に飛び込み、突きを三連――しかし巨体に似合わずヤツは半身になってそれを躱す。しかも、その動作を利用して身体を半回転させると、回し蹴りを放ってきた。
「セイッ!」
鋭利なノコギリのような牙の覗くルークの口から、武闘家のような声が漏れる。
極太の足が放つ回し蹴りは、まるで小さな竜巻のように周囲の空気を巻き込み、轟音を発していた。それが俺の身体に迫ると、否が応にも死の危険を感じてしまう。
「くっ!」
――だが、この蹴りは見えていた。見えていれば、俺の身体はどうとでも反応出来る。既にそうであることが分かっていた。
身体を捩じり、横から迫る蹴りに剣を垂直に立てて対応。剣の防御は同時に攻撃を兼ねる。
ルークの足が刃に触れれば、ただでは済まないはずだ。そのまま右足を斬り飛ばしてやる――そう思っていたら――ヤツはぐりんと膝を曲げ、足を剣の手前で通過させた。
さらにルークは強引に回転を止め、がら空きになった俺の横腹に巨大な拳をめり込ませて……ドンッ!
「うぐッ!」
腹筋に力を入れたところで、どうなるものでもない。打撃はまるで大砲を腹に打ち込まれたかのような、凄まじい衝撃だった。痛みと共に意識が刈り取られそうになる。
身体が宙に浮き、吹き飛ばされそうだ。けれど剣を地面に突き刺して、それを何とか耐えた。飛んでしまえば、背中を壁に打ち付けてしまう。そのダメージまで負うことは、間違いなく危険だった。
その時だ、背後からパン、パァンと銃撃音が聞こえたのは――。
「――ガイッ、避けてッ! 物陰にまだ隠れていたわッ!」
サーシャの悲鳴が響く。瞬間――ドクンと心臓が高鳴った。
世界がスローモーションに見える。銃弾が光の軌跡を描き、背後に迫っていた。それを目の端に捉えつつ、剣を水平に振るって弾丸を斬る。返す刀で直上に飛び上がり、俺に止めを刺そうとしているルークの足を斬りつけた。
「チッ……仕留め損なったか」
俺を銃撃した奴等は、即座にサーシャが氷の槍を叩きこんで無力化した。だがルークは猫のように空中で態勢を変え、俺の刃を逃れている。
敵の戦力はサーシャが徐々に削っているが、こっちも実は俺の戦力が大幅に削られてしまった。
「ダークマター、大丈夫!?」
「も、問題ねぇ……鍛え抜かれた俺の腹筋は無敵だ」
「そんなに鍛えていたの?」
「ああ……一日三十回。それを五セットやってるから、それなりにバッキバキだぜ……」
サーシャの声に親指を立てて答えたものの、袋で隠れた額は脂汗に塗れていた。それどころか敵に弱みを見せないよう、構えを維持して立っているので精一杯の状況だ。
敵の攻撃を何とか凌いだものの、腹のダメージは大きい。肋骨が何本か折れていた。息をする度に刺すような痛みが肺を襲い、次第に呼吸がし辛くなっていく。
やはり腹筋百五十回では、化け物の打撃を無力化出来ないようだ。
『よぉ、キョウダイ。まだまだ戦い方を分かってねぇなァ。新米暗黒騎士じゃ、元魔将にゃ勝てねぇってか?』
「んなことねぇよ……! 黙っとけ、暗黒剣ッ!」
『おうおう、イラついてんなぁ。負けるのが嫌なら、力を貸してやってもいいんだぜ?』
「――出しゃばんな、あいつは俺がブチのめさなきゃ、気が済まねぇ」
『イイネ、イイネ、その負けん気の強さはヨ。結局ナ、戦士を強くすんのは負けたくねぇ――って気持ちだけヨ。それがねぇヤツは、遅かれ早かれ負けて死んじまう……』
「だったら、俺ぁ死なねぇだろ」
『さーな。戦況は不利、勝てる見込みは正直低い……けどナ、ここでキョウダイに死なれちゃ、オレが困るんだヨ。だから勝つ為のヒントを教えてやらァ。
いいか、暗黒騎士ってなぁよ、装備が黒いからってだけじゃねぇ……ただひたすら敵を倒すことに特化した性質から、そう呼ばれ始めたんだ。
てこたぁよ、何も肉弾戦だけがオレ達の戦い方じゃあるめぇよ――なぁ、ビショップの記憶を得て、キョウダイももう使えるはずだぜ……』
「……あ? 何を使えるってんだよ?」
『決まってんだろ、黒魔術ダヨ。剣と黒魔術の混合攻撃こそ、暗黒騎士の真骨頂よ。近接バカの元魔将に、暗黒騎士の恐ろしさを教えてやんなァ』




