第十五話【大丈夫じゃなかった】
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「……無理を言ってすみませんでした」
「いや、あのメールを見ちゃったら、さすがにね」
一ノ瀬さんのメールを開くと、『もう無理です』とだけ書かれていた。
タイトルよりも短いメール本文を見た俺は、これはさすがにマズそうだと思い、すぐさま一ノ瀬さんに電話をした。
今はファミレスで向かい合って、彼女の話を聞いている最中である。
どうやら、あの上司は一ノ瀬さんにも俺のときと同じような態度を取り続けていたらしい。
定時終了後に追加業務を渡すのは当たり前、機嫌が悪いときは声をかけても当然のように無視するし、機嫌が良いときでもいきなり怒鳴ったりする。
飲み会の席では無茶飲みを強要し、女の分際でと暴言を吐きまくる。
挙句の果てには露骨に体を触ってきたり、やたらと彼氏がいるのかという質問を連呼するらしい。
ハラスメント行為の危険性については、ほとんどの会社が社内教育に取り入れているし、管理職である上司は十分に理解しているはずだ。
理解と実践は異なる……とはよく言われるが、ここまで来るともはや笑い話だな。
――いや、当事者にとっては笑い事ではない。
「とりあえず、一旦落ち着こうか。俺が言えることではないかもしれないけど、どうしても無理だと思うなら、転職先を見つけてからでも遅くはないと思うし……」
なんというありきたりな慰め方だ。自分が恥ずかしい。
「それがですね。わたし……昨日付けでクビ――というか退職することになりました」
えええええぇぇぇぇぇっ!?
それは初耳なんだが!?
すでに大丈夫じゃなかった!
「……マジで?」
「マジです。わたしどうしても我慢できなくなって……つい言い返してしまったんです」
上司の横暴に耐えかねた一ノ瀬さんは、言ってしまったらしい。
『さすがにそれはどうかと思いますよ』と。
部下を奴隷か何かと勘違いしている上司は、烈火のごとく怒り狂って一ノ瀬さんの人格を否定するような暴言を吐きまくり、その場は修羅場と化したらしい。
一ノ瀬さんの話を鵜呑みにするならば、もはやあの奴隷商人バルボスが可愛く思えてしまうほどである。
まあ……あの上司のことだから、ほぼ脚色なしの事実だろうが。
そんなこんなで、耐えきれなくなった一ノ瀬さんは退職届けを提出して――今に至ると。
戦場に残してきた仲間の様子を見にきたら、すでに仲間が全滅していたこの感じ。
あの上司を空間収納の中に放り込んでおいたら、社内は平和になるんじゃなかろうか?
まあ、生物は収納できないみたいだが。
「その、もうどうしたらいいかわからなくなってしまって。そんなとき、ふとわたしと同じような境遇で退職した先輩のことを思い出して……ついメールを」
「うん、まあ……大変だったよな。俺もその気持ちはよくわかる」
同じ境遇を味わったからこそ、強く共感できる。
「うぐっ……ひっく、ふええええぇぇぇん」
俺がそう言うと、一ノ瀬さんは泣き出した。
静かに泣くような感じではなく、子供のような大泣きである。
「ひそひそ……やあねえ、別れ話かしら?」
「ひそひそ……最近の若い人って……」
「ひそひそ……あれは絶対男が悪いわね」
ひそひそ話はこちらに聞こえない程度に声を絞っていただきたい。
それ絶対わざとやってるだろ。
ファミレスにいる周りのおばちゃんたちは、好き勝手に言って俺のメンタルをガリガリ削っていくが、ここは我慢である。
――ようやく一ノ瀬さんが泣き止み、会話ができそうな状態になってから、あらためて今後の話をしてみる。
「それで、これからどうするつもりなんだ? 再就職先を探すつもりか?」
「……ですかねぇ。一年目で辞めてしまった女性社員を雇ってくれるところはなかなかないと思いますけど。うわぁ……またあの就活時代の地獄を味わうことになるのかぁ~。というか新卒のときより負い目があって余計にやりづらい~」
苦しそうに呻く一ノ瀬さんを見ていると、何かしてあげたいとは思う。
俺が辞めてしまったせいで一ノ瀬さんがチームに組み込まれたわけで、まったくの無関係とも言えない。
「一度田舎に戻るのも悪くないと思うけどな。たしか一ノ瀬さんの田舎は……」
