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ガラガラガラガラ……。
俺は今、通りを行き交う馬車を見つめ途方に暮れている。
この世界には、まだゴム製のタイヤが無いのだろう。石畳の路面を馬車の大きな車輪が転がる音は、非常に耳障りだ。
その音に眉を顰めつつボーッと歩道を歩く俺を、屋根の無い馬車から貴婦人たちが珍しそうに眺めていた。
「あの奇妙奇天烈な服は一体何かしら?」
「さあ、ベルムントでも見たことがありませんわ、伯爵夫人」
「あの黒色はどうやって染めたのかしら。気になるわねぇ」
「それに、繊維も伸び縮みするようですわ」
「あら、あら――珍妙だこと」
車輪の音に負けじと会話をする為、貴婦人達の声は俺にも聞こえてしまうくらい大きい。彼女達はつばの広い帽子をかぶり、豪華なドレスを誇らしげに身に着けていた。
ああ、そうか。昼を過ぎたから、通りに貴族達が出てきたんだな。俺はそんな納得をしつつ、彼女達から目を背けた。
「ジャージだよ!」
そう言ってやりたかったが、貴族なんて多分サーシャの悪い部分が肥大化したようなもんだ。だとすると、変に言葉を交わせば「無礼者!」なんて言われかねない。関わりたくなんて無かった。
「ねえ、坊や。面白い服ね――それを売ってくれないかしら」
――だというのに貴婦人達は馬車を止めると、俺に声を掛けてきた。赤い服を着た、伯爵夫人と言われていた方だ。
この夫人は一見すると、人間と変わらない容姿をしている。むしろ白い肌と金色の髪は人間よりも綺麗な程だが、しかしなんと瞳孔が縦だった。爬虫類を思わせる彼女の視線に思わずゴクリ……俺は息を飲む。
「いや、この服しか無いんで、売れないっす……」
暗黒剣をギュッと握り、首を左右に振る。そうした剣呑な雰囲気を察したのか、伯爵夫人は扇を口元で広げ、笑ってみせた。
「オホホホホ……冗談よ、冗談。にしても貴方、変わったお顔ね。もしかしてニンゲンかしら?」
「そうっすけど、何か?」
「あらあら、近頃はこの街もニンゲンが増えて……ニンゲンも人豚と同じで放っておくと増えるから、適度に間引きが必要だと思うのだけれどねぇ。ああ、嫌だ嫌だ。融和政策なんて、一体誰が進めているのやら――……」
手をヒラヒラと振り、馬車を出すよう貴婦人が合図をした。
「ふぅー……」
思わず溜息が出た。サーシャと離れただけで随分と心細い。やはり魔国では、人間に対して差別があるようだ。
こんな世界で、これから一人で暮らすのか――そう思うと、さっそく気が萎えた。やっぱり家に帰りたいと思う。
あ……帰る?
そうだよ、俺――なんでここで、一生一人で生きようとか思ってんだ? ちょっとテンパっていたのかも知れない。
考えてみたら日本にいてもサーシャは俺を呼べるんだし、だったら自力で帰る方法を探したっていいんじゃないか?
その為に必要ことは何か?
間違いなく召喚師だろう。
サーシャは自分のことを召喚師だと名乗っていた。だとすれば、他にも召喚師はいるはずで、つまり俺は、サーシャ以外の召喚師を見つけ出す必要があるってことだ。
その召喚師だって、二流じゃあダメだ。少なくともサーシャ以上の存在でなければ、俺を日本へ帰すことなど出来るはずがない。
でも、それほど優秀な召喚師が、一体どこにいるのか? その点を考えたとき、俺はこめかみを押さえざるを得なかった。
考えてみればサーシャは魔王軍の四天王。ということは召喚師として、傑出した存在に違いない。
そうだ! サーシャは「優れた召喚師は、往々にして優れた魔術師でもある」って言ってたよな。
てことは逆説的に考えれば、優れた魔術師が優れた召喚師である可能性も高いってことだろう。
だったらまずは、優れた魔術師を探してみよう。それも軍に関係しない、引退した魔術師が望ましい。これなら、サーシャを凌ぐ優秀な召喚師という可能性も十分にある。
しかし、これには問題があった。それも非常に重要な問題だ。
仮に優れた魔術師の居場所を見つけたとして、そこへはどうやって行く?
