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大陸中央南部にある都市ララオーバ。ここは百五十年ほど前まで人族の領土であり、その名を関した辺境伯が治める土地であった。
しかし今では魔国ステリオンの領土となって久しく、区画整理が進み鉄道も通った為、当時の雰囲気は消え去りつつある。
その区画整理が進んだ最たる理由は、十年前の大戦であろう。
当時ステリオンの領土であったララオーバは最前線の都市として、ディオン国の侵攻を受けた。
その結果、占拠されたこの都市は、ニンゲン達に略奪、虐殺、強姦、放火――など、あらん限りの暴虐を振るわれたのだ。この破壊行為によりララオーバは一時、荒野となったほどである。
こうして一度は都市機能を全て失ったララオーバだが、この不幸をすら政治というものは利用してのけた。つまり魔国ステリオンは戦後、奪還したこの都市を復興の名の下に、工業地帯へと変えてしまったのだ。
これこそ、魔国ステリオンの産業革命なのであった。
そのように変わりつつあるララオーバの街だが、表通りを外れた裏路地の一角には、未だ伯爵時代の外観を色濃く残す教会がある。
――ストラディエリア教の教会だ。
ストラディエリア教といえば、ニンゲンの宗教として有名だった。そんなものが何故、魔国において存続を許されているのか――答えは簡単である。
そもそも魔族の国と云えども、人族が皆無という訳ではないのだ。
特に魔国ステリオンは、人族の国であるディオンと国境を接している。故に政戦両略の観点から国内における人族の居住を、法的にも認めているのであった。
初夏も間近の空にフワリと浮いた綿雲が、沈みゆく太陽に照らされ燃えるような赤色をしている。
情熱的な夕暮れ時の鮮やかな朱を背景に――ララオーバの街は粛然と一日の終わりを迎えようとしていた。
しかし表通りから一歩進み雑然とした裏路地へ入れば、赤々とした夕日さながらの熱気が渦巻き、そこかしこで人々が営む生活音が響いている。
ここは人と下級魔族が犇めき、逼塞して暮らす場所。だからこそ、そこに生きる人々は日々の糧を得る為、懸命に働き、苦しみ、情熱を燃やすのだ。
今日よりも豊かな明日を望み、この世界を抜け出そうともがく。意外な事に魔国ステリオンに生きる下層市民達は、何は無くとも希望は持っているのだった。
中でも特に子供達は、その傾向が顕著である。
特にビショップと呼ばれる男が十年前に作った孤児院など、陰気とは無縁の活気に満ちた場所であった。
「これからの魔国ステリオンは、貴族も魔族もニンゲンも関係ねぇ。士官学校に入りゃあ軍人として出世できるし、大学に進めば官僚になれるぞ。金を集めりゃ会社を作って社長になれるし、経営者に能力を認められりゃあ、自分を高値で売ることも夢じゃねぇ!
