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ビショップに後に付いて暫く歩くと、入り組んだ路地に出た。この辺りは裏通りで、日差しも届かずジメジメと湿っている。
ビショップのおっさんが言うには、この辺りは「掃き溜め」だそうだ。いわゆる底辺を生きるニンゲンや、魔族でも地位の低い者が犇めき合って暮らしている、ということだった。
確かに表通りの計算された区画整備を見た後では、いかにも雑然としている。軒を連ねる家々は増え続ける人口に対応する為、強引に建築、増築されたものばかりなのか、隣の家との境界さえ曖昧になっているものも多い。
「確かに、こりゃ酷いっすね……」
「でもまあ妙な活気はあるし、住めば都ってやつだ」
肩を竦めて見せるビショップの言葉通り、身なりの汚い子供達が、鼻水を啜りながら路地を駆けまわっている。その表情はどれも生き生きとしていて、自らを不幸だと嘆いている風では無かった。
「大人はあんまり、いないんすか?」
「ああ――仕事だ、大体は港か鉱山で働いている。でもな、下請けや、そのまた下の連中に使われている奴等だから、買い叩かれて貰える金は微々たるもんだ。お陰でこんな所にしか住めねぇってわけよ」
「なるほど……」
大人達がいないせいか、うらぶれた雰囲気は隠しようも無く。今も皺だらけの新聞紙が地面を這い風で流れ、俺の足下を滑っていた。その先でたたずんでいたのは金髪のおっちゃんで、壁に凭れ、瓶に入った酒らしき赤い液体を呷っている。
――先程の考えを訂正しよう。まともな大人達がいないせいで、ここはうらぶれた雰囲気なのだ。
俺は、このおっちゃんを見ないように目を伏せ、通り抜けようとした。同じ酔っ払いでもビショップと比べれば、このおっちゃんはあからさまに雰囲気が怪しい。
酒を煽り濃紺色の長衣を着ているところまではビショップと同じだが、こっちのおっちゃんは何故か赤い腰巻に湾曲した剣を差しているのだ。「俺、戦えますよ」アピールだろうか?
正直、関わりたくない。だが、そんな俺の願いはあっさりと裏切られた。
「よう……」
凭れていた壁から離れると、片手を挙げてビショップの前に立つ怪しげなおっちゃん。ビショップも片手を軽く挙げて。「よう」
「これが、おっさんずラブ……」
「「違げぇよ」」
二人が同時に俺を見た。どうやら中々に息が合っているらしい。昼間から酒を飲む仲間ってところだろうか。ダメ人間だな、こいつら。
「マリーン……テメェ、仕事はどうした?」
ビショップがドスの効いた声を発し、目の前の男をギロリと睨む。
「問題ねェよ。それよりビショップ、ソイツは誰だい?」
マリーンと呼ばれた酔っ払いが、ニヤニヤしつつ俺を舐めるように見ていた。お尻の穴がキュキュッと引き締まる思いだ。俺の括約筋は、テメェの如意棒なんか絶対に通さねぇからな!
「ちょっと、仕事を手伝って貰おうと思ってな」
「……ああ、そうか、そうだった! そいつはいいな! 丁度ひとり抜けちまうもんなァ! 流石ビショップ、一石二鳥ってヤツだ! クハッ、クハハッ!」
「マリーンッ! テメェッ! 茶化すんじゃねぇよッ!」
金髪おっさんの胸倉を掴み、眦を吊り上げるビショップ。その姿は到底、神官には見えなかった。むしろこの凄みはギャングとかマフィアとか――そういった暴力の匂いがする。
「悪ぃ……そう怒るなよ、ビショップ。でもよ、ソイツは仲間になるかも知れねぇんだろ……だったら紹介してくれや」
「ちっ」
マリーンから手を離し、ビショップは俺のことを軽く紹介した。
「へぇ……そうかい。よろしくな、俺の名はマリーン。一応神官だが――しがない助際ってヤツだ。言ってみりゃあビショップ様の使いっ走り、もしくは護衛ってとこかなぁ。
ところでよ、なあ、兄ちゃん――その剣、結構な業物だろ? 見りゃあ分かるぜぇ~~……」
マリーンが暗黒剣を指差し、唇の端を歪めている。どんよりと濁った青い目が、どうにも好きになれない。酒のせいなのか、若干呂律も怪しいし、出来ればコイツとの会話は早めに切り上げたいな……。
「業物っていうか……まあ、珍しい剣だとは思うけど……」
