第三話【初めての迷宮探索】
「へぇ……これが迷宮かぁ」
迷宮――というからには、地下深くに広がる洞窟のようなものをイメージしていた。
いや、たしかに階段を下って迷宮へ入ったわけだから地下という認識は正しいのだが、その内部は真っ暗な洞窟というわけではなく、けっこう明るい。
天井を見上げると、青い空は見えないものの、ところどころに光を発する鉱石のようなものが埋まっているらしく、あれのおかげで迷宮内部は明るさを保っているようだった。
まるで、夜空に明るい星が輝いているかのようで、ちょっと幻想的だ。
広い空間には植物も生い茂っており、一瞬、ここが地下であるのを忘れてしまいそうになる。
「マモル様、初めての迷宮が物珍しいのはわかりますが、あまり油断はしないでください。ここからは、いつ魔物が出現してもおかしくありません」
きょろきょろと迷宮内部を眺めていた俺に注意を促してくれたのは、油断なく周囲を警戒しているミルカである。
『すんすん……ここ、色んな臭いが混ざってて鼻がツーンってするけど、近くに魔物がきたら教えるからね』
そう言ってくれたのは、ジルだ。
ダイアウルフは嗅覚がとても鋭いらしく、魔物の臭いを嗅ぎ分けることができる。
以前もそれで助かったのだが、迷宮内部には大量の魔物がいるだろうし、探索に来ている人間も多い。
それらの臭いがごちゃ混ぜになっているようで、探知能力を十全には発揮できないようだ。
とはいえ、いきなり魔物が飛び出してくると心臓に悪いので、事前に教えてもらえると非常に嬉しい。
俺とて、肉体強化(中)のスキルを取得しているおかげで、常人よりは機敏に動けるようになっているのだが、心の準備というものは必要なのだ。
『すんすん……そっち! 魔物が近づいてきてる!』
ジルが唸り声を上げながら睨みつけているのは、草木が茂っている暗がりだった。
「ギギ……」
金属が擦れるような不気味な鳴き声を上げて姿を現したのは、ウサギの形状をした魔物だった。
いや、フォルムはたしかにウサギのように見えるが、サイズは大型犬ほどもあり、その身体には赤黒い血管のような筋が幾重にも走っている。
こちらを睨みつける赤い眼は爛々と輝いており、愛嬌なんて欠片もない。
……だが、この前戦ったヒト型の魔物よりかは威圧感は控えめだ。
もしあいつと戦った経験がなければ、正直このウサギが相手でもビビって動けなくなっていたことだろう。
「よし、俺だってちゃんと戦え――」
俺がマチェットを引き抜き、魔物との戦いの火蓋を切ろうとした瞬間――ウサギの魔物は首を斬り落とされて絶命した。
崩れ落ちた魔物の身体が、灰のように消え去るまで……ものの数秒。
そんな早業を披露してくれたのは、プレゼントしたククリナイフを完璧に使いこなしているミルカである。
くるくると器用にナイフを回転させて鞘に収めた彼女は、満面の笑みをこちらに向けてくる。
自分の得意分野で役に立てていることが嬉しいのだろう。
「マモル様はわたしがお守りしますね!」
「戦え……るけど、戦わなくていいならそれも悪くない」
俺は所在なげなマチェットを鞘に戻し、魔物が消滅した場所にきらりと光るものを見つけた。
「ん……? これって何だ?」
拾い上げてみると、それは綺麗な石のようだった。
「それは魔石ですね。魔物を倒すと手に入るんです。迷宮探索で稼いでいる人は、おもにその魔石を換金することで収入を得ているんですよ」
「へえ……これが魔石、か」
この前戦った魔物は、最終的に跡形もなく消し飛んでしまったから、魔石の回収も何もあったものではなかったが、本来は魔物を倒すと魔石を入手できるらしい。
「迷宮都市アイリスではギルドが適正価格で買い取ってくれるそうなので、換金するときはギルドに持っていきましょうね。魔石の売買をしている商人に買い取ってもらうこともできますが、相場よりも安く買い叩こうとする商人もいますので」
なるほど。さすがは迷宮経験者といった感じだな。頼もしい。
「この魔石っていうのは、何か有効的な使い道があるのか?」
換金できるということは、この石にそれだけの価値があるということだ。
淡い紫色をしている魔石は綺麗ではあるが、観賞用の宝石というわけではないだろう。
「はい。魔石というのは魔力を含んだ石のことで、それを利用した魔道具などが開発されたりしていますね。あまり詳しくは知りませんが、最近では魔石を利用した動力機関なども研究が進んでいると聞いたことがあります」
ふーむ。
魔道具に動力機関、か。
魔石に含まれている魔力をエネルギー源として利用しているのなら、魔石は地球でいうところの天然資源――石油といったところか。
「わかった。とりあえず拾った魔石は俺がまとめて持っておくことにするから、換金したいときは言ってくれ」
空間収納スキルで魔石をしまい込んでから、俺はそう言った。
魔物を倒したのはミルカなので、当然ながらこの魔石はミルカのものだ。
「いえ、わたしはマモル様の護衛ですから、敵となる魔物を排除するのは当然の役目です。手に入れた魔石も、全てマモル様が自由にお使いください」
「いや、さすがにそれは駄目だろう」
「いえいえ、『災厄の種』を取り除いてもらったことや、奴隷から解放してくださった恩はこれぐらいでは到底返せません。それでなくとも、マモル様には貴重なスキルの書をいくつもいただきました。もらってばかりというのは、わたしも心苦しいです」
うぐぅ……そう言われてしまうと、受け取らないわけにもいかない。
「……わかった。それじゃあ、ありがたくもらっておくことにするよ」
『ぼくもぼくも! 魔物を倒したら、魔石はマモルにあげるからね』
俺の足元をくるくると走り回りながら、ダイアウルフのジルがそんなことを言った。
「はは、ありがとう。魔石を換金したお金で、美味いものをたらふく食わせてやるからな」
そう言って頭を撫でてあげると、ジルは気合いを入れて鼻をすんすん動かし始める。
――ほどなくして、ジルがまたもや警戒の唸り声を上げた。
迷宮内で魔物が大量発生しているというのは、本当らしい。
よし、今度こそ――
『そこ!』
バシュン!
