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【5】幕開け、浅草デート(1)

 どの店から漏れたか、流行りの歌謡曲。カンカンと拍子木を打つ、紙芝居の始まる合図。血気盛んな呼び子の客寄せ。それら全てが私の心を浮き立たせ、体の芯を熱くさせた。


 帝都きっての興行地、浅草。その盛況ぶりといったら、帝都住まいの私ですら目を回すほどだった。冬、それも平日だというのに人でごった返している。多くは上京のおのぼりさんだろうが、浅草文化にぞっこん(・・・・)な通人もまた多いと聞く。


 煉瓦造りの仲見世通りを過ぎて浅草観音に手を合わせた私たちは、ひょうたん池は『中の島』を歩いていた。大池に残る円い島地は東西に橋が掛けられ、ここも観光客や家族客で賑わっている。長椅子で仲睦まじく休んでいる男女もいる。


 来るのは老若男女様々だが、皆の視線を追えば辿り着く先は同じ。『十二階』、八角柱の展望塔だ。竜に呼ばれて前を向けば、池の向こう側に赤煉瓦と白塗りの木造からなる高塔が、天を突き上げるようにして建っていた。名所絵葉書と同じ風景がそこにあった。


「晴一に浅草に遊びに行くと言ったら、羨ましがっていましたよ」

「話したのか」

「はい。昨日兄貴と電話した後にちょっとばかし掛けてみました」


 月曜の朝に電話を取ってくれる幼馴染がいるというのはいいものだが、そうなると別に懸念が生じた。


「電話先って派出所だったりしないよな」


 訝しげに竜を見れば、相手は「それは流石に憚られます」と言って、からからと笑った。この二人ならやりかねないと思ったのだが、杞憂だったらしい。


 考えてみれば、予想される電話の内容は職場からはしにくいものだった。

 晴一は最初にこっ酷い婚約破棄を経験して以来、何の因果か結婚できないでいた。原因は多岐にわたって、この三年間でもう数え切れないほどになったのだが、「あの町ではもう結婚できそうにない」と嘆く様子は可哀想になる。あの悲嘆っぷりでは間接的に聴かされる電話交換手も気の毒だ。

 私たちと違って事件(※)後にも苦労した分、いい人と一緒になって欲しいと思うのだが――。


 ちゃぽんっと水面を打つ音とともに、波紋が広がった。日射しが眩しいくらいだから水温も高いのだろうか。人々の雑踏から離れた場所で、静かに睡蓮の葉に潜っていく、魚の暗い影を見た。



***



 私たちは登った。電気エレベータでなく石の階段で、十二階の高さを脚でも味わった。途中、土産屋で休憩を挟もうという竜の甘言にはかなり助かったが、それでも体が軋む。明日は起床が辛いだろうし、階段で女学生二人組に抜かれたときは竜ともども心が萎えそうになった。

 しかしながら、山を登った先の頂がそうであるように、浅草人が誇る十二階が備えるのもまた圧巻の眺望だった。


「四方に見渡せる景色って、考えたことなかったな……」


 ぐるりと視線を巡らせて、自分を囲う光景に息を呑んだ。

 荒川が見える。銀座の街が、築地の一帯が、帝都のあらゆるものが見える。彼方には関東を囲う山々。ひと際目を惹く凛とそそり立った山頂の主は、訊けば富士だという。


 手すりまで出て、風に持っていかれないよう帽子を片手で押さえた。上気した頬を撫でる外気が心地良い。裾口の広い白毛のロングコートがふわりと膨らんだが、今は全く気にならない。


「竜――竜っ! 綺麗だな!」

「――ええ、本当に。絶景ですね」


 想像していたより返事が遠い。不思議に思って後ろを振り返ると、竜は手すりよりもずっと離れたところからこちらを眺めていた。


「お美しい。富士を背景に沙耶子さんを拝めるなんて、俺は日の本一の果報者です。ありがとうございます」

「人を縁起物みたいに言うなよ」

「そんなつもりじゃないんですけど。でも確かにそうかもしれない、沙耶子さんに出会ってから俺の人生は良いことばかり」


 コツコツと革靴で板木を鳴らし、私の隣に寄り添った竜の表情は晴れやかだ。


「初めて会った時のこと、覚えてますか? 沙耶子さんは葉太に弁当を届けるために小学校に行ったんですよね」


 そう。授業中だったから空いている先生に預けようと思って職員室にお邪魔したら、たまたま竜がいたのだ。当時中学生だった彼はまた違う用事で母校に来ていて、服装は黒の詰襟制服。あのときは私の周囲に中学進学する人なんていなかったから、その堅い風采が珍しいと思った。ただそれだけだったのだけれど。


「それからひと夏ずっと私を付け狙った物好きのことなんて、忘れたよ」


 すぐに蘇る、土と潮の混じった匂い。故郷の思い出。

 当時は足元の田畑ばかり見つめていた私が、今は花の都を見下ろしている。


 一望した帝都は日の光をよく照り返した。富士はじめ遠くにそびえる山々は冬空の薄い色彩に映え、故郷のそれとは全く違う形を成している。越後の山脈だって、反対の方角から望めば別の稜線を描く。

 自然や歴史が違えば、住む人々の気風も違う。違って見える。そしてそこに上下はなく、みな違うからこそ尊い。


 知らない鳥が風を切って鳴いている、その目線は同じ。

 出逢ってから六年が経った。年下の甘えたに付き合っていたら、こんな景色の前に立たされるとは。人生は思うよりも奇天烈で、物語めいているらしい。


【補足その1】

※前作であった事件の概要です。前作のネタバレ注意ですが、読者様のご参考になりましたら幸いです。


四年前、沙耶子と竜治がまだ故郷の港町にいた頃、結婚を決められないでいた二人の周りで、不審火と共に婦女子が殺されるという事件が相次ぎました。当時放蕩していた竜治の家に警察が入ったことで、沙耶子と竜治の関係が進展するのですが、それはさておき。

犯人は沙耶子が以前から知っていた、町の交通巡査でした。彼は晴一の上司でしたが、晴一の婚約相手を含めた多くの女性と逢い引きし、心中できそうな子を見繕っては殺してみるという異常者でした。

彼の正体に気付いた婚約相手が逃げているところに、沙耶子が出くわしました。沙耶子は身を挺して犯人を足止め、これが逮捕に繋がったのですが、このとき殺されかけています。



【補足その2】

1の内容で終えるのは後味が悪かったので。今回登場した十二階ですが、元々凌雲閣と呼ばれていた、当時日本で最も高い建築物でした。浅草名所として賑わいましたが最後は経営難に陥り、大正12年9月に発生した関東大震災での崩壊をきっかけに爆破解体され、現代には残っていません(一応記念碑はあります)。

この作品の時期は大正11年の冬を考えているので、沙耶子たちが訪れた一年後にはなくなっていることになります。当シリーズはなんちゃって大正ですが、いずれ震災や太平洋……が起こる世界の話です。


あれ、後味改善できませんでした。とりあえず、こうして二人の出会いに触れられて良かったです。また、この時代にしかなかったものを出すという目標を一つ達成できました。

シリーズを通しあくまでラブコメ、ハッピーエンドです。

お読みいただきましてありがとうございます。

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