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コクトー=ガイが去り、一人レストランに残されたサーシャ=メロウは、「どうせアイツに行く場所なんて無いのだから、すぐに戻ってくるわ!」とタカをくくっていた。それに何だかんだで従属者の言った言葉が、心に刺さっていたのだ。
(自分の権力を笠に着て、弱者を虐げる……そんなこと、してるつもりなんて無かったのに)
サーシャは目の端に、未だ項垂れるウェイターの姿を見た。大きく息を吸って自分の無様を飲み込むと、注文をしてから一言――「悪かったわね」と付け加える。
そうすることは従属者の指示に従うようで不快だったが、それ以上に自らの信条である「高貴なる者の責任」を思えば、そうせざるを得なかったのだ。
こうしてサーシャは大人しく食事をして、いつもより多くのチップを支払うと、レストランを出て周囲を見渡した。
「ガイのやつ、戻ってこないわね」
街路に立ち、左右に首を巡らせサーシャが呟く。何ならガイが、外で待っているんじゃないかと思っていた。しかし見当たらないので首を傾げ、とりあえずは駅へ向かうことにする。
目的地には程なく着いた。しかし、魔都ベルムントへ向かう列車――流星号の出発時間はまだまだ先だ。流線型で洗練された黒い機関車は、影も形も見当たらない。
流星と名付けられた機関車は、最高時速百キロ超。平均巡行速度は六十キロで、ララオーバ、ベルムント間の二千二百キロを凡そ五十時間で結ぶ寝台特急列車である。
この列車が完成した際、式典にはサーシャも出席した。そしてシンフォニアと共に乗車し、乗り心地を確かめたものだ。だから一目見れば、その姿は分かるのだが……。
サーシャは見晴らしの良い駅周辺をぐるりと歩き、流星号を探してみた。存在が確認できれば、あとは時間を待つばかりとなるからだ。
しかし定刻に流星号が入線するべきホームにあったのは、やたらと長い貨物列車であった。
この貨物列車は、全長で凡そ四百メートル。その動力たる巨大な機関車から「シュー——……」と蒸気が吹き出し、白煙が朦々と立ち上っていた。
ガイであれば、この光景に感嘆の声を出したであろう。しかしサーシャは興味無さげに目を逸らし、つまらなそうに溜息を吐く。
サーシャがさらに視線を先へ向けると、人夫達が貨車から木箱を降ろし馬車へと積み込む作業を行っていた。ぼんやりとその光景を目にしながら、彼女は「ふぅむ」と考え込むように呟いて……。
おそらく運ばれてきたのは食料や武器、弾薬など――今後、最前線となるレクター州を支える為の物資だろう。
もしもスクアード州の陥落が一日でも遅ければ、これらを受け取るのはサーシャ自身であったのかもしれない……。
そこまで考えるとサーシャは漠然とだが、これらの物資が最初からララオーバ止まりのような気がしてきた。そうであれば、魔国ステリオンにとってスクアード州の陥落は予定調和ということになる。
「ここまで手際よく物資が運ばれているっていうのも、何か怪しいわね」
サーシャは自身の抱いた疑惑に情報を付与して思考を続行する為、作業員たちのところへ足を向けた。担当の士官に声を掛け、より深く正確な情報を得ようと思ったのだ。しかし、それを躊躇った。
何故なら彼女は今、この作業を止め得る正式な権限を持っていない。ましてや先程ガイに言われたことを思い出せば、職権の乱用や権力を笠に着た行為は厳に慎もうと思ったのだ。
(む、む……そんなことをしたら、ガイ――アンタはまた怒るんでしょうね……だ、だから、やらないわ。どう、わたしは成長したのよ!)
下唇を噛みしめ、サーシャは踵を返す。心の中の従属者に声を掛け、胸を張る彼女は自身の成長が少しだけ誇らしかった。
サーシャは今、身に余る強大な権力を初めて自覚し、これが容易く人を傷付けることを知ってしまった。権力とは薬のようなものだと今は思う。用法、用量を守る限りは正常に機能して自分にも民にも幸福を齎すが、一度分量を間違えれば、双方を地獄に突き落とす劇薬へと変じかねないのだろう、と。
また、例えは悪いが人が道を歩くとき、気付かずに足元の小虫を踏んでしまうことがある。サーシャが望むままに権力を振るうことは、それに近いことなのだ。
そうと気付けばこそサーシャは今、足元もしっかり見ようと決意したのだった。
その考えを根本において、現状を考えてみる。すると、どうだろうか。
彼等の作業を止めたとして――物資の搬入が予定の時刻までに終わらなければ担当の士官は責任を問われるだろう。
状況はディオン軍と勇者が間近まで迫り、緊迫していた。最前線へ運ばれるべき弾薬が一分でも遅れた為に、戦死する兵がいるかも知れない。
想像の翼を広げたサーシャは、その光景を考えてブルリ――身を震わせるのだった。
――もちろん彼女にこうした変化を貰たしたのは、一人の従属者である。
コクトー=ガイ……彼の発言を是としたからこそサーシャは一つ成長し、決して口にはしないが、彼を一目置くようになったのだ。
けれど当の従属者は今、彼女の側にはいない。それが自身の過失であることを思い出し、銀髪の若き女元帥は肩を落としていた。
「従属者に失望されるなんて、召喚師失格だわ……気を付けなきゃ」
暗黒騎士を呼ぶ為の媒体である黒い指輪を見つめ、小さな溜め息を吐く。
指輪は黒々と輝いていた。その意味では、ガイとの絆は確固たるものだ。自分が呼ぼうとさえ思えば彼に拒否権は無く、きっと来るだろう。
けれど、だからといって彼を気軽に呼ぶことは、もう彼女には出来なかった。何故なら、ガイに失望されたからだ。そう思うと、胸がズキリと痛む。こんなことは初めての経験だった。
「なんでわたしが、あんなヤツの考えを気にしなきゃならないのッ……勝手にすればいいのよッ!」
――そう思うサーシャだったが、如何せん暇だ。ベンチに腰を下ろして待つにしても、列車が入線してくるのは三時間以上も先のことである。だから彼女は再び街へと戻ることにした。
街へ戻って、わたしは一体何をするの?
サーシャ=メロウは自問する。
コクトー=ガイを呼ぶことは、いろんな意味で出来ない。では、どうするべきか――……。
「べ、別にガイを探しに行くんじゃないんだからね! ひ、暇なのよ。そう、わたし暇なの! だから街を歩いていたら、偶然会っちゃうことだって、あるかもね! あるかもね~!」
もちろんサーシャは、自分自身に対する言い訳も忘れない。というより彼女は自身がまだ、「寂しい」という感情を抱いていることに気付いていないのだ。
ましてやその理由など、無駄にプライドの高い彼女が思い至ろう筈も無いのであった。
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