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師団司令部へ足を踏み入れ、師団長のキューリー=キュロプスに取次ぎを頼むと、次席副官が現れて第二応接室へと通された。
そこまでは順調に進んだのだが、このだだっ広い応接室で待つこと一時間。壁掛け時計が無為の時をカチコチと刻む音だけが、切なく俺達の耳朶をうっている。
「遅いわね……」
革張りのソファーに座り腕組みをして、人差し指を苛立たし気にトントンと動かしている。そんなサーシャの背後に立ち、俺も部屋の中を見回しているのだが……。
「なあ、サーシャ。魔国ステリオンの“少々お待ちください”っていうのは、一体どのくらい待てばいいんだ?」
次席副官が残した言葉を思い出し、顎に指を当ててサーシャに問いかける。彼女は苛立たし気にひじ掛けを平手で叩き、吐き捨てるように言った。
「五分から十分がせいぜいよ」
「ああもう! これ以上待ってらんない! こっちから行ってやるッ!」サーシャが怒りに任せて席を立とうとした刹那、ガチャリと部屋の扉が開き、入室してきた者から謝罪の言葉が発される。
「――長らくお待ち頂き、大変失礼致しました」
テーブルを挟んでサーシャの正面に座った魔族、キューリーキュロプスは、まさに異形だった。
言ってしまえば彼の身体の上半身はほぼ球体であり、その全てが大きな目玉となっている。
目玉といっても、むき出しの目玉ではない。黒い皮膜の瞼に覆われた、赤い瞳の目玉だ。特大の瞳孔は縦に長く、それが光に反応して不気味な収縮を繰り返していた。
しかも驚くべきことに、目の中に口があった。
その口が開閉して、流暢な言葉を紡ぐのだ。となると俄然、ヤツの内部構造が気になってくる。恐らくは目玉の外見の中に、消化器官や脳、その他の内臓を含んでいるのだろう。
――ぶっちゃけ、魔族というより変な生き物だ。
その変な生き物が濃紺色のローブを身に纏い、サーシャと向き合っている。そして今、瞼から生えているのだろう触手を使い、紅茶の入ったカップを持ち上げ、口元へと運んでいた。
目薬か? それは目薬なのか? と叫びたい衝動に駆られ、とても胸が苦しくなる。ツッコミてぇ……。
「いや、申し訳ありません。会議が長引きましてな……ところで彼は何者なのでしょうか? 閣下の幕僚とは全員と面識があるつもりでいたのですが、どうやら私の記憶には無い人物のようで」
紅茶で喉なのか目なのかを潤し、キュロプスが口を開く。低音の、いわゆるイケボというやつだ。しかも話題が俺のことという、微妙にナイーブな部分を衝いてきやがった。
「彼は……わたしの護衛よ。従属者、暗黒騎士のコクトー=ガイ」
「ほう、暗黒騎士ですか――して階級は?」
「軍籍は持っていないわ。急遽呼び出した暗黒騎士だから」
「ほほう、それはつまり民間人と……、いやはや困りましたな」
「何が困るのよ?」
「お忘れになっては困りますぞ、元帥閣下。ここは軍事施設であり、師団とは独立した戦略単位――いかなる者といえども、部外者を立ち入らせる訳には参りません」
「あのねぇ、キュロプス、アンタこそ忘れないで。今はね、ディオン国が攻めてきているの。勇者の存在も確認されている、まさに緊急事態よ。
ガイはね、その勇者の攻撃を退け、わたしをスクアードから脱出させてくれたの」
「それが、どうしたと言われるのです? 彼が民間人であることに変わりはないでしょう」
「――だから今、戦時特例法に則り、彼をわたしの権限で特務軍曹に任じるわ。それだけの功績があるのだから報いるのは当然だし、わたしを護衛する軍曹であれば、ここにいる権利も根拠もあるでしょう。
それともキュロプス――アンタ、あの暗黒剣が怖いから、ガイに出て行って欲しいわけ? だとしたら何か、わたしに対して後ろめたいことでも、あるんじゃないのかしら?」
サーシャが身を乗り出し、キュロプスに揺さぶりを掛けている。
彼女の目的は、キュロプスが敵と内通しているかどうかを確認することだ。その為に俺も、必死で後押しをする。
左手に持った暗黒剣を握り締め、ジロリとキュロプスを睨んだ。俺の目力がどの程度かは知らないが、気分だけは剣豪になったつもりで……。
「そう怖い顔で睨まないでくれ、軍曹。そういうことなら、私としては君を認める他に無いのだから……ヒョホッ!」
目玉が椅子から飛び上がり、奇声を発した。
これ――笑ったのだろうか。だとしたら、とても変な笑い方だった。元が低音のイケボなのに、笑う時だけ甲高いのだから。
サーシャはそんなキュロプスの反応に頭を振り、話題を変えていく。徐々に核心へと切り込むつもりなのだろう。
「――ところでキュロプス少将。わたしを待たせてまで行っていた会議というのは、一体何だったのかしら?」
「もちろん作戦会議ですよ――元帥閣下。敵が間近まで迫っておりますから、一刻の猶予とてありません」
「あら、それなら何故、わたしを呼ばなかったの。ここで一時間も待たせるよりは、よほど有益だったと思うけれど?」
「ほう、有益ですか。我らが作戦会議を行っていたのは、先日スクアード州に展開していた軍団が敗れたからでしてな。その敗戦の状況を当の指揮官から直接に聞けるとあらば、確かに有益だったかもしれませんが……」
「ぐっ……そうね、敵の行動は迅速そのものだったわ。電撃作戦だったと言っても過言では無い程に。
でもね、キュロプス。軍が迅速に部隊を動かす為には、絶対に欠かせない二つのことがあるの。それが何だか分かるかしら?」
「おや、まるで士官学校の問答ですな。ですがこれでも私とて、一軍の将。答えられないはずが無い――正確な地図と兵站――違いますか?」
「ええ、まさにその通り。兵站、特に補給に関しては鉄道を利用されたわ。これに関しては仕方がないでしょう。もともと鉄道が敷設されていた訳だし、いくら破壊してあったといっても優秀な工兵隊なら、すぐにも修繕できるわけだから。
――でもね、正確な地図に関してはどうかしら?
