10
暗黒剣を名乗る黒い鉄パイプは、こう言った。
『ちょっと貰うだけにしとくわ』
これはつまり、俺が何かを差し出すという事だろう。その代償として、暗黒剣は何らかの力を俺に貸してくれるのだ。
当然――嫌な予感しかしない。
けれど暗黒剣の提案は溺れる者に差し出された藁にも等しく、これを断るという選択肢を俺は持たなかった。
実際、暗黒剣を受け入れた時点で胸に痛みが走り、意識が朦朧としたことは確かだ。もしも奪われたモノがあるとすれば、寿命とか血液とか――そんなモノである気がした。
だけど、それが不快かと言えば違う。まるで柔らかな羽毛の中に埋もれるような――あるいは波の緩やかな水面に揺蕩うような気分を今、俺は味わっていた。
しかし、そんな恍惚とした揺り篭の中へ精神を追いやって、肉体はさっきよりも切羽詰まっている。それが俺の現状だ。
ザーリッシュは油断なく俺の前で大剣を構え、エルフさんが俺の心臓を弓矢で狙い定めていた。重戦士レスタトもガトリングガンを構え、地面に突っ伏して射撃体勢に入っている。
「ザーリッシュ、離れて! 一騎討ちに興じるのは、そこまでよッ! その子、暗黒の力を使ったわッ!」
悲鳴のような金切り声が上がる。エルフさんのものだった。これを合図に神官服の少女が呪文を唱え、ザーリッシュの身体が淡い光に包まれる。恐らくは防御力を高める呪文だろう。
そんなに俺を警戒しているのか……?
槍使いの男が音も無く前進して、横合いから鋭い突きを放つ。「俺」が気配すら感じなかったこの攻撃に、身体だけが反応した。
ヒュ――ボッ!
大気すら穿つ神速の一撃だ。しかし俺は俺の意思とは無関係に、体裁きだけで難なくソレを躱していた。
この間に後退してパーティーメンバーと合流したザーリッシュが、きつく奥歯を噛み締め俺を睨んでいる。
「一体何人喰ったら、そんな力を得られるってんだ……え、コクトー=ガイ!?」
勇者の表情から、今までの余裕が消えていた。完全に俺を「倒すべき敵」と認識したような、そんな顔をしている。
『いいぜ、キョウダイィィ! 闇の力がビンビン来やがる! キョウダイこそ、千年に一人の逸材よォォッ!』
再び脳内に、暗黒剣の声が響く。
「千年て……言い過ぎだろ……」
はっきり言って今の俺は、弛緩しきっていると思う。なのに勇者達は攻めて来ず――逆にサーシャが俺の側へ来て耳打ちをした。
「いいわ、その調子よ――ガイ。この禍々しいオーラで……――奴等も警戒しているわ」
「禍々しい? ああ、暗黒剣のヤツが……ってお前、怪我はどうした?」
「アンタが敵を抑え込んでくれていたから、魔術で回復したわ。そんなことより、ねえ――一度しか言わないから、よく聞きなさい。わたし、逃げるわ。アンタの言う通り、逃げても死ななきゃ負けじゃないものね。
でも、アンタもわたしと一緒に逃げるのよ。だからその為にも、少しの間だけ時間を稼いで。転移魔術を行使するから、呪文を唱える時間が欲しいの――出来るわよね?」
「別に、お前が一人で逃げてくれれば、俺はそれで構わねぇんだけど……」
「黙りなさい、従属者は召喚者に絶対服従するものよ。とにかくわたし、二人分の転移魔術を唱えるから、その間の時間を稼ぎなさいよねッ!」
サーシャは言うだけ言うと、物陰へ向かって走っていく。どうやら、そこで呪文を唱えるつもりらしい。
「逃がさないわよ、四天王サーシャ! あなたを倒せば私達の勝ちなんだからッ!」
サーシャの意図を悟ったエルフさんが、素早く矢を放つ。矢は寸分の狂いも無くサーシャの心臓へ迫り、突き立つことが必然かと思われた。
「甘いのよ、森の珍獣ッ!」
