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「ガイが屍鬼になるですって……!?」
「驚くようなことか――不死はニンゲン共の夢なんだろう?」
「だからってガイがそんなこと……!」
有り得ない――サーシャは咄嗟に、そう思った。
しかし一方で、不死を望むニンゲンは多い。捕らえられたガイが敵の甘言に耳を貸し、様々な事情を知らぬまま屍鬼になることを望む――という可能性も捨てきれなかった。
ニンゲンが屍鬼になれば、不死性を得て睡眠すら不要となる。だがその代償として痛覚や味覚、生殖能力さえも失い、常時ニンゲンの血液を補給しなければ干からびてしまうのだ。
しかし吸血鬼がニンゲンの血を好むのは、趣味や嗜好、滋養強壮の意味合いが強い。また彼等はニンゲンを吸血鬼にも屍鬼にも出来ることから、羨望の目で見られることさえあった。屍鬼しか生み出せない屍鬼とは、この辺りが大きく違うのだ。
つまり屍鬼とは寿命を超越して不死性を得る代わりに、生物として在り得べき機能の殆どを手放し、ニンゲンに仇為す存在となる。
従って屍鬼を受け入れるニンゲンの国は一切なく、魔国でもニンゲンと交流を持つ国であれば、彼等を容赦なく処分した。
それらの事実を、ガイは知らない。だとすればニンゲンと姿形の似通った屍鬼に対し、コクトー=ガイが嫌悪感を示さない可能性は高く、騙されたとして不思議はないことだった。
ガイは今、一体どういう状況にあるのだろうか……、サーシャの胸に不安が広がっていく。
「アンタ達……ガイに一体何をしたの!?」
「何もしてねぇよ。仕事を探してるってんで、ただ仲間に誘ってやっただけだぜ。フハハハ――あいつだってよ、テメェのような最弱四天王の下で従属者なんぞやってるよりは――……」
「ルーク様!」
「おっと、いけねぇ……こいつぁ秘密だったな。テメェはどうせ死ぬとしても……誰がどこで聞き耳を立ててるか知れねぇ。油断大敵ってやつだぜ」
後ろに立つ部下と思しき男に制され、獅子頭が肩を竦めて見せる。
「ガイが仕事を探していたですって? 仕事ならわたしが軍で――……」
サーシャの不安は的中していた。敵はガイを騙そうとしているに違いない。しかし、そうした原因を作ったのは紛れもなく自分。この事実に、彼女は愕然としていた。
ガイが仕事を探していた理由は、間違いなく自分と離れて暮らす為だろう。
もちろん従属者は、必ずしも召喚師と寝食を共にするわけでない。
だが――故郷へ帰る術を持たない少年が、衣食住の保証を捨てて仕事を探すなど異常なことだった。
「何よ――そんなにわたしのことが嫌いになったっていうの……!?」
サーシャは頭を振って、下唇を噛みしめた。悔しい――……。
わたしは魔王軍元帥にしてステリオンの公爵なのよ。その従者であれば十分に格式も高く、ましてや軍部での地位だって約束したじゃない――キスまでしたのに、そんなのあり得ないわ。
サーシャは時と場所も弁えず、ぼんやりとしている。彼女はあらゆるプライドをズタズタに引き裂かれ、くしゃくしゃに丸められてゴミ箱へ入れられた気分だった。
――そこにルークの右拳が迫り、彼女の腹へ深々と突き刺さる。
「ぐぇッ……!」
美少女に似つかわしくない悲鳴が上がり、胃液が飛ぶ。サーシャは身体をくの字に折って吹き飛んだ。背中から壁に叩きつけられ、ずりずりと地面へ落ちる。
だがサーシャも四天王の一人だ。それだけの攻撃で沈黙するほど弱くは無い――。
「やってくれたわね……」