「こいつぁ知恵のある剣だろ……違うか? 実は俺の剣も、そうなんだぜ。クハ、クハハッ……」
マリーンが自分の腰に佩いた剣をポンと叩き、ニヤリと笑う。思わず俺は身を乗り出して、相手の剣をまじまじと見てしまった。
「その剣も、その……喋るのか?」
「ばぁーか、嘘に決まってんだろ! 俺の剣はただのカトラスだっての! そもそも知恵のある剣や知恵のある鎧ってなぁ聖騎士や暗黒騎士の証みてぇなモンで、俺が持ってるワケがねぇシロモノ――……」
「――おい、マリーン!」
「あ? わーったよ。悪かった」
俺を馬鹿にしたようなマリーンの口調には腹が立ったが、剣や鎧に関してはもう少し聞きたいと思った。とはいえ自分の素性をまだ話していない以上、この話に食いつくわけにもいかない。
そんな風に悩んでいるうち、ビショップがマリーンを嗜めるように名を呼び会話が中断されてしまった。
それはそうと、このマリーン。さっきから酔っ払いのように見えて、所作に隙が無い。それに服の上からでも分かる筋肉の付き具合は、明らかに戦士のそれだ。
ビショップの護衛もすると言っていたが、それはきっと本当だろう。そしてどうやら俺に対し、余り好意的とはいえないようだった。
とはいえビショップが二言、三言いうと、マリーンは踵を返して元の位置へと戻っていく。それから再び酒を煽り、手をひらひらと振っていた。上司には忠実――なのだろうか。
「悪いな、妙なヤツに会わせちまって」
ビショップはポリポリと後頭部を掻きながら、再び歩き始めた。その時、横目で俺を見ながら「すまん」と付け加えている。
「ビショップの部下なんすよね? いいっす、気にしないっス」
「ああ――それとな、兄ちゃん。そう他人行儀な喋り方はしなくてもいいぜ。ほら、マリーンのヤツも部下だが、あんな喋り方だったろう? 言っちまえば俺達は家族になるわけだから、仕事以外の時間はなるべくなら楽しくやろうぜ」
立ち止まり、肩を竦めるビショップ。ニヤリと笑ったその口には、おっさんらしくない八重歯が輝いていた。
「ん? ああ、そう言ってくれると助かるよ。俺も敬語とか苦手でさ! じゃ、これから改めてよろしくな、ビショップのおっさん!」
「……お、おう……」
「ところでさ、ビショップのおっさん。今、どこに向かってるんだ?」
「教会だ。まあ――我が家でもあるし、そこでまずはメシを食わせてやろうと思ってな」
「あー、家っていえばさ、ビショップのおっさん。俺、住む場所も無いんだけど、仕事と一緒に、これも何とかなるかな?」
「あ、ああ。働いてくれるなら、住む場所は用意できる」
「ああ、ホントもう助かったぁ~~! 流石は神官だよ、ビショップのおっさん!」
「なあ、俺、まだ四十前なんだけど……おっさん、おっさんって……ちょっと傷つくんだけど……」
「え、そうか? 三十超えたらみんなおっさんだと思ってたけど?」
「え、あ……そっか、そうだよね。もうあれだ、おっさんでいいわ……考えてみたら俺、十分おっさんだしな……あは、あはは」
「――まあ、あんまり歳のことは気にすんなよ! 考えすぎるとハゲちゃうぜ! あ、もうハゲてる?」
「ハゲ……俺な、孤児院やってるんだけどな……兄ちゃんならガキ共の中にも、すぐ溶け込めそうだわ……ガキ共の中に俺の事をハゲって呼ぶヤツ、何人かいるしな……ハァァァアア」
「え! それってもしかして、人間の友達が出来ちゃうかも知れねぇってことじゃねぇか!? あ――でも俺、陰キャだし、大丈夫かな? ……虐めとか、無い?」
「兄ちゃんの性格なら、まぁ大丈夫だろ。てか――虐めにあうとしたら、俺の方だよ――……ったく、あのガキ共ときたら」
「おっさん、本当に優しいんだな。俺、結構気に入ったぜ!」
「そりゃどうも――……じゃ、行くぜ。腹減ってんだろ」
俺は少しだけ軽くなった心持ちで、再び歩き始めたおっさんの後ろに付いて行く。だけどおっさんの背中が少しだけ丸くなり、錘を乗せられたようになっているのは気にしないことにした。
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