遠ければ旅の資金が必要だし、俺を日本へ帰す為の報酬を要求されたら、金銭だって支払う必要があるだろう。そもそも俺は、これから生活をしなきゃいけない。
つまり、どう考えても金が必要なのだ。という訳で、早速俺は仕事探しを開始した。
なぁに、ここは工業都市で港町。仕事なんていくらでもある、だから何とかなるに決まっているんだ。へへーん!
――と、思っていたのだが。
「あの、従業員の募集してないっすか?」
「うちは家族でやってんだ、誰かを雇う余裕なんてねぇな」
八百屋に断られ……。
「あの、仕事、何でもやりますんで雇って貰えませんか?」
「へぇ……字が読めて計算が出来りゃあ、雇ってやらなくもないよ」
「あ、計算は出来るっすけど、字が読めないっす」
「じゃあ、ダメだね。帰っとくれ」
洋品店を追い出され……。
「あの……」
「あー、悪いね。うちの工場はニンゲンお断りなんだ」
製鉄工場で首を横に振られ……。
そんなこんなで十件ほど断られ、今度こそあてど無くララオーバの街を彷徨うことになってしまった。
「はぁ~~~」
溜息を吐くたび、腹が凹む。だからといって、先程貰ったサンドイッチを食べようという気にもならなかった。
これを食べてしまえば、俺は一切の食料を失う。だから食べるにしても、せめて夕食か仕事を確保してからにしたかった。
そんな時だ――季節外れの長衣を着たおっさんが、赤い液体の入った酒瓶を片手に俺の方へと近づいて来たのは。
何だ、あの服。神官だろうか……?
「よう、兄ちゃん。仕事を探してるみてぇだけど、良かったら紹介してやるぜ?」
「仕事? どんな――」
「とりあえず、ここじゃ何だからよ。付いてきな――って……顔色悪ぃけど、腹でも減ってんのか?」
おっさんは赤ら顔でニィッと笑い、酒瓶を傾けている。ごくごくと喉仏が上下に動き、彼は中身の液体を流し込んでいた。
もちろん普通なら、こんな怪しい男の怪しすぎる話には絶対に乗らない。無視しているはずだ。けれど今の状況では、俺に選択の余地など無く。大急ぎで首を縦に振り、空腹であることを告げる。何でもいいから、明日の糧を得る手段が欲しかった。
「――そうかい。だったら大したモンじゃねぇが、まずは飯を食わせてやっからよ。話はそれからだ。で、兄ちゃん、そうと決まれば名前、教えてくれねぇか?」
「あ、ええと、俺、コクトー=ガイっす。飯、本当に食わして貰ってもいいんスか? 仕事内容によっちゃ、俺には出来ないかも知れねぇけど、食ったら断っちゃダメとか、そんなことは……?」
「言わねぇよ。そもそも誰にでも出来る仕事だから、問題ねぇしな。それに兄ちゃんニンゲンだろ? 同じニンゲンとして困ってるのを見ちまったら、もう放っておけねぇんだわ。ほれ、何せ俺、こう見えても一応、神に仕える司祭ってやつだからよ」
「え、マジすか?」
「おお、大マジよ。だから周りの奴等からは、ビショップって呼ばれているぜ。兄ちゃんもそう呼んでくれて構わねぇ。てことで、よろしくな――コクトー=ガイ」
神官服のおっさんは左手でボサボサとした茶色の髪を掻き回し、右手を伸ばしてそう言った。
この世界に来て、ようやく俺は味方になってくれそうな人間に出会えたらしい。気付いたら俺はビショップと握手を交わし、彼と共に歩いているのだった。
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