サーシャは立ち上がりつつ呪文を唱え、魔術を行使する為に杖を前方へと翳す。一瞬の後、地面が凍結した。ピシッと裂ける音が鳴る。凍結した地面から氷の槍が飛び出し、ルークの足元を狙い襲い掛かった。
しかし獣特有の反射神経であろうか。ルークは飛び上がり空中で一回転、空気を凍てつかせながら進む氷の槍を回避すると、そのまま建物の壁を蹴ってサーシャに飛び掛かる。
唸りを上げる隻腕が、サーシャの眼前に迫っていた。
サーシャは咄嗟にしゃがみ、ルークの爪が空を切る。獅子頭の強靭な隻腕がレンガ造りの壁を紙切れのように引き裂いて、瓦礫の山を積み上げた。
サーシャは目を丸くして背後を振り返り、ぶるりと身を震わせる。あんなものを喰らえば、ひとたまりもない。膂力だけなら目の前の男は、勇者にも劣らないだろう。
だがサーシャは警戒しつつも、その場にじっとなどしていない。地面を転がり距離をとる。再び杖を構え、必殺の魔術を見舞うべく、新たな呪文の詠唱に入っていた。
「所詮は片腕! 連撃も出来ないクセにわたしと戦おうなんて甘いのよッ! さあ、死になさいッ!」
魔術師が戦士と戦う場合、敵の間合いに入ってはいけない。距離を詰められれば離れる――そして安全な位置から常に攻撃し続ける必要があった。
一見すると卑怯な戦術だが今回サーシャが勝利する為には、それが絶対条件となる。
一方で戦士が魔術師に勝利する為には、その逆であれば良い。つまり魔術師に距離を取らせず、自らの間合いで戦えば、勝利は必然と転がり込んでくるのだ。
さて、そこで今回の場合だが――当然ここはルークの側が選んだ戦場であった。
裏路地は道幅も狭く、逃げ場が少ない。加えて周囲を彼の部下達が固めている為、サーシャには逃げ出す先も無かった。
つまり戦う前からサーシャは負けている――ということだ。
しかもサーシャはルークの突発的な攻撃により、現状の把握を中途半端にしかしていない。だから迂闊に距離をとり、背後を気にすること無く呪文の詠唱を開始してしまったのだ。
その時だった――。
「な、なにッ!?」
サーシャは左右から両腕を掴まれ、身動きが出来なくなった。彼女は一瞬で頭の中が真っ白になり「卑怯者ッ! 一対一で戦うって言ったじゃないッ!」と叫ぶ。
「こいつぁ決闘じゃねぇぜ、馬鹿が。見事に油断しやがって、グワハハハハ!」
魔術師の杖とは、魔術効果に指向性を持たせるものだ。つまりそれは銃口のようなもので、その先端が対象から逸れてしまえば効果を発揮しない。
杖と共に両腕を押さえられたサーシャは、「ギリリ」と奥歯を噛みしめて悔しがった。
サーシャの顎に手を当て、顔を持ち上げながらルークが舌なめずりをしている。
彼が与えられた命令は、サーシャ=メロウを殺すことだ。しかし、その過程を問われてはいなかった。
ディエゴはサーシャを散々に凌辱し、殺してくれと懇願する程になってから、犬の餌にでもしてやろうと思っていた。
何しろルーク……今ではそう名乗るディエゴだが――は、サーシャの父に煮え湯を飲まされている。それが例え逆恨みだとしても、彼女を散々に辱めることが、その父へ対する意趣返しになると考えているのだった。
「おい、その女をもう少し持ち上げろ」
低い声でルークは部下に命じ、自らはサーシャの服に手を掛ける。
「最初は俺だ――それ以外の順番は、テメェらで勝手に決めろ」
ルークの命令を聞き、周りから粗野な笑い声が上がった。その数を見れば十人以上いる。しかも明らかに全員が手練れとくれば、これはもう諦めるしかなかった。
サーシャは両目をギュッと閉じ、これから辿るだろう自らの運命に絶望する。いっそ舌を噛み切ろうかと思ったが、ルークに顎を掴まれていて力が入らない。
