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※主人公の視点に戻ります
午前七時を少し過ぎた頃、俺とサーシャはララオーバに転移した。といっても街の外れ――ここは無数の蒸気船が連なる港のようだ。
晴れ渡った青空には綿菓子のような雲が浮かび、紺碧の海は朝日を浴びてキラキラと輝いていた。
水平線に目を向ければ、何隻もの船がボーッと汽笛をならし、黒煙を噴いている。それは港を出る船、入る船が朝早くからすれ違う様子だった。
それらの船の積み荷を上げ下ろしする湾口労働者の男達が、額に汗をびっしょりとかいた状態で埠頭に屯している。一仕事終えた後であり、かつ、次に入港してくる船を待っているのだろう。
「兄ちゃん! 魔術師の姉ちゃんに送って貰うたぁ、羨ましいなッ! 新婚かよッ!」
労働者の一人が暇を持て余したのか、俺達に声を掛けてきた。
「なッ! わ、わたしは魔王軍四天王の一人、サーシャ=メロウよッ! し、新婚なんかじゃ、ないんだからッ!」
サーシャが軍靴をダンッと踏み鳴らしつつ、労働者に反駁する。彼女の顔は、何故か真っ赤に染まっていた。
「ララオーバって、港町だったのか?」
ああいった手合いは、相手にすると余計に絡んでくる。だから俺は無視しつつ、別の話題を振りサーシャの意識を逸らすことにした。
「そ、そうよ。この街では鉄鉱石やボーキサイトが採れるから、製鉄業や造船業を推進したの。だから陸軍もここを重要拠点と考え、一個師団を駐屯させているわ。もちろん海軍も第二艦隊の母港として、防衛戦力を整えている。
ほら――あっちに見える黒い船の集団、あれが第二艦隊の戦艦群よ。海軍には見られたくなかったから、こっちの民間港へ転移したけど……アイツら……!」
「ヒューヒュー!」とヤジを飛ばす労働者をギロリと睨み、サーシャが奥歯を軋ませる。
「気にすんなって。あいつら多分、暇なだけだろ」
「そうね……」
「そんなことよりさ、ここは重要拠点っていうけど、本当に大丈夫なのか? サーシャの軍団だって、あっさりやられちまったってのに……。ここにも勇者が来たら、どうすんだよ?」
「安心しなさい、ララオーバが抜かれることは無いわ。こっちの方が地形的にも守りやすいことは確かだし、魔都からの増援だって容易だもの。
それに、ここはステリオンの絶対防衛線。守り切れなかったら魔都まで敵の侵攻を許す可能性もあるから、最悪の事態になればシンフォニア様も動くはずよ。あの方なら、相手が勇者だって殲滅出来るわ」
サーシャは眉間に皺を寄せながら、難しい顔で答えた。
昨日よりもかなり機嫌が良いとはいえ、相変わらず俺とは視線を合わせようとしないサーシャだ。
きっと主人の立場として、従属者を無下には出来ない。そんな思いから、辛うじて俺と会話をしているだけなのだろう。
「さ、行くわよ」
「駅に?」
「いいえ。その前に、寄りたいところがあるの」
言いながら歩き始めるサーシャ。
俺は早足に歩く彼女の後を追い、付いて行くことにした。
大通りの歩道を歩いていると、幾度も乗合馬車の停留所が目に入る。
赤い車体の乗合馬車がちょうど停まっている時もあり、それを見ては、「うぅ」と唸るサーシャ。
そう言えば今、彼女は無一文だと言っていた。乗りたくても乗れないから、カンカンと鐘を鳴らして出発する赤い馬車を、サーシャは羨ましそうに見ていたのかも知れない。
「サーシャ。俺の背中に乗るか?」
「アンタが四つん這いになって、馬の真似をするって言うのならね」
「ひどくね、それは余りにも……」
「つまらない冗談を言う変態には、似合いだと思うわ」
「冗談だと?」
歩道で四つん這いになり、「さあ、乗れ」と声を掛けた。するとサーシャは俺の脇腹を蹴り上げ、「ばっかじゃないの!? あ、あ、あああ、アンタ、わたしのお尻に触れたいだけなんでしょ!?」とご立腹。
そうじゃないと言えないのが辛いところだが、本当は冗談を通して仲良くしたいだけなのに。
サーシャは未だ、俺の覗き行為を許してくれないらしい。つらみが全身を駆け抜ける……。
やはり彼女とは、どこかのタイミングで別れよう。どうせもう、ここは魔国の領域だ。元帥である彼女の身は、きっと安全。何かあったとしても、瞬時に俺を呼べばいいだけなのだから……。
港から一時間ほど歩くと、潮の匂いは綺麗さっぱり消え去った。景色もレンガで彩られた家々が軒を連ねる、暖かい街並みへと変わっている。けれど、どこか安っぽい雰囲気が漂っていた。
親父に言わせれば、「パブリックスタイルな街並み」となるのだろう。要するに、この街並み全てに本物のレンガが使用されているわけでは無く、ほとんどの建物はセメントを基材にして石やレンガを混ぜ、それっぽく見せるているだけなのだ。
