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前方の敵兵を眺めやり、サーシャが悔しそうに眼を眇める。
「何なのよ……!」
「あの程度なら、制圧できる気がするけど」
「ガイ、敵は集落の至る所に居ると考えなさい。アンタは完全武装の一個小隊を、十秒程度で制圧できるとでも言うの?」
「一個小隊ってどのくらいだよ?」
「およそ四十人ってところかしら。ディオン軍は最低でも一つの目標を制圧するのに、一個小隊は動かすの。だからアンタがしくじれば、人兎に被害が出る可能性があるのよ」
敵兵の後ろから、子供のようなサイズの人々がゾロゾロと出てきた。彼等は前後を兵士に挟まれて、どこかへ連行されていくようだ。
人兎の潤んだ黒目がちな瞳が愛らしすぎて、ちょっともう俺の正義感が爆発しそうだった。
「じゅ、十秒は無理かもだけどよ、ここで助けなかったら、あいつ等はどうなるんだ? だいたいお前だって四天王なんだから、二人で力を合わせれば何とかなるんじゃねぇのか?」
「何とかならないわよ。それにね、彼等を虐殺するほどディオン軍だって狂っちゃいないわ。戦時国際法に則れば、民間人に対する危害を加えることは禁止されているもの。だからわたし達が助けなくても、彼等は安全よ」
「それって、信じていいのか?」
地球の歴史を思い出してみれば、戦争時、民間人が本当に安全だったという話は聞いたことが無い。良くて難民になり、悪ければ殺される。そんな繰り返しで二十一世紀にまで至っていた。
だからサーシャの言葉を信じることが出来ず、俺はじっと連行される人兎を目で追っていたのだ。
「分からないわ。わたしだって悔しいわよ――自分が逃げる為に、彼等を助けることが出来ないなんて……」
ここで一旦言葉を切って、下唇をきつく噛むサーシャ。
「――それにね、仮にわたし達が人兎を今助けることが出来たとして、そのことがディオン軍の本隊に伝わったらどうなると思うの?」
「そりゃ、増援ってやつが来るのか?」
「そうよ――おそらく次に来るのは中隊以上でしょうね。勇者達だって来るかもしれない。そうなってもまだ、アンタは彼等を守り切ることが出来るっていうの!?」
怒りを押し殺した声で、サーシャが言う。俺は自分の考えが足りなかったことを反省し、「わりぃ」と頭を下げた。
「アンタを責てるんじゃない……自分の無力と無能が恨めしいだけよ。もしも最初から、こんな風に考えることが出来ていたなら……、もっと被害を抑えることが出来たはずなのにね」
「……退こう。ここに居て、自分を責めても仕方がねぇだろ」
サーシャの肩に軽く手を乗せ、頷いて見せた。
運の無い時は何をやっても上手くいかない、それを体現するかのような彼女の現状には、同情を禁じえなかった。
生い茂った草の中に頭を隠し、身を低くして後退する。再び森の中を歩き始めてから、サーシャは吐き捨てるように言った。
「でもね、こんなところにディオン軍がいる理由は一つ。我が軍の情報が漏れているってことよ。誰かが新領土の地図を、ディオンに売ったんだわッ!」
「それって内通者か裏切り者がいる、ってことか?」
「……そうなるわね」
サーシャが握り込んだ拳を、木の幹に叩きつける。よほど悔しかったのだろう――皮膚は破れ、血が滲んでいた。
「なんか、怪しいヤツでもいるのか?」
「――そりゃ、いるわよ」
「貴族派の連中ってやつか?」
「……どうかしら。本国の情報部なら、何かを掴んでいるかも知れないけれど。でも、ヤツ等の中にディオン国と内通できるほど度胸のあるヤツなんて、いたかしら?」
「さあな、少なくとも俺には分からねぇよ。気になるなら無事本国に辿り着いて、調べりゃいいんじゃねぇか?」
「そうね。どちらにしろこれも、魔王様の不在が齎した弊害だわ。早く何とかしなくっちゃ……」
