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【9】暗翳と二人の夜と(2)

「……うん。そういうわけで、竜治くんから話を聞いて、私も所々の発言を省みたわけさ。ごめんね、お沙耶ちゃん」

「別にいい。慣れるよ、こんなの」


 強気な態度で返して、直後に後悔した。他ならぬ竜への当て付けか、嫌味とも取れるからだ。

 内心びくつきながら竜のいる方を見ると、彼は窓枠の横木に肘をついて、外の通りを見下ろしていた。目を逸らしたのだと思った。


 黙っていれば凛々しい顔付きの、黄昏た無表情が怖い。窓際に射し込む西日が竜を照らした。陰影が濃く、伏せがちになった目の色は分からない。怒っているわけではないと信じられるのに、そう見えてしまうのは、私に失言の自覚があるからだ。


 息を吸い、喉に込み上げたものをぐっと押し返した。色々なことが重なったせいにしたくなる。そうでなければ、いつもならば、こんな空気を気まずくする返答なんてしない。


「あーあ。上京した子が慣れていくの、残念なんだよなぁ。私はカクテルの飲み方も分からないような、田舎の初心な子がいい」


 話の筋をにわかにすり替えて、華鳥が口を開いた。


「私は華鳥朱の他にも呼称を持っていてね。この界隈では鶺鴒の君だけど、またとある界隈では……」


 止まりそうもない喋り口だ。彼のおどけた調子で空気がやや吸いやすくなったのに気付いて、私は立ち上がった。


「竜、帰るか」

「はい。沙耶子さん、体調の方は大丈夫ですか」


 竜もすっくと腰を上げる。互いの声音が変わっていなくて安堵した。これなら元通り振る舞えるだろう。


「あのさ! 人の話を流さないでくれるかな」

「ちょっと長いんだよ。……えっと、華鳥朱。迷惑かけてごめん、ありがとう。もう大丈夫だから」


 不測の事態に迷惑を被ったのはむしろ向こうだろう。言葉に親しみを込めると、彼の表情にもほっとしたような柔らかさが表れた。


「本名、片桐朱也(あかや)っていうんだよね。だからそっちで呼んでよ」

「片桐?」

「朱也」

「……朱也」


 私が名前の方で呼ぶと彼はへらっと笑った。その甘ったるい表情を目の当たりにして、そうか、と腑に落ちる。

 ようやく分かった。初対面から頭にあった、既視感の正体。


「竜と朱也。笑ったときの雰囲気がそっくりなんだ」

「え……そうですか?」

「ああ。なんかこう……締まりがないというか」


 それを聞いた朱也が、んん、と喉奥を震わせた。


「似ているというのも気に入らないが、言い方が酷くないか。甘いマスクと言って欲しいな」

「身体付きも同じくらいだし、どうりで既視感があると思った」


 まじまじと見比べてみると、同じ目線の高さに二人の顔がある。背格好も似通っていて、これなら近い服装で歩いていれば、遠目に間違える人もいるかもしれない。


「天下の華鳥朱だから正直悪い気はしないんですけど、どことなく腹立ちますね。実際はこんなだから」

「悪い、竜。中身は全然違うよ」

「こらこら君たち。私の方が歳上だろう。少しは敬いたまえよ」


 パンフレットにも紹介が書かれていたが、一応確認してみれば朱也は二十八歳だった。ちなみに私は現在二十四歳で、竜は来月に二十二歳を迎える。


 不愉快そうに口を曲げる朱也だったが、実際はそれほど怒っておらず、むしろ気楽そうに見える。彼は畳から自身の羽織りを掬い上げると、入り口に立つ黒塗りの柱に手を掛けた。


「帰るなら出口まで送ろう。私が居ないと通りにくいだろうし」


 そう言うとゆったりとした歩みで階下へ降りていく。私もコートを羽織り、後に付いて階段に出ると、自然光とは違う橙の灯が下から漏れている。女子の賑やかしい声が時折咲く。夢から醒める前に聞いた笑い声は、ここの一階が源だったらしい。


 そういえば、ここは何処なのだろうか。階段の急斜面に気を付けながら首をかしげる私に、「ここ、紹介制のカフェの二階なんですよ」と竜が後ろからそっと耳打ちした。夫の決まり悪げな態度の原因は、どうやらここにもあったようだ。


 店舗部分の一階は白粉と酒の香りに満ちていた。軽く見渡すと、壁際の座席に男女が三組ほど。皆楽しげに酔っ払った様子で、互いに顔を寄せて会話している。

 洋装が目立つのもあって、男性客の方がじろじろと私の顔を覗く。身を縮こませながらそれらを過ぎやって、やっとの思いで外の空気を吸うと、いつのまにか最後尾になっていた朱也が出口から顔を出した。


「またねぇ、二人ともお大事に。せっかくだし私はもう少しいるからさ」


 背後では数多の女子たちが彼の腕を引き、きゃっきゃと盛り上がっている。「朱也お兄ちゃん」「鶺鴒のお兄様」という無邪気な呼び声は、おそらく空耳ではない。

 私たちは彼と、店の前で客引きしていた店主にお礼を言って、ひとまず歩き出した。


 十二階より北に位置するこの通りは、案の定男性向けの店が多かった。通行人の中には女、子どもの姿も見られたが、おそらくあと一時間もすれば、それだって男性に代わる。日の暮れた十二階下は、商売目当て以外の女性が歩く場所ではない。


 ふと気になることがあって竜に訊いた。


「さっきの子たちさ。朱也のことお兄ちゃんって言ってたけど、実の妹たち……とかじゃないよな」

「沙耶子さん。ええっと……最近はああいった店も細分化されてきていて、あそこはああいう嗜好を楽しむ店なんです」

「あ。深く突っ込んじゃいけないやつか」


 かなりぼやかしているが、言いたいことは伝わった。変人だし軽薄だが、悪い奴ではない。という彼の評価にもう一つ、果てしなくどうでもいい情報が付属された。


実際に当時から細分化されていたみたいですね、風俗界隈。

お読みいただきありがとうございます。

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