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激突――暗黒剣とビショップの血の腕が、刃鳴りを生じて弾け合う。
本気と言ったビショップの力は数段増していて、赤黒い腕が動くたびに大気もうねる。同時に魔術詠唱を絡めた多重的な攻撃は、少し前の俺なら数秒と耐えることが出来なかっただろう。
――だが俺の力をさらに吸った暗黒剣は、これを物ともしていない。
俺は態勢を低くして突進すると、暗黒剣を一振りしてビショップの腕を二本斬った。左側にある、赤黒い腕だ。先ほどまでは傷一つ付けられなかったそれを、今の俺は容易く切断してしまった。心臓の痛みや頭痛に反比例して、力が格段に上がったらしい。
「……血手が斬られるたァ、ようやく本気になりやがったか?」
ボタボタと流れ落ちる血に視線を巡らせ、ビショップが皮肉気に口の端を吊り上げている。けれど俺は、この質問に答えられなかった。
俺が暗黒剣に力を渡すことで暗黒騎士の能力が十全に発揮されるというのなら、多分まだまだ先がある。その全てを出し切ることが本気だと定義するならば、今のこれは当然違うのだろう。
何しろ暗黒剣は俺の力を全部寄越せ――とは言っていない。俺の体調を鑑みて、少しずつ力を使っている状況なのだ。
一方で気持ちの面を語るなら、俺は最初から本気でやっている。
数日前の昼まで日本で平和に暮らしていた俺が、いきなり戦場へ放り込まれて勇者パーティーと戦う羽目になった。だというのに今度は、サーシャ=メロウ暗殺の陰謀に巻き込まれている。ふざけたり冗談でやっていたら、もう何度も死んでいるはずだ。
そもそも――この状況を切り抜けようと思ったら、本気で取り組む以外にどうしろというのか。
余裕があるように見えたのなら、むしろそれは恐怖が俺の周りを三周くらいして、危機的状況にある方が普通だと思い、脳が麻痺し始めたせいに違いない。
そんな中で俺は、ある使命感を抱いていた。
絶対にサーシャを助ける――そんな想いだ。
正直、なぜこの状況であいつに固執するのか、自分でも分からない。
いくらあいつが美少女だからといって、出会って数日しか経っていない女の子が自分の命より大切な存在になる訳もなく。だからといって命を賭けるのに、決して躊躇うことも無かった。
もしもこれが従属者になったことによる弊害だとするならば、次の契約は絶対にしない。そんなの、契約という名の洗脳に違いないからだ。
なんか、そんな気がしてきた……。
だけど、そんな理屈を抜きにしても、今の俺はサーシャ=メロウを助けたい。
だって自分ならば助けることの出来る相手がいて、なのに助けることを諦めたら、きっと俺は一生後悔するに違いないのだから……。
ドクン――。
心臓が激しい痛みを伴って、弾けそうなほど脈打っている。左手で胸を押さえ、顔を顰めながらも俺は前進した。
「あんまり時間がねぇ。サーシャの居場所を喋らねぇなら、さっさと終わらせるぜ」
「……焦っているのか? どうやら、その強さは肉体を代償にしているな? だったら、ここを凌げば俺の勝ちってことだ」
「凌げればなッ! けど――もう、お前の防御は効かないぜッ!」
「だったら、攻めればいいだけの話だッ……!」
肩を竦めるビショップの瞳に、不思議な光が灯っていた。諦めの中にある歓び――意味が分からない。
次の瞬間ヤツは残りの腕を振り上げ、俺に向かい駆け出した。絨毯が抉れ、床が凹む。凄まじい脚力の発露だが――しかし俺にはその動きが緩慢に見えた。
足を左に捌き、突き出された赤黒い拳を避けざまに斬る。白目の無い目を見開いて、ビショップが驚愕の表情を浮かべていた。
返す刃でもう一つ繰り出された拳も斬り落とし、最後に剣の柄でヤツの腹部を強かに殴りつける。
屍鬼に打撃が効くとは思えない。だが誰も殺したくないという俺の意図を汲んだ暗黒剣が、首を斬らずに敵を制圧してくれたのだろう。
バキバキバキバキッ――……!
