封印の大岩
風が強くなったか。
朱色の袴の裾を風が通り、一つにまとめた長い髪をさらっていこうとする。
柔らかさの増した陽の光を感じながら、兄様の後ろに付き村のあぜ道を歩いていく。
朝早くから畑仕事をする村の人たちと挨拶を交わし、日当たりの良い土手の桜並木に、開き始めた蕾は柔らかな春を感じさせた。
心もほころぶような豊かな風景は、林が近くなるにつれて徐々にその姿を変えていく。次第に人の気配も田畑も少なくなり、寂しげな空気がうっすらとした寒さのように肌を刺す。
「兄様……」
なんだろう。上手く言葉にできないもどかしさに、つい兄様の存在を確認するかのように声をかけた。
あえて言うなら、そう。空気が、おかしい。
林に足を踏み入れた瞬間、いつもに増して明らかな雰囲気の変化に体が反応する。
何というか、神経に触れるイヤな感じを、どんよりと薄く引き伸ばした様で。すぐ側の茂みにすら何者かが殺意を持って息を潜めているのではないかと思えてくる。
「うん。瘴気だな」
白い袴の袂を探り、兄様の瞳も油断なく辺りを警戒し始める。
「参るぞ、薄紅」
兄様は、あの縁側からこれを感じていたのか?
いつの間にか、冷たくなっていた指先を庇うように握りしめた左の手を、右の手の平で覆う様に握りしめた。
大丈夫。心にそう言い聞かせ、前を行く大きな背中を追って村の鬼門へと歩み出す。
「見えた」
濃い緑の匂いがする獣道を行き、急に開けた大地のその先に立つ大岩に目を向ける。
高さにして五メートルはあろうか、いびつな楕円の大岩は、いつ見ても圧倒される何かがある。
一年前、初めて彼の地を訪れた際にも一度見上げた大岩。
剥がれ落ちそうになっていた封印の札も、その時に兄様が大掛かりな儀式を行い貼り替えている。
薄暗い辺りを見回すと、元々木漏れ日程度の光しか届かない林の中は、覆い被さるような木の枝のせいでまるで陽の光さえも大岩を避けているように見えた。
「うん。やはりここからか」
大岩の札を見つめる兄様の一言は疑惑が確信に変わったと言うか。林の入り口とは比べ物にならないくらいの瘴気の濃さに息がしづらい気さえしてくる。
「兄様これは一体……」
その問いには答える事なく、一度合わせた視線が同時に大岩の上を振り仰いだ。
「法師に巫女か……。ここで、我が糧となれ」
爬虫類を思わせる鱗に覆われた異形の者が、紅く裂けた口から長い舌を伸ばし、こちらを見下ろしていた。