わたし達がスクアードを手に入れてから、十年が経過している。その間に増えた重要施設や拠点を何故、敵は的確に見つけられたのかしら。それらを記した地図は、少なくともディオンには無いというのにねッ!」
「――敵が事前に諜報員を放ち、調査していた可能性が高いのでは? まさか、それに気付かなかったと申されますか!? おお、流石は最弱の四天王でありますなぁ――ヒョホ、ヒョホホ!」
全身を揺すって笑うキュロプスの前で、サーシャが肩を震わせていた。
「最弱……ぐぎぎ……!」
「事実でしょう。領内に敵の侵入を許し、迅雷の勇者ザーリッシュに敗れ名を成さしめた。このような不名誉を我が魔王軍に与えておきながら、どうも私をお疑いのご様子。そのような方を、厚顔無恥と言うのでしょう。まったく――信じられませんな」
「お、お、おおお……言わせておけば……」
「すーはー」というサーシャの深呼吸が聞こえた。
「ア、アンタはなぜ、わたしがザーリッシュに敗れたことを知っているの? わたしは一度だって勇者の名前を、アンタに伝えた覚えはないのだけれど?
ディオンには他にもまだ二人、いいえ、元勇者を入れれば三人の勇者がいるのに、どうしてアンタはザーリッシュの名を出したのよ?」
「ふむ――それは、ですなぁ」
「それは、何? さぁ、キューリー=キュロプス、答えなさいッ!」
「ザーリッシュは好戦的で知られています。ですから戦争となれば、真っ先に出てくると考えて当然でありましょう」
「惚けないで、キュロプス。アンタ、自分のやっていることが理解出来ているの? これは背信行為よ。思えば――敵は実に手際よく兵を配置していた。そんなの、事前に我が軍の編成を知らなければ到底無理なことだわ」
「話の意図が見えませんな――つまり閣下は、何が仰りたいのです?」
「アンタが敵の手引きをしたって、そう言ってるのよッ!」
「一体、何の証拠があって申されているのですかな?」
「そんなものは、無いわ!」
「はぁ……元帥閣下ともあろうお方が……勝手な憶測で私に敗戦の責任を押し付けようとお考えですか? それこそ利敵行為に他なりませんぞ。
なにせ今、私が魔都へ召喚されて査問などされるような事態となれば、このレクター州までもが敵の手に落ちますからな……ヒョホ、ヒョホホ!」
「ぐ、ぐぬぬ……――いいわ。アンタがそういう態度なら、事の次第を大元帥閣下へ、わたしが直接にご報告申し上げるまでよッ!」
「ご随意に。敗者の弁明を大元帥閣下がどう思われるか――楽しみですな」
「弁明? ええ、そうね、弁明にもなるのでしょう。でもね――シンフォニア様であれば、きっとご理解下さるはずよ。この戦いの背後に、何らかの陰謀があることを!」
「ほほう――その陰謀とやらに、この私が加担しているとでも仰りたいのすか? 証拠も無しに……」
「――証拠は、これから探すわッ!」
「ヒョホ、ヒョホホ! 良いでしょう――好きなだけ探されるが良い」
「キュロプスゥゥゥ……言ったわねッ! ガイ、行くわよ! 魔都へ戻るんだからッ!」
ガタンと音を立てて、サーシャが立ち上がった。踵を返して早足に退室する彼女を追いながら、キュロプスに視線を注ぐ。一瞬、触手がサーシャの背中を狙っているように見えた。殺気――のような気がする。
俺が剣の柄に手を掛けると、キュロプスの目の中にある薄い唇がニィ――と弧を描いた。
「暗黒騎士コクトー=ガイ……ヒョホ、ヒョホホホ……噂通り難物ですねェ。神々の黄昏の連中は、上手くやれるでしょうかァァ」
……目玉が何を言っているのか聞こえなかったが、どうせろくなモンじゃない――と思って俺はヤツから視線を切った。
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