『あっち!』
ボシュン!
『こっちに二匹!』
ドシュシュン!
……あれ? もはやマチェットを引き抜くことすら許されないのだが。
ジルが魔物の臭いを察知して唸ると、ミルカが電光石火のごとき速さで魔物を仕留めていく。
蛇のような魔物、蛙のような魔物、小人のような魔物と、どれも凶悪そうな顔つきをしていたのだが、一撃で息の根を止められていた。
……ひょっとしなくても、もともとミルカはかなり腕の立つ迷宮探索者だったのだろう。
『災厄の種』などという不遇なスキルを所持していたせいで、誰にも頼れず、独りで生きていくには強くなるしかなかったのだ。
そんな彼女に、俺が戦闘系のスキルをあれこれとプレゼントしたもんだから、こういう結果になっているわけである。
全部俺がやりました。後悔はしていません。
もはや俺の役目は、魔物が落とす魔石を拾って空間収納にしまい込むぐらいだ。
「ふぅ……」
とはいえ、さすがにミルカも疲れが出始めてきたようだ。
「――そろそろ休憩にしようか?」
そんな提案をすると、ミルカはまだやれると言いたげな眼をしていたものの、引き際は心得ているようだった。
「そう、ですね。少し地図を見せてもらってもいいですか?」
俺はギルドで無料配布されていた迷宮の地図を取り出し、ミルカに渡した。
いくつもの部屋と通路がつながっているフロア構造は、大きな蟻の巣のようである。
「この先に簡易的な休憩所があるようですね。ギルドでもらった携帯食料もありますし、そこで食事にするというのはどうでしょう?」
地図に記載されていた場所へ到着すると、やや広めの空間に出た。
休憩所――といっても、魔物が発生しない絶対的な安全地帯というわけではないらしい。
魔物除けに柵が施されており、魔物が侵入しないよう見張りが何人か立っている。
柵の内側では、食事の準備をしている人や、横になって休んでいる人の姿が見受けられた。
傍には泉も湧いているようで、迷宮内ではあるが、やや和やかな雰囲気である。
ここがまだ地下一階という浅い階層であることや、出現する魔物が比較的弱いため、このような場所を作ることができたのだろう。
俺たちも柵の内側に入れてもらい、さっそく食事の準備をすることにした。
「どれどれ、ギルドでもらった携帯食料は……と」
空間収納から携帯食料を取り出し、いそいそと中を確認する。
「お、おう……なんだか、カッチカチだな」
保存性を高めるため、鈍器にでもなりそうなほどカチコチに焼きしめられたパンに、『くたびれたビーフジャーキー』とでも表現したい塩漬けの乾燥肉。
初回無料でもらった携帯食料にケチをつけたくはないが、最低限のカロリーを摂取するための食事といった感じだな。
「このパン、本当に食えるのか? ………うぐっ」
指で弾くとコンコンと硬質な音を返してくるパンにかぶりつくと、歯が折れそうになった。
ナイフで薄く切った乾燥肉にしても、いくら噛んでも柔らかくならず、塩辛くて食えたものではない。
ちょ、待っ……、これは無理だろ。
「嘘、だろ……」
ミルカのほうを窺うと、なんと彼女はパンに乾燥肉をのせて、普通にむしゃむしゃと食べているではないか。
ジルもまた、鈍器のようなパンを強靭な顎で噛み砕いている。
俺が泣きそうな顔になっていると、それに気づいたミルカがすぐさまフォローしてくれた。
「わたしはこういった食事に慣れていますからね。調理すれば食べやすくなるので、ちょっとだけ待っていてください」
言うが早いか、彼女は薪になりそうな枯れ木を拾い集めてきてくれた。
「マモル様、鍋をお借りしてもいいですか?」
俺の空間収納には、自宅にあった使えそうなものは何でも放り込んである。
そこから調理用の鍋を取り出すと、ミルカは泉で汲んだ水を沸かし始めた。
「パンはちぎって鍋に入れて……と」
焼きしめられたパンがお湯でふやかされ、そこへ細切れの乾燥肉が投入された。
塩漬けの乾燥肉なので、あれだけでしっかりと塩味は効いていそうである。
「はい、できました! 食べてみてください」
ミルカに満面の笑みでそう言われてしまうと、食べざるを得ない。
「あ……たしかに、これなら食べられるかも」
ふやけたパンと乾燥肉のスープは、美味かどうかはさておき、俺の胃袋をひとまず満たしてくれた。
「――ごちそうさまでした。ありがとうな」
おいしかったよ、とミルカに素直に言ってあげられないことが、もどかしい。
うーむ。
迷宮を探索するのに、日持ちのする携帯食料が必要なのはわかるんだけど、もうちょっとなんとかならないものか。
……あ、でもこれってもしかすると、異世界交易のチャンスかもしれないな。
迷宮探索を頑張っている人たちの食事情を改善するのは、ちょっと遠回りかもしれないが、悪くない支援方法だと思う。
読んでいただきありがとうございます。
次回更新は水曜日の予定です。お楽しみに^^
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