――まあ、「何でも本物を使えばいいってワケじゃない。家はな、そこに住む人が最も幸せになれる場所に金を掛けるべきなんだ。そしてそれは、大半の人にとって外観じゃあ無い」……なんて偏屈な親父なら言うだろうが。
そんな街並みを早足に歩く人々は、大半が薄汚れた作業着を着ていた。彼等は港へ向かう者も、別の方角へ向かう者も、揃ってすし詰めの馬車に乗る。その有様をサーシャはゲンナリとして見つめ、「乗れなくて良かった……」などとボヤいていた。
「なぁ、サーシャ。この街って貴族はいないのか? さっきから労働者しか見ていないんだけど……」
「貴族達はね、まだ寝ているのよ。街の名士達や騎士階級に属す者もね。彼等の殆どは、朝方まで舞踏会を楽しんでいるの」
「うわぁ、退廃的……」
「そうね、貴族社会は退廃そのものだわ。でも、おかしなことに産業革命の中で成功した名士や騎士階級の者達は、どういう理由か、そんな貴族達の生活に憧れ、合わせ――何とか社交界の中へと入ろうとするのよ。
もちろん知識人の中には、そうした社会現象に対して警鐘を鳴らす者もいるわ。そんなの、焼け石に水なのだけれど」
「ふぅん……でもさ、サーシャだって大貴族なんだから、軍なんか辞めて舞踏会に行って朝まで踊ってた方が楽だし、全然マシなんじゃねぇのか?」
「ばかな事を言わないで! 高貴なる者の責任――わたしは決して、自分の地位や身分に安穏としていたくないの」
背筋を伸ばして前を歩くサーシャから、強烈な誇りと意思を感じて俺は頷く。
「なるほどね。ご立派なことで……」
「別に立派でも何でもないわ。前にも言ったけれど、わたしの父はニンゲンで、しかも貴族としては新参なのよ。その上で今までの在り様を変えようとしているのだから、誰よりも大きな責任が伴うのは当然のことだわ」
「ふぅん、そういうモンかね?」
「まあ――お、女の裸と見れば誰のでも覗こうとする変態なアンタには、そんなこと理解出来ないでしょうけれどッ!」
「……だ、誰でもってことはねぇよ!」
「じゃあ、なんでわたしの裸を見ようとしたのよッ!?」
「そ、それは……その……」
「その、何よ!? 何とか言いなさいよ、このケダモノッ!」
挑戦的なサーシャの物言いには、流石の俺もカチンときた。といって反論するのも適当とは思えず、無視して辺りの風景を眺め、気を静める。
暫く歩くと、住宅街から商店街と思しき区画に入った。
通りに面した商店が扉を開けて、店主たちが軒先に商品を並べ始めている。彼等の並べる品物は、野菜や果物、衣料品や香辛料などの日用品が多いだろうか。
それになるほど魔族の街というだけあって店主達は皆、人間とは形容しがたい顔の作りをしている者が多かった。
彼等の姿を横目に、サーシャは胸を張って歩く。ある者はギョッとした顔で彼女を見て会釈したり、ある者は「サーシャ様」と声を掛けてきたりもした。
どうやら四天王とは有名なようで、そんな人物が馬車にも乗らず、二人きりで出歩いていることが、街の人々には信じられないらしい。
「四天王様」「元帥閣下」「サーシャ様」などと呼ばれるたび、彼女は鷹揚に頷いていた。ただ、好意的な声を掛けてくる者は、人型の者ばかりだ。
一方で動物の頭をした者や、形状の分からない不思議な人々からは、「最弱が」とか「半人半魔」など、誹謗中傷めいたことを言われていた。
もっとも、どんな言葉もサーシャの心を傷付け、へし折ることは出来ないようだ。不快な言葉が投げかけられる度、彼女は青い瞳を絶対零度の刃に変えて、声の主を睨み付ける。それだけで大半の者は皆、震え上がるのだった。
サーシャが歩みを止めた場所は、随分と大きな建物が立ち並ぶ一角だった。ここには乗り合い馬車の停留所もあり、頻繁に馬車が行き来している。
その馬車から降りる人々の割合は、軍服が二割、古風なスーツの人々が八割といったところ。彼等は馬車を降りると、早足でそれぞれが目的地とする建物の門をくぐって行った。
そんな建物群の中でも特に目立つのが、門の脇に守衛が四人も常駐する巨大な赤レンガのビルだ。
「あれは――……」
「ララオーバを州都とする、レクター州の政庁よ。この地域の防衛を担当する師団司令部も、同じ敷地の中にあるわ」
サーシャは一度大きく深呼吸をすると、再び歩き出す。彼女が向かうのは、やはりその建物なのであった。
「おい、サーシャ。用があるってお前、ここの師団の指揮権は無ぇって言ってたのに……」
「指揮を執る気なんて無いわ。ただ、師団長のキュロプスに聞きたいことがあるだけ。だってスクアードを除けば、ディオン国に最も近いのがレクター州だし、ここにはスクアードの詳細な地図があったはずだもの」
「それって、ここの連中が裏切者かも知れねぇってことか?」
「……全員とは言わないわ。でも、前々から師団長のキュロプスは、腹の中に一物抱えているんじゃないかと思っていたのよ」
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