一瞬だけ振り返り、サーシャが矢に杖を翳す。すると矢は途中で炎を纏い、中空で焼失した。
「森の――妖精よッ! そっちこそ、甘いッ!」
美貌のエルフさんが、再び弓に矢をつがえる。その鏃は翠玉色に輝く、色鮮やかなものだった。
サーシャは「あっ、それはダメ……ガイ! 迎撃! あの矢を迎撃ッ!」と叫び、ぴゅーと物陰へ逃げていく。
確かに、あの鏃はマズい! 破壊力が段違いだ――と、俺の直感が訴えていた。
「なあ、暗黒剣。あの矢、止められるか?」
『ん……オウ……キョウダイ、そういうことなら――まかせなヨ』
俺の身体から立ち上ってた紫色のオーラが、全て鉄パイプに吸い込まていく。するとパイプの形状が見る間に、黒い刀身の剣へと変化を遂げた。
それは幅広で諸刃、いかにも武骨な長剣だ。黒光りする刀身からは背筋をぞくりと凍えさせる、紫煙のオーラが立ち上っていた。柄頭の意匠は銀の髑髏で、その禍々しさをより一層際立たせている。
『どうでぇ?』
黒い鉄パイプ改め――暗黒剣が誇らしげに言った。
「い、いいんじゃないか……そんなことよりエルフの矢、あれを防がねぇと……」
ぐぅ――とエルフさんが弓弦を引き絞る。細い腕に似合わず、その構えに一切のブレは無い。そして彼女は白く美しい手を、弦からそっと離した。
ヒュンッ!
翠玉色の鏃が大気を切り裂き、サーシャへと迫る。
「イヤァアアアアア! 落ちろ、落ちろォォ! 爆炎! 火球! 水竜ッ!」
サーシャが杖をブンブンと振り、必死の形相で迎撃してる。最初は火柱が立ち上り、次に拳大の火球が数十個、矢に向かって行った。
最後は杖の先端から現れた水の竜が矢を圧し折ろうと身体ごとぶつかったが、逆に四散させられている。
結局のところ矢は幾度サーシャに迎撃されても、速度さえ緩めることが無かった。それどころか矢は炎や水を纏いながら、巨大化していく有様だ。
「付与魔術は反則よッ! こんなの、そこらの砲弾より強力じゃないッ!」
「何言ってるの、サーシャ=メロウ。これは天然――風の精霊石から作った鏃よ。魔術を行使しない森の妖精が、いままでどうやって魔族の魔術に対抗してきたか――その身にたっぷりと刻んで果てなさいッ!」
口元を歪め、エルフが笑う。つややかな金髪をかき上げ、再び彼女は矢筒から矢を一本抜いていた。
「もっとも――サーシャ=メロウ。あなたが、ただ一撃で死ぬとは思っていないけれど」
「イヤァァァアアア! ガイ! なんで止まってるのよッ! 何とかなさいッ! 早く! 早くーーッ!」
「お、おう……」
そう言われても、今の俺には身体を動かす権利が無い。暗黒剣は姿を変えて満足したようだし、どうしたモンかと考えていたら、ぐらりと身体が揺れて……――。
あれ……と、思った瞬間、俺は凄まじい速さでサーシャの前へ移動し、剣を横に一閃していた。
ビュン!
鋭い音と共に、飛来した矢を両断する。サーシャの魔術を纏い、さらに強化された矢を、だ。上下に分断された鏃が天井と床にぶつかり、乾いた音を立てていた。
「すげぇ……これも、俺の力なのか……?」
『いやぁ……ちょっと違うがナ。でもまァ、暗黒騎士の力ってことには変わりねェ。だからいずれキョウダイも、この力を使いこなすことになるんだろうゼ……多分ナ』
「へぇ。俺もいずれ、ねぇ……」
ぼんやりとした頭で、俺は納得した。
というか、ぼんやりした頭だったからこそ納得出来たのだろう……。
『じゃ、転移魔術の完成まで、時間を稼ぐとすっか、なぁ、キョウダイ』
そう言う暗黒剣を頼もしく感じながら、「身体、終わったら本当に返して貰えるのかなぁ……」なんてことを考える俺なのであった。