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※三人称になります
「流石に五人も転移させたら私、ヘトヘトですぅ~」
舌足らずの間延びした声が、四方を灰色の壁に囲まれた無機質な部屋に響く。声の主は煤や灰で汚れた神官服を身に纏った少女で、大きな杖を支えに何とか立っているという風だった。
彼女は鳶色の瞳に褐色の髪という、ディオン人らしい容姿をしている。くりくりと大きな目には希望と正義が宿っており、おっとりとした童顔に爽やかな輝きを与えていた。
少女は、やや癖のある褐色の髪を頭の右上で纏めている。彼女は童顔のせいで年齢よりも幼く見られることが多かったから、髪型を少しでも工夫して大人っぽくしようとしていた。しかしどうも、これが逆効果だったようである。
少女の名はニナ=イーリス。
実年齢でいえば十九歳なので少女とは言い難いが――彼女はニンゲン達が広く信仰するストラディエリア教の大司教に選ばれ、勇者パーティーの一員として活躍しているのだった。
大司教といえば、教皇、枢機卿に次ぐ地位である。勇者のパーティーに入るとは、それ程のことなのであった。
実際、彼女の魔力は膨大であり、それだけの地位を得るに相応しい実力を持っている。五人のニンゲンをステリオンから百キロほど西方にあるララオーバへ転移させることが出来る者など、大陸全土を見渡しても数える程しかいないだろう。
そうしてニナと共に転移した五人は今、彼女を中心にしてこの部屋に集まっていた。もちろん彼等こそ、ディオン国でも名高い勇者ザーリッシュの一行である。
「本当にサーシャ=メロウは、このララオーバへ来るのか?」
壁に拳を打ち付け、歯噛みしながら迅雷の勇者ザーリッシュが声を出す。彼は必殺の攻撃を跳ね返され、なおかつ標的にも逃げられた為、大変に機嫌が悪いのだ。
今もザーリッシュは屈辱に歯噛みしながら、「このまま逃げられちまったら、総長閣下に合わせる顔がねぇ」と眉間に皺を寄せている。
ディオン国では軍制改革が行われて以降、勇者は陸軍の管轄だ。それは現在の統帥本部総長ヴィルヘルム=ビューローが元勇者であったことにも由来しており、彼の持論「勇者の魔王討伐には、軍の助勢が不可欠」――を実践しているのだった。
従って勇者パーティーはディオン陸軍統帥本部に直結した実働部隊であり、その指揮官を兼ねる勇者は軍団長相当である中将待遇をもって迎えられている。
このような経緯からザーリッシュは相当な権限を有しているものの、あくまでも軍人であり、作戦を統括する最高責任者たるビューロー元帥には頭が上がらないのだった。
「――ええ、間違いなく来るわ。仮に来ないとしても、あなたは立場上、このまま本国へ帰る訳にもいかないのでしょう? ザーリッシュ」
「だとして、暇つぶしでこんな場所に居座る訳にはいかんぞ」
「暇つぶしなんかじゃあ無いわ。ここには協力者だっているじゃない――彼等にとってもサーシャ=メロウは邪魔なんだから、きっと手を貸してくれるわよ」
肩を竦めているのはレイリア=カールトン、エルフの弓使いだった。彼女は金髪碧眼の痩身で、弓の名手というエルフを絵に描いたような存在だ。年齢は百七十歳ということだが――十年近く前からザーリッシュと行動を共にしていた。
エルフの中では年若いレイリアだが、パーティーの中では最年長である。なので一行の参謀役とも言える存在であった。
ザーリッシュも彼女の忠告を聞くことが多く、重戦士レスタトに言われせれば「尻に敷かれている」ということらしい。
今回ザーリッシュが魔国ステリオンの領土たるララオーバへ駒を進めたのも、レイリアの助言に従った為である。
――――数時間前のこと。
サーシャ=メロウが転移した後、スチームブレードを崩れた床に叩きつけて悔しがるザーリッシュの肩へ、レイリアはそっと手を乗せた。
「……戦いは大勝利。スクアード領を取り戻した功績は、あなたのものよ――ザーリッシュ。それなのに、どうして荒れているの?」
「今回の至上命令は、サーシャ=メロウを殺すことだ! それを果たせなかった!」
「別に、いいじゃない――戦争はまだ続くのだし、今討ち漏らしたところで、問題無いでしょう?」
「……戦争継続の為にも、人魔融和の象徴になりかねないアレは速めに処分すべきと、総長閣下はお考えなのだ」
憮然として言うザーリッシュだったが、これで一旦は落ち着いた。
「……確かにそうね。だけど敵も頭があって考える以上、どんな作戦も完璧に上手くいくなんて有り得ないわ。その都度修正をして、結果、目的を達成すればいいんじゃない?」
「ああ、そうだな――レイリアの言う通りだ。何か、策はあるか?」
「もちろん。私達エルフは、柔軟な発想と思考が得意なのよ――……」
「よく言う――一万年も変わらん伝統と暮らしを守る、頑迷な種族だろうが」