いいかテメェ等、さっさと出世して、俺の面倒をみやがれよ!」
――そのビショップが子供達に向かって言う、これが口癖だ。本人は「訓示」などと言っていたが……。
実際に今の魔国ステリオンは、大きく変わろうとしていた。
現実としてサーシャが言うように貴族の既得権益を排除すれば、それは同時に彼等という人材を失うこととなる。その穴を埋めるのは、優秀な平民しかいない。
そして優秀な人材を広く国民から募る為にこそ、教育機関たる学校が国家により運営されるようになったのである。
ビショップはうだつの上がらない風貌に反し、博識だった。だからこそステリオンの実情を、しっかりと把握している。
その上で子供達に一般常識から語学、数学、化学、魔術学など基礎的な教育を施し、望むべき進路への後押しをしていたのだ。
また子供達もビショップを「神父」「師父」「おっさん」「ハゲ」「親父」と慕い、彼の期待と恩に精一杯報いようとしている。
そのような孤児院は、さながら幸福な大家族の様相を呈しているのだった。
もちろん、今も――……。
「神父様は今日もお酒だけ飲んで! きちんとご飯も食べないとダメでしょう! いつかきっと、身体を壊すんだから!」
古ぼけた教会の窓を震わせる勢いで、少女の怒鳴り声が響いた。
食卓で酒瓶に口を付け、目を細めてそれを啜る男を――年端のいかぬ少女が眉を吊り上げ説教している。
赤々と見える少女の頬は、何も窓から差し込む西日を浴びたせいだけではなく。年長者に対する真剣な叱責が興奮を齎し、彼女の頬を紅潮させているのだった。
「酒は百薬の長だ。飲みすぎて身体を壊すなんて、あるもんかい……」
神父様と呼ばれた男はくたびれた神官服の胸元をボリボリと掻いて、眉根を寄せている。この男がビショップであった。
「……いいえ! 過ぎたるは及ばざるがごとし――そう教えて下さったのは神父様です! 神父様のお酒は過ぎたるものですから、今すぐに止めて下さい、今すぐにッ!」
「お、おい、二度も同じことを言うこたぁねぇだろ、リューネ」
「大事なことだから二度言うんです! いいえ、何度だって言いますよ! お酒を控えて、きちんとご飯を食べなさいッ!」
広くも無い教会の晩餐室で上座に座る三十過ぎの神父が、十代と思しき少女に叱られていた。少女は配膳の為に神父の前へスープの皿を置いたところ――それを無下に断られたから怒りを発したのである。
神父はボサボサとした褐色の髪を掻きながら、口を尖らせて反論を試みた。
「ま、まぁ、俺ぁあれだ――お前たちが腹いっぱい食えるよう、メシを控えてんだよ。いつかさ、お前らが成人して働くようになったら、俺にも腹いっぱい食わしてくれ……それでいいからよ……な? な?」
食卓を囲む子供達を見つめ、うんうんと頷く神父様。子供達はいかにも嘘くさい師父の言動に、「任せろ!」と言ったり「肉が無いぞ!」と叫んだり……あくまでも気ままな様子であった。
その中で最も聡い子が、神父の思惑を看破してみせる。「いやハゲ親父。酒が飲みたいだけなんだろ? ダメだって、リューネ姉ちゃん、困らせんなよ」
「いや待て。俺はハゲてねぇ……」
「ちょっと、神父様……お酒ばっかり飲んでるから、髪だって抜けるんですよ」
「いや、だから俺は……え……ハゲてきてる!?」
慌てて頭を抑える神父を見て、皆が楽しそうに笑った。
もともと少女だって、神父の身体が心配なだけ。決して本気で怒っているわけでは無いのだ。
「ふぅ」と溜息を吐き、彼女も席に付く。それから皆で祈りを捧げ、貧しいながらも暖かな食事が今日も始まった。
リューネと呼ばれた少女は神父に拾われ、育てて貰った恩がある。いわば彼が父親代わりだ。
一方、孤児院をビショップが作ったのは、彼女の為にも兄弟がいた方が良い――と考えた為。
とはいえビショップは子供達を分け隔てなく接し、今では全員の父親代わりなのであった。
子供達の方も、少し臭くてヨレヨレの服を着た神父の事が大好きだ。ビショップに言われるまでもなく、いつかは彼に恩返しがしたいと思っている。ただ気恥ずかしくて、誰もそれを口には出来ないまま、今日まで過ごしているだけだった。
――コンコンコン、コンコンコン。コンコンコン、コンコンコン。
廃墟のような教会の、正面扉がノックされた。規則正しいリズムで三回――それが四セット。
これが神父にとって大切な客が来たことを告げる合図だということを、リューネは幼い頃から知っている。
しかし大切な客だからといって、神父が彼――あるいは彼等を歓迎していないこともリューネは知っていた。
「追い返そうか?」という意味を込めて、リューネが上座に座った神父に目配せをする。けれど彼は首を左右に振って、それから一言――「気にせず食事を続けろや」、と言い立ち上がるのだった。
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