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妹の受難から失踪に至るまで、当時のビショップはまるで知らなかった。ララオーバの邸にいなかったからだ。
当然ながらこの時ビショップが邸に居たら、状況はまるで違っていただろう。彼は神官として魔術も武術も修めている。伯爵がいくら妹を求めたところで教会の権威と自らの武力を背景に、頑と跳ね付けることが出来たはずだ。
しかしビショップはこの時、神官として各地を回っていた。当時の彼は父が妹を拾ったことを感謝していたし、自分も同じように誰かを助けることの出来る存在になりたいと、心から願っていたのだ。
また、ララオーバで司教の地位を得る為には、相応の支持が必要であった。それを集める為の行動だから、前ララオーバ伯爵も彼の巡行を認めていたのである。
――このような事情から、ビショップが邸に戻ったのは三日後の夕刻、全てが終わった後なのであった。
そんな彼を、新伯爵は何食わぬ顔で迎えている。笑顔で玄関まで出迎え、両手で握手さえしたのだ。だからビショップが事の経緯を知ったのは更に後、部屋に戻って見つけた妹の書置きによってである。
書置きには夫婦となる誓いを守れないことを詫び、その理由を述べ、自ら命を絶つと書いてあった。
動揺したビショップは部屋を出ると、すぐさま妹と同じ年頃の侍女に話を聞いている。すると彼女は涙ながらに、訥々と語り出した。
「きっとお邸を出てすぐ、川に飛び込んだのでしょうね。昨日の朝、子供たちが町外れの川辺で彼女の遺体を見付けたそうです。伯爵はそれを見もせずに荼毘に付すよう命じて、骨は共同墓地にって――……」
「そんな……せめて私の帰りを待ってくれても良かったじゃないかッ! 私は神官なのだしッ! ましてや共同墓地だって!? 父母の墓だってあるのに……!」
「そんなの、私に怒鳴られたって知りませんッ!」
「す、すまない……声を荒らげてしまって」
「――いいんです、気持ちは分かりますから。でもね、私だって同じ目に遭ったんですよ。だけど生きてます……何も死ぬことなんて無かったのにって……正直、そう思います」
侍女の言葉をぼんやりと聞いて、ビショップは部屋へ引き返す。本来ならば祝詞を紡ぐはずの口は、呪詛のように自責の念だけを吐き出していた。
「最後の最後で……俺は守ってやれなかったのか……! いや……そもそも俺がこんな場所に来たから……俺のせいだ……!」
神官の身分を得てから「私」に変えていた一人称も「俺」に戻り、知らず知らず髪を幾度も掻きむしっている。
部屋に戻るとビショップは震える手で、もう一度だけ妹の残した手紙を読んだ。ポタポタと涙が紙に落ち、やがて文字が擦れて読めなくなる。
伯爵に対する恨みも大きいが、何より肝心な時、妹の側に居てやれなかった自分が情けない。
先代の伯爵が勘当する程の男だということは、知っていた。なのに妹を一人残して、なぜ自分は地方の村々を巡っていたのか……。
自分で自分を責め続けるビショップの下に、新しいララオーバ伯爵がやってきた。彼はビショップに金貨の入った袋を放り、放言する。
「――まさか、死ぬとは思わなかったのだ」
「これは?」
「見舞金だ」
「……見舞金?」
「ああ、そうだ。平民女の値段だと考えれば、十分に釣りがくるだろう」
「謝罪のつもりか?」
「……ああ、そうだ。お前の妹だったそうだからな。荼毘に付して埋葬もしてやった。礼ならいらんぞ、貴族として、手を付けた女の後始末をしたまでだからな」
「き……さま……貴族なら、何をしても良いとでも思っているのか? 平民を何だと思っているんだッ!? 自分がなぜ勘当されたか、一度でも考えたことがあるのかッ!?」
ビショップは自責を放り投げ、目の前の男に怒りを爆発させた。伯爵に金貨を投げつけ、掴みかかる。しかしすぐに私兵が彼を取り押さえ、部屋の外へと放り出した。
「つ、摘み出せ! い、今すぐその男を邸の外へ摘み出せぇぇええ! 足腰立たんように打ち据えて、野垂れ死にさせろぉぉぉぉお!」
怯えて素っ頓狂な声で側の兵達に命じ、ララオーバ伯爵はそそくさと立ち去った。
「「御意!」」
しかし伯爵の私兵達も、ビショップの気持ちは理解している。だから必要以上の暴行は加えず、ただ彼を放り出すことにした。
一方ビショップも、既に意気消沈している。今さら抵抗したところで妹は戻らない。戦う意思も見せず、兵達に放り投げられると、ただ地面に突っ伏し悔し涙を流すだけであった。
「ビショップ、お前さんは神官なんだから、別の街で身を立てろ。妹のことは残念だったが、貴族が平民に虐げられるのなんざ、よくある話だ。前の御屋形様が――優しすぎただけさ」