巨躯の重戦士レスタトが、口の端を歪めて笑う。彼は巨人族の末裔であり、伝統的にエルフ族との仲が悪いのだ。
とはいえ今は共に魔族と戦う間柄、互いに尊重し合う部分もある。その辺りのニュアンスは、純粋な人族には分からないことであった。
「あら、固いのは巨人族の頭でしょう? 伝統工芸だか何だか知らないけれど、何でも細工を施せばいいってモンじゃないのよ」
「混ぜっ返すな、レスタト。レイリアも。――いいから教えてくれ、レイリア。俺はこれから、どうすればいい?」
「そうね、今は喧嘩なんてしている場合じゃないものね。いい、ザーリッシュ、私達がこれから向かうべきなのは――……」
――こうしてザーリッシュは、レイリアの助言を聞き入れララオーバへと向かったのだ。
そもそもディオン国の侵攻は、ステリオン側の一部勢力と秘密裏に協定を結んだ結果である。
だからこそ勇者一行はレイリア=カールトンの助言に従い、ララオーバ政庁舎内にあるキュロプス師団司令部の地下室に転移できたのだった。
そしてステリオンと協定を結んだ一党の中には、他ならぬ師団長――キューリー=キュロプスも含まれていたのである。
打ちっぱなしのコンクリートで囲まれた部屋は、仄かな青色の光で照らし出されている。それは足元に輝く大きな六芒星によるものだった。
勇者パーティのうち、立っているのはザーリッシュだけとなった。皆、昼間の戦闘で消耗しているのだ。
ヘブライは槍を抱え部屋の隅で目を瞑り、レスタトは床で大の字になって寝転がっている。ニナは杖を抱き枕にして横になり、レイリアは静かに座って微弱な風の精霊と対話をしていた。
それらの様を横目に、ザーリッシュは一人立ったまま憮然として腕を組んでいる。やがて現れるであろう協力者――魔将キューリー=キュロプスに、無様な姿は見せまいと気を張っていたのだ。
もっとも、そのキューリーも所詮は窓口に過ぎない。彼の背後に潜む陰こそ今回、ディオン国と魔国ステリオンに戦端を開かせた黒幕だった。
――ザーリッシュがイライラしながら待つこと数十分。
ようやく協力者が、武骨な鉄の扉を開けて入室してきた。一行の目が、一斉にそちらへと向く。
協力者――キューリー=キュロプスは異形で、なおかつ初対面だ。なので勇者パーティーの面々は、それぞれに目を丸くしたり口を開いたりと、驚きの表情を作ってた。
「テメェがキューリー=キュロプスか」
「ええ、初めてお目にかかりますね、勇者ザーリッシュ殿」
キューリーはこの地に駐屯する師団の長で、魔将の地位にある。彼は今、真っ黒いローブで全身を覆い、その正体を誰の前にも晒していない。にも拘らず皆が驚いているのは、まずもって彼が宙に浮いているからであった。
「悪いが……サーシャ=メロウを取り逃がした。で……やつはララオーバへ逃げるんじゃねぇかってウチのモンが言うんでな、寄らせて貰った次第だ」
「次善の策――ですね。もちろん事情は既に存じ上げていますとも。ヒョホ――ヒョホホ……何せ私、目ですから、見ていましたからッ!」
「……目?」
意味が分からず、ザーリッシュは眉間に皺を寄せる。だが相手は協力者であり、ここは自分達のホームではない。何より話がまだ続くようなので、ザーリッシュは大人しく聞くことにした。
「既にサーシャ=メロウ暗殺の依頼を、神々の黄昏に出しました。ああ――彼女には勇者の必殺技を退ける程の強力な従属者がいることも、当然ながら情報として流していますよ」
「神々の黄昏……テメェ、あんな奴等とも繋がっていやがるのか?」
ザーリッシュの眉が跳ね上がる。彼は魔族も嫌いだったが、国際的な犯罪組織は更に嫌いであった。
ニンゲンがニンゲンであることを捨て、異形と化した者も多数いるという組織。その正体は小国に所属する諜報機関だとも言われている。
もっとも総数で五万にも達する構成員を抱えた諜報組織など、もはやそれだけで国軍だが……。
「繋がっている――というと語弊がありますね、あくまでも利用するに過ぎません。何せ我々のような正規軍が、まさか元帥たるサーシャ=メロウを狙う訳にはいかないでしょう?」
「――ふん、まあ道理だな。だが、そんな奴等で大丈夫なのか?」
「失敗したらしたで、この街から犯罪組織が一掃されるだけのこと」
「厭味ったらしいやり方だが、まあ、理にかなってはいるのか……」
「……ご理解頂き、感謝します」
「感謝なんざ要らねぇ。俺達はそもそも敵同士だろうが」
「まあまあ、そう仰らずに。サーシャ=メロウとアルバート=ロッソ=ステリオンを殺すまで、私達は貴重な同盟者じゃあありませんか。
さ、こちらへ――部屋をご用意してありますので、ごゆっくり吉報をお待ちください」
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