骨が折れる音と木が折れる音が入り混じり、椅子を散らしながらビショップが吹き飛んでいく。
背中を壁に打ちつけた衝撃で、おっさんの身体から血が溢れた。壁に広がった深紅の色は、巨大な花がパッと咲いたように見えて、歪な美しさを礼拝堂に齎している。
ズルズルと血の跡を引き、ビショップが床に崩れ落ちた。膝を立てた姿勢はどこか強がっているようで、俺はホッとする。しっかり、しぶといおっさんだ。
長椅子の残骸に埋もれたビショップの前に立ち、俺はもう一度訊いた。
「……サーシャはどこだ、答えろ。そうすれば、命だけは助けてやらぁ」
「ハッ……今さら命なんざ惜しむかよ」
「惜しめよ! 殺されなきゃ永遠に生きられるんだろうがッ!」
「なあ、兄ちゃん……何でサーシャ=メロウなんざ、そんなに必死こいて助けようとするんだ?」
無精髭の残る顎に手を当てつつ、ビショップが懐から煙草を取り出した。そのまま口に咥え、魔術で指先に灯した火を種として吸い始める。
「な、何でもいいじゃねぇかよ! あ、あれだ、従属者として、当然の義務ってやつだ!」
「へぇ……そんなもん、ケツを拭く紙ほどの価値もねぇと思うがなぁ……」
「るっせぇな! 煙草なんか呑気に吸ってねぇで、さっさと教えやがれ!」
「ふぅー……こいつはな、兄ちゃん。屍鬼になっても楽しめる、数少ない嗜好品の一つなんだ」
紫煙を吐き出し、ビショップが笑う。今度は皮肉気な笑みでは無く、心から嬉しそうに……。
「生きてりゃ、そんなもんいくらでも吸えんだろがッ!」
「なあ、兄ちゃん。お前さ、サーシャ=メロウに惚れちまったんだろ」
「ば、馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ! こ、これは人としてだな……!」
「馬鹿なことなんかじゃねぇよ。惚れた女の為でもねぇ他人の為に命を張るなんざ、頭のイカれた英雄様のやるこったぜ。……で、テメェはどうなんだ、兄ちゃんは――英雄様なのかよ?」
片眉を吊り上げ、おっさんは教師が生徒に答えを求めるような口調で言った。なんだが分が悪く、俺もおずおずと答えてしまう。
「ま、まだ会って何日かしか経ってねぇしよ、分かんねぇ。そりゃ、可愛いと思ったけどさ、性格悪ぃし、それに……だから惚れてるっていうか……気になるっていうか……でも、そんなもん関係なく、困ってるヤツを助けるのは、人として当たり前だろッ!」
「そうか、人として当たり前――か。立派な台詞だが……そいつァ建前ってやつでなぁ……そんなモンで自分の気持ちを隠しちまうと、後で苦労するぜ」
ビショップは瞳だけを俺に向け、煙草を美味そうに吸っていた。だが人間ならば集中治療室へ直行させられそうな程、凄まじい傷だらけの姿を晒している。
「そういうもん、なのか?」
「ああ、そういうもんだ。男が女に惚れる瞬間は、いつだって分からねぇ。気付いたら惚れてる時もあるし、ズガーンと雷に打たれたように感じる時もある。けどまぁ、惚れてるってことを自覚すんのは、だいたいソイツを失ったあとだ。上手くいくのは奇跡ってやつでね」
「ビショップのおっさん、モテなかったんだな……」
「違うわッ!」
「じゃあ、何だってんだよ……」
「まあ、何だな。兄ちゃんはまだ若ぇし――俺と同じ失敗をさせんのは、ちぃとばかし忍びねぇなぁ……」
「そう思うなら、さっさとサーシャの居場所を教えてくれよ。おっさんだって死なねぇんだし、これでみんなハッピーだろ」
「そうでもねぇさ。任務を失敗した上にサーシャ=メロウの居場所を喋ったって、万が一にもバレてみろ。俺がヒデェ拷問を受けて殺されちまう。しかも――身内共々……だ」
「バレるって、誰にバレるんだよ?」
「組織の――大幹部やらボスやらにだな……ま、ヤベェ連中さ」
「だったら、どうすりゃいいんだよッ!」
「慌てんなって。正直なとこ俺ぁよ、今さら死ぬのは構わねぇんだ。問題はな、拷問の方よ。だから兄ちゃん――サーシャ=メロウの居場所を喋ってやるから、なるべく痛みのねぇよう俺を殺せ、な? そうすりゃ俺ァ敗戦して命まで失ったってことで、まあ、お咎めなしだからよ」
「おい、おっさん……もしかしてあんた、最初からこうするつもりだったんじゃ……だったら――……」
「そんな顔すんな、おい。同情してんのか、ばか。いいか、俺はな、ニンゲン時代と合わせりゃ二百年近くも生きた。悪事も散々働いたし、人にゃあ言えねぇような楽しみだって知っている。ま、屍鬼だからな」
「だからって、あんたが死んだらリューネはどうすんだよ」
「さっきも言ったろ。ここで俺が死んでみせなきゃ、リューネにも類が及ぶ……」
「じゃあ、すぐに逃げろよ! それで――」
「それにな、あいつには色々と教え込んである。もう、俺が居なくても大丈夫だ――それによ、兄ちゃんがサーシャ=メロウを救えなきゃ、俺みてぇになっちまうような気がしてな……そいつァ気の毒だろうが」
「サーシャは妹じゃねぇし、そんなことなら気にすんな」
「はは……まあ、それにな、俺ぁもう疲れたんだ。いいだろう――殺してくれてもよ?」
「ちっ……結局は死にたがりかよ。ああ、分かった。殺してやるから――サーシャの居場所を教えてくれ」
俺は頷き、暗黒剣を構えてサーシャの居場所を聞くことにした。
しょせん俺は勇者でもなく英雄でもない――暗黒騎士。
全ての人を守れるはずも無く、これでいいんだと言い聞かせて……。
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