そう言った私兵は、申し訳なさそうに肩を窄めて暗い門の中へと戻っていく。閉ざされた扉はビショップが放つ怨嗟の籠った視線を、超然と跳ね返すかのようだった。
その後ビショップは、当て所もなく旅をしている。一歩足を前に出しては妹を思い、二歩足を進めてはララオーバ伯爵への恨みを募らせて……。
いつしか彼は自らが神官であったことも忘れ、「ララオーバ伯爵を殺す」という事だけを考えるようになっていた。
――ビショップは古い記憶を呼び起こす。
かつて自分を誘った神々の黄昏の男。犯罪組織に入れば、例え相手が伯爵と云えども復讐が出来るのではないか――そう考えたのだ。
果たして神々の黄昏の男は、笑顔でビショップを迎えてくれた。
「ビューティフォー! 復讐とは素晴らしい! いいでしょう、力を貸して差し上げますとも!」
「力――俺の為に、組織を動かしてくれるのか?」
「ノン、ノン、ノン! あなたが力を得るのですよ、ニンゲンを辞めることでねッ!」
「ニンゲンを……辞める?」
「ええ、そうですよォ! アナタ、不死になるんですよォ、ンッフフフフフ!」
「俺が――吸血鬼になるってことか?」
「まーさかッ! あなたはね、よりおぞましい化け物になるのですッ! 人からも魔からも忌み嫌われる唯一の存在ッ、それこそがッ!」
「……屍鬼になれってか?」
「ええ、そうですよ。私ね、あなたには随分前から目を付けていました。類まれなるハァァングリィィな精神、いつ狂気へとも転化しかねない愛情――など、などッ! いかがですぅ、無理にとは言いませんよぉぉ!?」
「……――何でもいい、屍鬼だろうが何だろうが、なってやるッ! あの男を殺すことが出来るのならッ!」
「ンッフフフ! よろしい、ではぁぁああ――あなたを偉大なる女王陛下の従僕にして差し上げましょぉぉっ!」
こうして屍鬼となったビショップは妹を凌辱し、死に追いやった伯爵を惨殺。後に教会を築き、ララオーバ=ビショップとしてララオーバの闇を統括する立場となったのである。
また、今に至る百五十年でニンゲン側の勢力は減衰。ララオーバが新興国家ステリオンの領土に組み入れられた結果、ビショップは魔国で暮らすニンゲンとして、より一層闇の中へ紛れることとなったのだ。
頭を振って目を開くと、もう既にビショップの身体は消えていた。それでも今までの記憶が俺の脳裏を駆け巡った時間は、十秒と無いだろう。
おっさんの記憶が入ったせいか、俺はごく自然に胸元で十字を切る。この世界でも神に祈る時は、こんな動作をするらしかった。
「コーデル=ラミステリア――おっさん、随分とカッコいい名前だったんだな。妹はアルデラさんね……。ったく、血の繋がってねぇ妹がいたとか、どこの主人公だよ。羨ましすぎだろ……」
言いながら、頬を涙が伝う。ビショップの感情が俺の中で渦巻き、涙を流させたのだろう。
俺は残されたビショップの衣服と聖書を持ち、教会の裏手にあるアルデラの墓へ向かった。せめて最後くらいは、兄妹を一緒にしてやりたかったから。
「サーシャをアルデラさんのような目には、遭わせねぇよ」
アルデラの墓前にビショップの衣服を添えていると、さっきビショップを「ハゲェ」と呼んだ子供たちがゾロゾロと姿を現した。リューネの姿も、そこにはある。
「あ、ガイ――神父さん、まだ礼拝堂にいるかしら?」
屈託のない笑顔で、リューネが言った。俺は何も言えず、口をパクパクと金魚のように動かした後、辛うじて言葉を返す。
「暫く出かけてくるってよ。ええと、あれだ――あとはリューネに任せるって言ってたぜ」
「あとって、どういうこと?」
「……さあな」
俺がビショップを殺したのだと知ったら、リューネは俺を恨むだろうか……。
結局俺はリューネや子供達に真実を告げないまま、大急ぎでサーシャの下へと駆け出した。
ビショップは、最初からこの仕事を失敗させるつもりだったのだろう。
確かに復讐を遂げて以降のおっさんは、確かに悪党と呼ぶに相応しい。権力者を相手に脅し、騙し、奪い、盗み、殺す――といったことばかりをやっている。
けれどおっさんは、一度として少女を凌辱するような真似をしたことは無かった。
「――なんでおっさんは、幸せになれなかったんだろうなぁ」
俺は走りながら、どうしようもなく悲しい気持ちになった。だというのに――何故か身体はおっさんを殺す前より元気になっている。
それだけではなく、ビショップの記憶が俺の中へ入ったことにより、様々な知識や力が俺の中で渦巻いているようだ。強くなった気がした。
『なあキョウダイ、感傷に浸るのもいいけどよヨ、もっと急がなくていいのか? ――サーシャ=メロウがよぉ、ひん剥かれてるぞォ』
「なにぃぃぃ!?」
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