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 「あれ? わたし、マリーンって男に名乗ったっけ?」


 ふと疑問に思いながらも、サーシャは裏通りに足を踏み入れた。しばし立ち止まって考えた末、「わたし有名だものね、四天王だし」と自己解決した彼女は、基本的に能天気なのだ。


 目抜き通りから派生する触手のような脇道は、昼間でありながらも薄暗い。有り体にいって裏路地は不気味な雰囲気だ。ニンゲン統治時代の古めかしい建物は、いかにも何かが「出そう」だった。


 それとは別に、サーシャは先程から妙な気配を感じている。こちらは明らかに生者の気配で、十中八九、自分が狙われているのだろうと彼女は予想を付けていた。


 しかし実のところサーシャは、先の展開に期待している。

 本人は絶対に認めないが――何者かが襲い掛かってきて我が身に危険が迫れば、ガイを呼べるからだ。呼んでしまいさえすれば、先程の顛末を語り、彼に許して貰えるのではないか――そう思っていた。


 とはいえ、そうした心理に反発するかのように、サーシャの表情は怒りに歪んでいる。

 このように危険な状況に、我が身が一人で突入する理不尽に憤っているのだ。そもそも従属者サーヴァントたるガイがいれば、ここへ来る必要も無かったのだから。


 このようなことから、サーシャの内心は複雑だった。

 レストランの一件に関しては、自分に非があると認めている。だがしかし、彼は自分とキスをしたのだ。確かに彼は従属者サーヴァントだが、男女がキスをするとは、永遠の絆、或いは愛を誓うことでは無いのか。

 だというのに、この程度のことで自分の側を離れるなんて、絶対にダメだろう――とも彼女は思ってしまうのだ。


 要するにサーシャはガイに対し、「もっとわたしを大切にしろ!」と言いたい。しかし彼女は、その想いを言語化出来ないでいた。

 言語化するには感情が絡まり過ぎていて、かつサーシャは恋を知らない乙女なのだ。仮に言語化できるほど自身の考えが整理できてしまったなら、それはそれで赤面し、ガイに対して何も言えなくなるだろう。


 結果としてサーシャは今の感情を「怒り」だと結論付けた。間違ってはいないが、ちょっとアレである。

 だからこそ彼女は鼻息も荒く、裏路地へ迷うことなく足を踏み入れたのだ。「ガイ、早く出てきなさいよ。わたしも謝るけど、アンタもわたしに謝る必要があるんだから」などと言いながら。


「はぁ――それにしても何よ、ここ。昼間なのに薄暗いし……何だかジメジメしているわね……嫌な感じ」


 ぶつぶつと文句を言いながら、細長い裏路地を進むサーシャ。

 そこは表通りとうってかわり、ぬかるんだ地面にはゴミが散乱し、物陰には野良犬や猫が潜んでいた。「ぐるる」とか「ふにゃー」といった、警戒心を剥き出しにした動物たちの唸り声が聞こえてくる。

 そうかと思えば縦横無尽に走り回る子供達とぶつかりそうになったのも、二度や三度では無かった。


 なお、サーシャは基本的に従者等と行動することが多く、さらに言えば転移魔術を多用する。なので見知らぬ土地に来た場合、生来の性分である方向音痴が如何なく発揮されるのだ。

 結果としてマリーンに聞いた順路から大きく外れ、ガイがいると言われた教会の周りを、ぐるりぐるりと二周ほどしている。


「……ここ、どこなのよ?」


 見れば太陽も若干だが傾き始めており、ただでさえ陽光の届かない裏路地が、さらに暗くなっていた。

 随分奥へと進んだらしい。饐えた匂いを孕んだ空気が、サーシャの鼻孔を擽っている。

 昼間から酒瓶を抱えた魔族達が道の両側に犇めき、ギロリ、ギロリとサーシャを睨んでいた。匂いの元は、着の身着のままでいる彼等なのだろう。


 しかしサーシャ、四天王の意地がある。浮浪者風情に怯む訳にはいかなかった。小さな胸を張り、軍服の襟に輝く階級章を誇らし気に見せ裏通りを歩く。

 すると横合い——建物の影から三人の男が現れ、サーシャの正面に立った。三人は灰色のローブを着て、フードを深く被っている。


 彼等はサーシャの後を、建物の影や屋根を伝って付けていたのだ。

 そう――彼等こそ、ガイを教会へと連れて行ったビショップの一味である。


 もっとも――彼等の存在など、サーシャはとっくに承知していた。だからこそ蒼い瞳を怜悧に煌めかせ、彼女はこう言ったのだ。


「ようやくお出まし? 随分と遅かったじゃない」


「ほう――気付いていたのか?」


「気付いていたから、道に迷っちゃったんじゃないの! ビショップとかいう男の教会ってどこよ!?」


 サーシャが吐き捨ているように言った。これこそ、待ちに待ったピンチである。これで大手を振り、コクトー=ガイを召喚出来るというものだ。

 

「この路地の先だ。でもまァ、テメェがそこに辿り着くこたァ無ェが……」


「ふぅん……ま、こうなっちゃえば、辿り着く必要もないんだけどね」


 どうやらサーシャはぐるぐると回りながらも、目的地にかなり近づいていたらしい。


「随分と余裕だな、え、オイ。そろそろ泣いて命乞いでもした方が、いいんじゃねぇのか?」


 三人の中で、先頭に立つ男が口の端を歪めて言う。

 その瞬間、ザザッ——と音がして、サーシャの背後に数人の男達が現れた。

 

「七、八……なるほど。一応確認するけれどアンタ達、わたしが誰だか分かっているのよね?」


「四天王のサーシャ=メロウ」


「あ、そう。やっぱりわたしだと知って、狙ってきたのね」


「ああ――いっそスクアード州で戦死しておけば良かったと、後悔させてやるぜ」


「お生憎様。アンタが迅雷の勇者より強いとは思えないけれど、どうやってわたしに後悔させるのかしら?」


 サーシャは笑みを浮かべて腰の杖に手を伸ばし、いよいよ召喚呪文の詠唱を始める。

 危機的状況にありながらも、この時はまだ――彼女はどこか心躍る気持ちなのであった。何しろコクトー=ガイが、必ず来ると信じているのだから。

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