「死のうったって、そうはいかねぇ。見ろ、部下共もお前で楽しみたいってよ」
愉悦に目を細めて、獅子頭が言った。サーシャはきつく閉じた瞼の奥に、真珠のような涙を貯めている。彼女の可憐さが、今まさに失われんとしていた。
「わ、わたしは四天王なのよ、こ、こんなことをして、ただで済むと思っているの?」
精一杯の抵抗としてサーシャは再び目を開き、気丈にルークを睨んでいた。
だが――ルークは気にせずサーシャの軍服のボタンに指をかけ、一つ、二つと器用にはずしている。彼女の両手両足は、既に敵に抑えられて抵抗出来ない状態であった。
「心配すんな――名誉の戦死ってことで片付けてやるからよ。誰もテメェの最後が俺達に犯されて、悲惨だったとは思わねぇから……ま、名誉は守れるってこった。俺としちゃあ、その辺も地べたに落としてやりてぇんだがな」
言いながら、ルークは自らのズボンをずるりと下げる。彼の下半身から、巨大なこん棒めいたものがそそり立っていた。
サーシャは慌てて目を逸らし、唇を噛みしめる。その時には自分のベルトに敵が手を掛け、カチャカチャと音を立てて外そうとしていた。
「……ッ!」
開きかけた口を、サーシャは固く閉じた。咄嗟に黒衣を着た少年の、姓が前にある珍しい名前を叫びそうになったからだ。まだ出会って数日しか経っていない少年――けれど偶然にもキスをした、その彼の名を。
(ガイ――助けて……)
声には出さない、けれど内心でサーシャは強く願った。瞼の奥には、大粒の涙が溜まっている。
上着のボタンは全て外され、白いワイシャツが覗く。ベルトを外され、ズボンを強引に脱がされた。それでも力任せに破られなかったのは、せめてもの情けだろうか……。
どちらにしろサーシャが目を瞑り絶望した瞬間、それは突風のように訪れた。
「ギャアアアアア!」
「ウガアァァアアアア!」
サーシャの手足を掴んでいたローブの男たちが、絶叫を上げてのたうち回る。ルークはサーシャの後ろにいる、部下達を斬った「何か」を睨み据えいていた。
「何だ、テメェは……?」
「何だ、じゃねぇんだよ――てめぇ、獣クセェち〇こ丸出しで、吠えてんじゃねぇぞ猫がッ!」
怒りを孕んで震える声が、サーシャの後ろから聞こえてきた。もちろん聞き覚えのある声だが……。
「お、俺は猫じゃねぇ!」
「るっせぇな……! 猫は猫らしく、発情期だけにゃーにゃ―していやがれ! このダボがッ!」
「……あのね……ガイ。来てくれたのは嬉しいけれど、いきなりシモネタはやめてよね」
サーシャは乱れた衣服を整えつつ、振り返る。何と言えば良い分からずに、思わず憎まれ口を叩いてしまった。
もちろん絶体絶命の危機に駆け付けてくれた少年には、感謝してもし足りない。だからこそ、こうでも言わなければ飛びつき、立場も忘れて抱き締めてしまいそうだったのだ。
そうして涙に塗れた蒼い瞳を少年へ向けると――彼は血濡れの暗黒剣を手に、何故か紙袋を被っていた。
「ガイ……何で紙袋を被ってるの?」
「お、俺はガイじゃねぇ。と、通りすがりのダークマターだ――……」
「ダークマター? どうして、そんな風になったわけ?」
ダークマターを名乗る少年からは、禍々しいオーラが立ち上っている。言ってしまえば、別れる前とは明らかに雰囲気が違うのだ。
僅かの間で何かがあった、そう思うしかない。その時ふと、サーシャはディエゴの言葉を思い出していた。
「ア、アンタまさか、屍鬼になったんじゃ……?」
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