「でもよ、単純に魔国ステリオンがディオンに情報戦で負けた――って考え方もできるんじゃねぇか? 力不足って意味でよ。まあ、そう考えるのは悔しいだろうけど」
足を止めて、サーシャが振り返る。彼女は青い瞳に驚きを宿し、俺をまじまじと見つめていた。
「アンタ、兵学校にでもいたことあるの? ううん――情報戦の概念なんて、士官学校で習得するようなものなのに、なんで……?」
「あ? いやまあ、普通に生きてたら色々、そういう話を聞く世界だったんだよ」
「そうなんだ……」
「魔都に着いたら、陸軍大学にでも通わせようかしら? せめて士官にはなって貰わないと困るものね」などとブツブツ言いながら、サーシャは再び歩き始めた。
「何だよ?」
「何でもないわ。どっちにしても、今回は完璧にしてやられたもの。自分だけのせいって思いたくないから、色々と勘ぐっちゃうのかもね。ああ、腹立たしいッ!」
辺りに落ちていた小石を蹴飛ばし、肩で風を切るサーシャ。
彼女の怒りも理解できるが、見上げれば空はいよいよ藍色の度合いを増している。夜になってしまえば、森をこれ以上歩くのは危険だった。
「なあ、だいぶ暗くなってきたぞ。どこかアテがあって歩いてるんだろうな?」
「あるわ。もうすぐ着くわよ」
「どこに向かってるんだ?」
「野営出来る場所よ」
「なら、いいんだけどよ」
再びサーシャの背を追って歩くこと十数分。
太陽が西の果てに沈み切ったのを合図に、「ホーウ、ホーウ」とフクロウの鳴き声が不気味に響き始めていた。薄闇の中で風に揺れる木の葉も、ガサガサと嫌な音を立てている。
「なあ、サーシャ。道、本当に分かってるのか? 暗くて殆ど何も見えねぇぞ!」
「あのね、アンタ魔族を舐めてんの? わたしには昼間のように見えてるわよ!」
「え……魔族ってそうなの?」
「もう! ニンゲンって面倒ね! 夜になったら目が見えなくなるとか! もういいわ、手、繋ぐから離さないでよッ!」
手を繋ぐ――ですと?
視界もだいぶ悪くなったこの状況下、迷子の不安すらある俺に異論のあろう筈も無い。まして早速サーシャと手を繋げるなんて、夢のようだ。
今日は勇者と戦うなど散々な目に遭ったが、彼女とキスをした上に手まで繋げるのなら、プラスとマイナスで大きくプラスに傾くだろう。ふふふ、幸せがニョキニョキと伸びてくるようだ。
サーシャは俺の顔を一切見る事無く手をギュッと握り、足早に歩いてる。緊張しているのだろうか、彼女の手は温かく、僅かに汗ばんでいた。
「あ、足元だけは気を付けなさいよ。アンタが転んだら、わたしまでつられちゃうんだからッ」
「お、おう」
前を歩くサーシャの息遣いが間近にあって、繋がれた手からは彼女の体温が伝わってくる。今、俺達は二人で一つなんだなぁと考えたら、思わず彼女の手をニギニギとしてしまった。俺、気持ち悪いって思われてないかな……。
だが、幸せな時間というものは長く続かない。ものの数分でサーシャは立ち止まり、俺からスルッと手を離してしまった。ショボーン。
「――さ、着いたわ。ここならアンタの残念な目でも、周りの様子が見えるでしょう?」
暗がりの中、やがて辿り着いたのは小さな泉の側だった。そこだけは木々の天井が無く、星々の明かりも届いている。そんな星明りを反射して揺れる水面は美しく、俺は思わず「ほぉぉ」と感嘆の声を漏らしてしまった。
「まあ暗いけど、まったく見えないって訳じゃねぇな……」
「良かった。もうすぐ月も上るから、そうしたらアンタも、もっとよく見えるようになると思うわ」
「おお、そりゃ助かる」
「それに、泉で汗も流せるわ。いい場所でしょ?」
サーシャの言葉を聞いて、鼻の下が三メートルくらい伸びたような気がする。
「うん、そりゃあ良い場所だな。本当に……へ、へへへ」
早くサーシャ、汗を流しに行かないかなーと思うゲスな俺様なのであった。
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