「それは絶対に嫌です! 反対する両親をなんとか説得して上京したっていうのに、一年も経たずに出戻ってきたら、それみたことかと笑われちゃいますよ。きっと最初はよく帰ってきたとか喜んでくれるんですけど、一週間もすれば邪魔者扱いされ始めて、数ヶ月もすれば地元に住んでるいかにも平凡な男性との見合い話とか持って来るんです。そんでもってなし崩し的に結婚まで持っていかれて人生終了ですよ~」
……まるで実際に経験したかのようなリアルな想像だな。
ファミレスのテーブルにごすんと頭をぶつけた一ノ瀬さんは、そこでしばらく思考停止したようだった。
「ひそひそ……やあねえ、田舎に帰れですって」
「ひそひそ……出戻りって辛いわよねぇ……」
「ひそひそ……田舎で良い再婚相手が見つかればいいのにねぇ」
くっそぉぉぉ! なんで断片的に聞こえる中途半端な情報でそこまで想像を膨らませることができるんだ。
「――ところで、先輩は今何をやってらっしゃるんですか?」
むくりと頭を起こした一ノ瀬さんが、そんな質問をしてくる。
「お、俺か? うーん……定職には就いていないというか……強いていえば自営業? みたいなものになるのかな」
「自営業、ですか。それってどんな仕事です?」
「まあ、その、あれだ。色んな商品を扱う貿易業みたいな感じかな」
「貿易業!? 海外を飛び回ってるんですか!? すごいじゃないですか!」
行き先は異世界だけどな。
それに飛行機に乗って飛び回るわけじゃなくて、扉を抜ければ異世界に到着するので、移動手段は徒歩だ。
「あの、ですね。いきなりこんなことをいうのは失礼かもしれませんが、先輩がやってる仕事を手伝わせてもらうことって、可能ですかね?」
おいおい……一ノ瀬さん、相当に切羽詰まってるな。
いくら元先輩がやってるからといって、得体の知れない貿易業を手伝うとか冒険しすぎだろう。
いや……ちょっと待てよ。
「一ノ瀬さんは、たしか大学は理系だっけ?」
「そうです。数学とかはまったくできない、化学系のなんちゃって理系ですけど」
「それじゃあ、もしかすると石鹸とかを作れたりする?」
「石鹸……ですか? あまり大学の知識とは関係ないですけど、趣味で石鹸作りに凝った時期ならありますよ。市販のものより肌に優しい石鹸とか、保湿性の高いシャンプーとかは友達にも人気がありましたし」
「じゃあ、この石鹸よりも優れたものを作れる自信はある?」
ブライト商会が扱っている従来の石鹸を一つ、空間収納からこっそり取り出して一ノ瀬さんに渡す。参考用に購入しておいたものだ。
「へぇ……茶色い石鹸ですね。精製前の植物油でも使用してるんです? なんだか本格的……っぶっふぅぅぅ!! くっさ! なにこれくっさ! まるで馬のクソを練り合わせたような匂いがするんですけど!?」
それ言いすぎぃ!
「えっーと……正直、これよりは絶対マシなものを作ることができると思います」
はい、採用。
「それなら、ぜひとも手伝ってほしいことがあるんだが……実際に現地を見てから判断したほうがいいかもしれないな」
「石鹸を作るんですか? 輸出入するんじゃなくて?」
「どちらかと言えば、現地での技術供与みたいな感じになるかもしれない」
「技術供与……ですか。それって、なんかすごくグローバルな感じがしますね!」
「だから、材料はできるだけ現地で手に入るもので作ってほしい。もし無理そうなら、はっきり言ってくれればいいから。給料を日本円で支払うのは難しいかもしれないが、日本の給与水準と同額程度の金銭は支払うことができると思う。成功報酬なんかについては、追々相談させてくれ。雇用期間は、まずは品質の良い石鹸作りを成功させるところまでだ」
「わかりました。外資系企業はドルとかユーロで給料を支払うところもありますもんね。俄然燃えてきましたよ!」
すまん。興奮してるところ悪いが、ドルとかユーロではない。
「それで、現地を案内する日取りなんだが……」
「わたしはいつでも大丈夫ですよ」
一ノ瀬さん、けっこうアクティブだな。
「えっと……じゃあ、今から行ってみる?」
「ひそひそ……なんだか、結局仲直りしたみたいねぇ」
「ひそひそ……海外旅行にでも行くみたい。羨ましいわぁ」
「ひそひそ……ちっ、つまらないわね」
……どうでもいいけど、このファミレスは二度と使わねーからな。
技術供与で永続的に利益の一部を受け取りたい今日この頃。
一ノ瀬さんガンバ~( ´ ▽ ` )ノ